第二百五十話 道 化 (どうけ)
伝えるべきことを伝え終え、エデンたちは婆様の家を後にする。
宿の主人はひと足先に林檎亭に帰っており、一行は四人で帰途を歩んでいた。
立ち入りのために偽りを口にしたことに関しては不問に付せられ、村を追い出されることもなく、それどころか婆様は滞在中の宿賃も支払う必要がないよう取り計らってくれた。
それに加えて婆様は異種の接近を確認した際には改めて謝礼を払うと申し出てくれたが、エデンたちは相談の上でこれを辞退した。
加えて聞かされたのは、明朝には村への出入りが制限されるという話だった。
早急に身の処し方を決める必要があるが、今はシェアスールの三人の意見を確認するほうが先決だ。
しばらく無言で歩き続けたエデンたち一行は、婆様の家と林檎亭のちょうど中間ほどに位置する分かれ道辺りで足を止める。
エデンは大きな深呼吸を一つして心を落ち着かせると、自身の後方を歩くインボルクとマグメルを振り返った。
彼女が割り入ってくれなければ、話を聞き入れてもらうことはできなかったかもしれない。
婆様の家を訪ねるにあたって彼女の同行の是非を尋ねられた際、一緒に行くと選択したことが間違いではなかったと今になって思う。
あのとき不意に頭に浮かんだのは、マグメルの言う通りに進んでうまくいかなかったためしがないと語ったインボルクの言葉だ。
もちろん無条件に信じるわけではないが、振り返ってみれば出会ってまだ数日という短い期間の中で、思い当たる節は幾つもある。
シオンの疲労の度合いを正しく捉え、剣を振る自身を振り回されていると彼女は評した。
なぜそう感じたのかはいまだ尋ねられていなかったが、マグメルが鋭い洞察力の持ち主であることは確かだ。
初めて出会ったあの夜、エデンは彼女の中にローカを見ていた。
マグメルの持つローカと同じ「異形の力」が自身にそう思わせていたとすれば、合点がいく部分もあった。
全てが彼女の功績というわけではない。
インボルクが平伏して彼自身の素性を明かしてくれなければ、婆様は自分たちの言葉を信じてはくれなかったに違いない。
期せずしてその名が偽名であったこと、そして流浪の詩人が本来の姿ではないことを知るに至る。
その旅の目的を贖罪だと、巡礼だと彼は語った。
贖うべき罪が一体どんなものであるかは知る由もないが、彼の旅にも自身らと同じ何らかの目的があるのだ。
「二人とも助かったよ。本当にありが——」
言いかけたところでエデンが不意に口をつぐんだのは、マグメルとインボルクの様子が少しばかりおかしく思えたからだ。
そこには笑いをこらえるインボルクと、そんな彼を物言いたげな目で見上げるマグメルの姿があった。
「いつあたしがないたの!? 心が通じあって? だきあって? そんなおぼえひとつもないんだけど!?」
「——ん? そうだったかな?」
顔を突き出して言うマグメルに対し、インボルクは言い捨てるように言って背中を向けてしまう。
適当にはぐらかされたことで不服そうに頬を膨らませるマグメルを前にしてエデンはいまだ状況がつかめずにいたが、おおよそのところを察しているであろうシオンは脱力気味に肩を落としていた。
そんなエデンたちの様子がおかしいのか、背中を向けて小刻みに身体を震わせていたインボルクが不意に噴き出した。
「——あっはっはっはっは! こいつは傑作だ——!! あはははは!!」
まるで小さな子供のように大口を開け、腹を抱えたインボルクは肩を大きく揺すって哄笑する。
勢いよく笑い過ぎたためか、そのまなじりには涙さえにじんでいる。
「あははは! これだよ、これ! 次の脚本に生かせそうじゃないか! ——くくく、忘れないよう書き留めておかねば!!」
「また悪い顔してるー! もう、うそばっかりなんだから!!」
あきれ顔のマグメルはそう言って彼を小突いたが、結局彼女自身も辛抱たまらず笑い出してしまった。
「ふふふ、あははは……!」
道の真ん中で笑い合う二人を、状況のわからないエデンはただ黙って見詰める。
ややあってようやく目の前の状況に思考が追い付くと、ぼうぜんと口を開いた。
「インボルク……も、もしかして全部うそなの……?」
「ん? 何を今更わかり切ったことを言っているんだい? 言っただろう、僕らの仕事は騙ることだってね! 芸人の言うことを頭から信じてかかる奴が悪いのさ!」
「で、でも……あんなに——」
いまだ笑いの収まり切らぬ中にあって、平然と言い放つ彼にエデンはあぜんとせざるを得ない。
気位が高くいつだって尊大な態度を崩さなかった彼が土の床に膝と手を突き、あまつさえ鼻先を擦り付けてまで意を尽くすなどとは考えもつかない。
もしもあれが嘘だというのなら、何が本当で何がうそなのかがわからなくなりそうだ。
エデンのそんな考えを見て取ったのだろう、インボルクはまなじりににじんだ涙を手で拭ってエデンに向き直った。
「あれくらい何だっていうんだ。これまでも地べたをはいずり回り、泥水をすすって生き延びてきたんだ。地面をなめて事が済むなら安いもんさ。そう——」
インボルクはそこまで言うと、大仰でわざとらしいしぐさの深呼吸をもって乱れた呼吸を整える。
そしてエデンとシオンに向かって目配せをし、普段と変わらぬ茶目っ気のある表情で言った。
「——友人のためなら土下座くらい訳もない! こうして下げられる頭があるうちは、存分に利用してやろうじゃないか。大きな顔して胴の上に載っからせてるだけじゃ、もったいないだろう?」
「友人……」
「そうさ! 僕らの音楽を理解してくれる人々は皆友人であり理解者だ! いずれ世界中が僕らシェアスールの友人となる! 少年少女も、その時を楽しみに待っているがいい!」
両手を広げて一方的に言い放つと、インボルクはエデンの脇を通り過ぎて一人宿へと足を進める。
「義理も果たしたことだし帰るとしよう! そうのんびりもしていられないぞ! さっさと支度をしてこの村ともおさらばだ! ——おお、美しくも空しき田園風景よ!」
「もー、だからー! あたしがいつないたの!?」
「さあね」
マグメルは先を行くインボルクの背に勢いよく飛び付く。
インボルクは彼女を背に張り付けたままあしらうように言い、宿に向かって歩き続けた。




