第二百五十四話 秘 事 (ひじ)
「——わかった、わかったとも! それが君の——君たちの選択というのならば僕は止めはしないさ!」
突き放すように言い放って立ち上がったインボルクは、サムハインとベルテインに対して続けざまに視線を送り、次いでルグナサートの肩に触れる。
三人がうなずきをもって同意を示すところを確認すると、彼は指を突き出して言った。
「君もそれでいいんだな?」
「え、あ——」
自身に向けられた言葉だと捉えて反応するエデンだったが、すぐに彼の指先が指し示しているのが傍らに座るシオンだと知る。
「ここに残る。残って結末を見届ける。それでいいのかと聞いているんだ」
「——はい、今がその時なのかもしれません」
「ああ、わかった……わかったよ」
答えるシオンにインボルクは首肯をもって応じ、降参の意を示しでもするかのように諸手を掲げてみせた。
彼は続けてエデンとマグメルとを順に見やると、言い含めるかのような口ぶりで言葉を継いだ。
「残ることは認めよう。だが——僕の提示する条件を一つだけ守ってもらうぞ。もしも僕が危険だと判断した場合には、直ちに団長権限を返還すること。その場合には何を差し置いても逃げることを優先する。当然逃げるのは僕らだけじゃない。少年と少女も一緒にだ。少年、僕は僕の目の前で君に剣を抜かせはしない。どうしても君がそいつを抜きたいというのならば——僕らの見ていないところで好きなだけ抜いてくれ。どうだい、納得できるかな?」
エデンはしばし瞑目して黙考し、ゆっくりと顔を上げる。
その場に集まった一同を順に見回し、「シオン」と名を呼んで許可を求めるようにその瞳を見据えた。
どこか諦観じみた表情をたたえつつも、彼女は小さく首肯して賛意を示してくれる。
次いでマグメルと視線を交し合ったのち、エデンはインボルクを見上げて今一度自身の意を告げた。
「約束する。その時は……君の言う通りにする」
「やれやれ、出発は延期か。この辛気くさい村ともおさらばできると思っていたのに残念だよ。……少し寝る。食事の時間になったら呼んでくれ」
エデンの答えを受けたインボルクは、肩をすくめて苦笑いを浮かべてみせる。
そう言い捨てるように言って卓を離れると、彼はひらひらと手を振りながら二階へと歩を進めた。
「インボルク! その、ありがとう! わがままを聞いてくれて——!」
「ありがとう——ね。……まあいいさ。今は何を言っても伝わらないと思うから、僕は何も言わない。だが自分たちで決めた以上は目を背けるんじゃないぞ。真実を受け入れるんだ。その選択を悔やむかもしれないし、僕や少女を恨むことになるかもしれない。まあ、その時は僕が幾らでも慰めてあげるさ。今は何のことだかわからないだろうが……それもきっとすぐにわかる」
その背に向かって呼び掛けるエデンに、インボルクは唇の端を持ち上げた薄笑いを浮かべて振り返る。
「イ、インボルク……? 何を言って……」
言うだけ言って二階へと向かう彼を呼び止めようとしたところで、エデンは宿の扉が勢いよく開け放たれる音を耳にした。
荒々しい息遣いとともに広間に飛び込んできたのは、門の前で自分たちの前に立ちふさがった件の男だった。
彼はエデンたちを一瞥したのち、村の近くで異種の痕跡を発見した旨を告げる。
男の語ったその場所は、今朝エデンたちが出向いた山中よりもはるかに村に近いところに位置していた。
彼が言うには、現在婆様の遣いが村内の各戸を回っている最中らしい。
宿の主人の説明通り、事態が解決するまで林檎亭を含む全ての商店が休業を要請され、人々にも不要の外出を控えるように達せられるのだという。
併せて明朝には村の唯一の出入り口である煉瓦造りの門が閉ざされることを知らされたのだった。
解散した一同はめいめい自室に戻る。
エデンも、シオンとマグメルの二人とともに二階の自室へと戻った。
シオンは例のごとく窓際の文机で手帳を開いている。
聞きたいことは幾つもあったが、険しい顔で手帳に視線を落とすシオンからは話し掛けることをはばかられるような雰囲気を感じる。
周囲に漂わせるよそよそしい空気は、強い拒絶の意を含んでいるように思えた。
「インボルクの言ってたことってさ、なんなんだろ」
壁を背にして思いを巡らせていたエデンだったが、寝台の上のマグメルが不意に口を開いたことで現実に引き戻される。
「——ねえ、シオン」
寝台の上で寝返りを打った彼女は、窓際のシオンに向かって乞うような視線を投げ掛ける。
しばしの間を置いて、シオンは手帳に視線を落としたまま耳を済ませなければ聴き取れないほどの小さな声でささやくように答えた。
「私の口から伝えるべきことではありません。気になるのであればインボルクさんご本人に聞いてください」
「……んー、もうー! いじわるー!」
マグメルは身をよじってぐずりでもするかのように言うと、うつぶせの姿勢で寝台に倒れ込んでしまう。
そのそぶりは彼女もまた自身と同じ葛藤の中にいるであろうことをつぶさに物語っている。
マグメルがシオンの言った通り今すぐに隣室に乗り込み、インボルクから答えを引き出して帰ってきてくれはしないかと内心密かに願う部分もなくはなったが、彼女にそれをする様子は見られなかった。
マグメルは枕に顔をうずめる形で黙り込んでいたが、しばらくすると眠ってしまったのか規則正しい寝息を立て始める。
インボルクが去り際に口にした真実とは何なのだろう。
それを知った自身やマグメルが悔やみ、恨み、受け入れることを拒むことになると彼は示唆した。
これまでの振る舞いを鑑みれば、シオンもまたその委細を承知していることは明らかだ。
シオンとインボルクの二人だけではない。
自身とマグメル以外の五人の間では、真実は既知の情報として扱われている。
この場に居合わせた面々の中で、何も知らないのは自身とマグメルだけなのだろう。
数日前に自身の知らない世界のことを教えてほしいと請うた際、シオンは内容や範囲は一任してほしいと口にした。
そして先ほどインボルクに意向を確認された際、彼女は今が「その時」である旨を語った。
シオンは何かを教えてくれようとしている。
彼女の持ち得る知識の伝達によってではなく、自身の目と耳をもって真実に触れろと言っている。
強く求めたのなら、あるいはその受け入れ難いであろう真実の正体を聞かせてくれるかもしれない。
だが今ここでそれをするということは、何も知らない自身の目に世界がどう映るかを見てみたいという願いを尊重してくれた彼女の配慮を水泡に帰せしめる行為だ。
今はこの掻痒にも似た焦燥感に耐え、じっと「その時」の到来を待つべきなのかもしれない。
寝台の上のマグメルと窓際の文机に向かうシオンを見やったのち、エデンは壁に手を添えてゆっくりと立ち上がった。




