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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第四節 「林檎亭事件」
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第二百五十五話  告 解 (こっかい) Ⅰ

「どちらへ? 外出は控えろとのお達しが出ていたはずですが」


「あ……うん、その、一階に行こうかなって。何か手伝えることがあるかもしれないし——」


 部屋を出ようと歩き出したところ、エデンは背中にシオンの声を聞く。

 思わず口を突いて出る取って付けた理由に対しても、彼女はそれ以上を追及することはなかった。


「わかりました。早めのお戻りを」


「うん、行ってくる」


 再び手帳に視線を落とすシオンにそう言い残し、エデンは宣言通りに部屋を出る。

 階段を下りて一階へ向かったが、広間にも厨房にも主人とアリマの姿はなかった。

 村内の他の店同様に、食堂としての林檎亭も今日からしばらく休業の予定だ。

 エデンたち七人分の食事を用意するだけならば、前日からの入念な仕込みも必要ないということだろうか。


 広間を抜け、アリマの部屋の部屋の前を通って勝手口から裏庭に出る。

 裏庭には今朝方三人で干した布類が風に揺れており、そっと触れてみたそれらはすでに水気が飛んで乾いた状態にあった。

 そろそろ取り込む時間なのではないかと考えていたところ、エデンは背後から物音を聞く。

 洗濯物に触れつつ振り返って見たのは、籠を手にしたアリマだった。


「こ、これ……もう乾いてる」


 そう口にしてから、エデンは自身が見当外れを言っていることに思い至る。

 乾いているからこそ彼女は籠を手に裏庭に出てきたのだ。

 しかし物干し台まで歩み寄った彼女は厚手の卓布に触れ、エデンに向かって微笑みを浮かべながら言った。


「本当だ」


 大きさごとに分けて畳んだ布類を手際よく籠に積み上げていく彼女を目にし、エデンも見よう見まねで作業を手伝う。

 エデンの果たした成果は高が知れていたが、数分ほどかけて全ての布類を取り込み終える。


「手伝ってくれてありがとう」


「――ううん」


 ほとんど役に立っていないことはエデン自身が一番よくわかっていたが、それでもアリマは屈託のない微笑みを見せてくれる。

 その笑顔を正面から見返すことができないのは、彼女に対して並べ立てたいまだ明かせぬうそが原因だった。


「そ、その……アリマ! 実は——」


 今まさに籠を持ち上げようとしていた彼女に向かって、エデンは意を決して声を掛ける。

 籠を置きつつ改めて振り向いたアリマに対し、エデンは言葉を詰まらせながら事実を伝えた。


「——だから自分は……勇者でもなければ剣士でもないんだ。今日までずっと、みんなをだましてた。うそをついて……本当にごめん」



「やっぱり! そうだと思ったんだ!!」


 頭を下げるエデンに向かって放たれたアリマの第一声は、エデンの恐れていた非難や軽蔑の言葉ではなかった。

 あっけらかんとして言い放たれたそのひと言は、抱いていた疑念が解けたような、不思議だったことが腑に落ちたような、そんな納得の意を多分に含んだ言葉だった。

 戸惑うエデンをよそに、腰に手を添えたアリマはうなずきを繰り返しながら続ける。


「本当はおかしいなって思ってたんだ! エデン、強そうになんて全然見えないから……あ——!!」


 やにわに声を上げたかと思うと、彼女は自らの口を左右の掌でふさぎつつ謝罪の言葉を口にする。


「ご、ごめんなさい! わたしってばまた失礼なこと言っちゃった!!」


「う、ううん……! いいんだ、本当のことだから」


 そう返答しつつも肩を落とすエデンに対し、彼女は頬を緩めて小さく笑う。


「ふふふ、でもよかった。正直に言うとね、わたし、エデンが剣士さまじゃなくてよかったって思ってるの」


「……え——どうして?」


「何でかって言うと、今朝ここで剣を振ってるときのエデン——思い悩んでるって感じだったから。一昨日のお芝居のときも思ったんだけど、本当は戦いたくないんじゃないのかなって……そう見えたんだ。それでね、エデンには剣よりもっと別の道具のほうが似合うんじゃないかなって」


「別の……?」


 アリマが何気なく口にしたその言葉に、エデンは自身の胸がひときわ大きく脈打つのを感じる。

 答えを聞くのが怖くはあったが、それ以上に彼女の見ている剣士ではない自身の姿がどんなものかが気に掛かる。

 そんなエデンの動揺を意に介する様子もなく、アリマは言葉を続けた。


「うん! お料理運んだり、お掃除したり。それからこうやってお洗濯したり、取り込んだり。そういう平和なお仕事――エデンは嫌い?」


 自身の核心に触れられたような、曖昧にしていた願いを言い当てられたような気がして、エデンは胸がどきりと脈打つ感覚を覚える。

 嫌いなわけなどない。

 いつかはそんなふうに暮らしていけたらいいと心から思う。

 元々は戦いと無縁の暮らしの中にあった自身にとって、ラジャンから預かった剣こそが異物だ。

 自らの腰に差したそれを目に留めるたび、鞘から刃を抜き放つたび、その在りかがここでいいのかがわからなくなる。

 だが手の中にラジャンの剣があったからこそ救えた命もあったと考えれば、必ずしも全てが間違いではないとも思える。


 一瞬の間に胸の内に渦巻いた葛藤と疑問を、左右に頭を振ってその片隅に追いやる。

 これ以上アリマの前で情けない姿をさらしたくなどない。

 精いっぱい平静を装い、彼女の口にした問いに答える。


「そんなことないよ。好き——なんだと思う」


「でしょ!! そういうのが似合ってるよ、優しいエデンには! 剣士とか戦士とかっていうのはね――」


 言ってエデンに背を向け、アリマは歩き出す。

 数歩進んだところで振り返ったと思うと、彼女は歯を剥き出しにし、顔の左右で両手の指先を広げて威嚇のしぐさをしてみせた。


「――こーんな怖い顔して! 身体も大きくて、腕も脚もすっごく太くて! 本物の戦士さまを見たのって子供の頃にたった一度きりだけど――歯とか爪とかも刃物みたいに鋭いの!! こんなふうに!」


 両手の人差し指で突き出た牙を表してみせたのち、照れ笑いを浮かべた彼女は両手を下ろしながら続けた。


「だからね、戦いは戦う力を持っている人たちに任せて、わたしたちはわたしたちのできることをするの。幾ら頑張っても、逆立ちしても敵わない差がそれぞれの種の間にはあって、それはわたしたち個人の意志ではどうにもならない部分だったりするんだよ。

力の強さも、身体の大きさも、ものの見方や考え方も、全部神さまがくれたものだから。こっちのあなたはこう生きなさい、そっちのあなたはこう生きなさいって。……そうやって身体と心の形を決めてくれてる。エデンも、マグメルちゃんも、シオンちゃんもね——神さまが大切な意味を込めてその姿形にしてくれたんだよ」


「自分たちも……?」


「うん、そうだよ。だから無理して戦おうとしなくてもいいんじゃないないのかな。もっと自分に向いた生き方で——生きればいいと思うんだ」


 アリマは裏庭にあってひときわ背の高い林檎の樹を見上げ、エデンに背を向けたままそう口にした。


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