第二百四十九話 貴 紳 (きしん)
旅に出ることを決意した理由の中には、自身の由来を求めてという側面もあった。
世界に自らの属する種の名を見つけられず、三人の少女との出会いを経た今でもその素性や来歴は不明確なままだ。
多数の中に類を見ない姿形を奇異の目で見られたことは少なからずあったが、まさか異形の生き物である異種と同列に扱われることになるとは想像もしていなかった。
横目でシオンに視線を移してみれば、その瞳に宿る深い憂慮の念が見て取れる。
二人して歩むのは姿を消したローカを追う旅であり、自らの起源を求める旅でもあるのだから無理もないことだろう。
一方ではマグメルも、彼女にしては珍しく困り果てたような表情で頭を抱えている。
エデンの視線を受けた彼女は申し訳なさそうに空笑いを浮かべ、左右に小さく頭を振ってみせた。
「その……実は——」
ここは下手に取り繕うよりも、正直に伝えるべきとエデンは考える。
記憶を持たないこと、自身の素性について何も知らないこと、全て明かすより他に信用を得る手段は他にない。
うそにうそを糊塗すれば、ようやく得た信頼の端緒を手放してしまうかもしれないのだ。
自身の置かれた事情を説明しようとしたところで、エデンは身体の脇を一つの影が通り過ぎるところ目に留める。
さっそうとした足取りで婆様の面前まで進み出たのは、それまで黙って後方から状況を見守っていたインボルクだった。
彼はその場に屈み込んで両膝を突き、次いで床に掌を付ける。
そして細く伸びた鼻先が床に触れんばかりに頭を下げると、彼は顔を伏せたまま婆様に語り掛けた。
「——媼、どうぞお聞きください。この子らは決して媼の仰るような険呑な存在ではございませぬ。確かに三名とも己の出自を語ることはできませぬが——この村にあだをなす悪しき存在でなきことはこの私が保証致します」
常に見高な態度を崩すことのなかった彼の取った突然の行動にエデンは面食らう。
長く一緒に旅をしてきたであろうマグメルでさえも、信じられないといった表情でその様を眺めていた。
いわゆる土下座の姿勢で語るインボルクに対し、婆様は声色一つ変えずに言う。
「それが得意の芝居でないと誰が信じるんだい?」
「道理千万にございます。ご無礼の段、ひとえにおわび申し上げます。実を申せば放浪の楽士は世俗に紛れるための偽りの姿、吟遊詩人インボルクとは仮の名にございます。
真の名をブレーグと申しますこの私、これよりはるか北東の地、森の小王国の祭礼を担う祭司アハイルが第一子にして次期当主を継ぐ身にございます。贖罪の巡礼の直中故、身分を示すすべはございませぬが——金輪際、神に誓って、天地神明に懸けて、偽りは申し上げませぬことを約束致します」
「次期祭司——とやらのブレーグ殿が、この三人の身元を引き受けると?」
婆様は品定めでもするかのような遠慮のない視線をもってインボルクを見下ろす。
彼は変わらず顔を伏せたまま、よどみない口調で言葉を続けた。
「仰せの通りにございます。この子らが私たちと同じ人であることも、この私が保証致します。皆、喜び、泣き、笑い、そして時に憤る、誰よりも人らしき人にございます。媼の恐れるような、ましてや異種と並べて論じるような存在では断じてございませぬ」
鼻先を床に擦り付けたインボルクは差し伸ばした手でマグメルを示しながら、さらに立て板に水の弁舌で話を引っ張っていく。
「私はその娘と巡礼の旅の中で出会いました。私も媼と同じようにその姿形から不信の念を抱いておりましたが、共に旅をするうちにそれが誤りであると気付かされたのです。連れ立って道を行き、寝食を共にし、楽しき音を奏で——そうしていつしか心を通わせ合っていったのです。笑い、泣き、抱擁を交し合った日々のことはいまだ忘れられませぬ」
そこで顔を上げた彼は、エデンたち三人を微笑みとも諦念ともつかぬ表情でもって一瞥した。
「もしもその名が時と時の間に沈もうとも、天と地の間に居場所をなくそうとも、人と人との間の争いに消えようとも、生きた証はどこにも行きはしませぬ。
この時、この場に、不確かな心を持って立っているという事実が、この子らがまぎれもない人であるという証左にございます。もしも媼が名を望むのであれば——」
一瞬の間を置いたのち、今一度婆様を見据えて告げる。
「——どうぞ『間人』とお呼びください。その名を抱くのは御前に控える三人の子らだけやもしれませぬ。しかしそれが何の問題になりましょうや。この世に私は一人——媼もただ一人にございます。死すべきその瞬間まで人でありたいと願う思い……蹄人である媼にならばご理解頂けるはずです」
そこまで語ると、インボルクは再び深々と頭を下げた。
「頭を上げてくだされ、ブレーグ殿。お主と子らを信じることにしよう。わびるのは私の方だ。相すまなかった」
しばしの沈黙ののち、おもむろに口を開いた婆様は椅子に座ったまま深々と頭を下げてみせる。
次いで彼女はエデンたちの後方、家の戸口に目配せをもって何やら合図を送った。
振り返ったエデンは各人各様の農具を手にし、家の中を戦々恐々と言った様子でうかがう男たちの姿を目に留める。
めいめい手にした農具を手放した男たちの中から、見覚えのある男が家の中へと入ってくる。
婆様の隣に控えるように立った男は村を訪れた際に門近くで立ちふさがり、その後林檎亭まで案内してくれた人物だった。
「お主らが見たという異種の話、どうか聞かせてくだされ。ただちに手を打たせてもらう」
婆様の求めに応え、エデンたちはシオンの知覚した異種の情報を余さず語る。
話が終わると、婆様の隣に控えていた男は残りの面々を率いてすぐにその場を後にする。
彼らが自らの足で異種の接近を確かめに向かったであろうことは明白だった。




