第二百五十一話 膝 詰 (ひざづめ) Ⅰ
林檎亭に戻ったエデンたちは、待機していたサムハインら三人を交えて今後の去就について話し合うことになる。
広間の卓の一つに、エデンとシオン、シェアスールの五人が集まる。
主人とアリマは遅めの朝食を用意してくれていたが、エデンは胸がつかえて料理がろくに喉を通らなかった。
それでも「しっかり食べておくんだ」と率先して食べ進めるインボルクを見習い、失礼を承知で無理やり料理を口内へと押し込んだ。
人数分の珈琲を入れ終えた主人は事情を察してその場を外しており、アリマも早々に自室へと引っ込んでいた。
主人から聞いた話によれば、異種の痕跡が発見された場合は村中の商店が一時的に休業になるらしい。
もちろん鍛冶屋も炉の火を落とすことになるため、車輪の修理も先送りとなる。
せっかく訪れたにもかかわらず成果を得られないまま村を発つことになるのは無念だったが、それでも先んじて危険を察知できたのは不幸中の幸いといえるだろう。
取るべき選択は決まっている。
今すぐ荷物をまとめ、再び箱車を押して村を発つことだ。
下り勾配を行くことになるため、押すや牽くというよりも加速が付き過ぎないよう制動を掛けつつ進むことになるだろう。
山間の道を抜けて街道に出た後は、もう一度修理をしてもらえる心当たりを訪ねる必要がある。
本来であればもう数日は滞在する予定だったところを前倒しにしての出発に心残りを覚えるが、置かれているのがどうにもならない状況であることはエデンも承知している。
このまま村に残ったなら異種と遭遇する可能性は極めて高く、今すぐに村を出れば十中八九接近は避けられるだろうとはシオンの見立てだった。
「では諸君、出発は今夜ということでいいかな? ——どうだい、団長代理」
「代理? 何ですかい、そいつは」
両の掌で卓を打ちながら立ち上がるインボルクを、サムハインはいぶかしげな表情で見上げる。
「少年のことさ。この村へ進路を取ろうと決めたのは少女で、そしてその少女が頭と認めているのが少年だ。進退に関しては僕は一歩身を引き、少年に団長の権限を一時的に貸与しようというわけさ」
「うん……? よくわかんねえですけど、兄さんならこの人より正しい選択をしてくれそうだ。何なら代理なんて言わねえで本当の団長になってくだすっても構わないんですがね」
その指先をもってエデンを指し示すインボルクを横目に、サムハインは主人の入れてくれた珈琲をすすった。
「で——その団長代理殿のお考えはいかがなもんで?」
「う、うん……自分は——」
エデンは深く息を吸って呼吸を整え、その場に集まった一同を見回した。
自身の傍らで不安げなまなざしで見詰めるシオン、正面には立ち上がったまま尊大な態度で見下ろすインボルク。
珈琲の椀を手に自身を見据えるサムハインと、表情は読めないがそこはかとなく心許なげな表情をたたえたベルテイン、その隣で指先を組んで静かに耳を澄ませるルグナサート。
そしてシオンと逆隣には、難しい顔をして考え込むマグメルの姿があった。
「——自分も早く出発したほうがいいと思う」
そう告げた瞬間、エデンはシオンの表情が安堵に緩むところを見て取る。
彼女は小さく嘆息し、「私も賛成です」と同意を示した。
「うむ。僕も少年——団長代理に賛意を示すぞ」
「俺も代理殿に賛成でさ」
「おれもそれがいいと思う」
「私も異論はありません」
シェアスールの四人も口々に賛同の意を表してみせる。
次いで皆の視線と意識を集めたマグメルは、視線を卓に落したまま呟くように言った。
「あたし——ここにのこりたい」
この場の誰もが、彼女も他の団員たちと同じように出発を望む言葉を口にすると思っていただろう。
エデンもそれが当然だと信じ込んでいたが、マグメルが口にしたのは皆の想像を大きく裏切るひと言だった。
「何を言っているんだ、君は! 残るとはどういう意味だ!」
最初に声を荒らげたのはインボルクだった。
マグメルの顔に指先を突き付け、早口でまくし立てるように言う。
「もう義理は果たしたじゃないか! うそをついたことについても落とし前はつけたと考えていいだろう! それをなぜ——どうして君はそんなことを言う!!」
「あたしは——」
「僕は許さないぞ! そんな勝手なまねを許してたまるか!!」
口を開きかけたマグメルを遮ってインボルクは言葉を続ける。
冷静さを欠いたその様子は、この村を目的地に提案された際の彼を彷彿とさせる。
まだ言い足りないといった様子の彼の肩に、黒い翼がそっと触れた。
「——団長……インボルク。熱くなり過ぎです。それではお嬢が話したいことも話せません。耳を傾けてあげてください」
いら立つインボルクを押しとどめたのはルグナサートだった。
自身も立ち上がった彼は、その翼でインボルクの肩に触れて言い添える。
「その憤りもまた君らしいですが」
ルグナサートに促されたインボルクは不承不承といった様子で椅子に座り直し、不服そうに言い捨てた。
「……わかったよ。そうさ、僕が悪いのさ」
「——はい、よく言えました」
「いつもそれぐらい素直でいてくれたら、かわいげもあるんですがねえ……」
ルグナサートとサムハインの反応を受けたインボルクは、卓の上で頬杖を突いて顔を背けてしまう。
「それでお嬢、あんた何だってそんなこと言うんですかい? それに関しちゃ俺も団長——元団長……ああもう、ややこしいな! そこの旦那と同意見でさあ」
「うん、なんでかっていうとね——」
答えて口を開くマグメルにエデンを含む全員の視線が集中する。
顔を背けたインボルクも、意識だけは彼女に注いでいるように見えた。
「——歌のおけいこの、とちゅうだったから」
マグメルの口から放たれたそのひと言に、広間に集まった全員が言葉を失う。
エデンとシオンは無論のこと、共に旅を続けていた楽団の面々でさえ、彼女が村に残ることを望んだ理由がそこにあるとは想像もしていなかった様子だ。
その驚きの程は、四人の表情が何よりも雄弁に物語っていた。




