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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第四節 「林檎亭事件」
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第二百四十八話  披 瀝 (ひれき) Ⅱ

「ち、違うの……? それならどういう——」


 無言のまま状況を静観するシオンに対し、エデンは救いを求めるような視線を投げる。

 その表情がいつになく張り詰めているのは、力の行使の余波が残っているからだろうか。

 こめかみにはうっすらと汗が浮き、かすかに歯を食い縛っているようにさえ見える。

 エデンの視線を受けたシオンが口を開きかけるが、彼女が答えるより早く婆様が言葉を発する。

 その視線の先にあるのはエデンでもシオンでもなく、マグメルと共に後方に立っていたインボルクだった。


「同じ蹄人だ。お主にならばその意味するところもわかるだろう」


 婆様の視線を追って後方を振り返ったエデンは、冷ややかなまなざしで彼女を見据え返すインボルクを目に留める。

 その傍らでは、マグメルが何が何やらといった様子で小首をかしげていた。


「え!? なになに、どういうこと?」



 エデンはもう一度インボルクを見やるも、彼は変わらず無言を貫いている。

 続いて助けを求めるようにシオンに向き直ると、彼女はエデンの視線を気に留めることなく婆様を正面に捉えて口を開いた。


「その件は私たちのあずかり知らぬ話です。私たちはあくまで事実を伝えたまでであり……信じるも信じないも——どのように対処するのかも貴女がた次第です。それ以上のことに口出しをする了見はありません」


 言い切ってみせるシオンだったが、発する言葉にはいつものような歯切れのよさはなく、どこか探り探りといった様子が見え隠れする。

 その額に浮かんだ汗が頬を伝い、首筋へと落ちる瞬間をエデンは横目に捉えていた。


「そうだよ!! おばあちゃんさ、さっきからちょっとおかしいよ!」


 その直後、張り詰めた空気を破るような突き抜けた声が上がる。

 エデンとシオンの間をかき分けて婆様の元に進み出たのは、その顔にいら立ちをありありと映したマグメルだった。


「エデンは村のみんなのためにわざわざ教えてあげてるの! 自分でも言ってたじゃん? このままいなくなってくれたらよかったって! それね、あたしたちだって同じ! 異種が近くまできてるってわかったらさ、あたしたちだけでにげるのがふつうでしょ!?」


 婆様に向かって遠慮なく言い放ったマグメルは、言ってやったとばかりの得意げな表情でエデンを見上げる。

 続けて戸惑うエデンに任せろの意を込めた笑みを送った彼女は、今一度婆様を見据えて言葉を続けた。


「あたしたち、そうやってにげつづけてきた。助けてくれる人なんてそうそういないし、あぶないからにげろって教えてくれる人だってそんなにいないよ。当たり前だよね、自分の命が一番だもん。だからね、おばあちゃんはあーだこーだうたがうよりも、まずはエデンに『ありがとう』じゃないの?」


「マ、マグメル……!?」


 エデンは驚きに思わず声を上げる。

 その歯に衣着せぬ物言いに動揺を覚えたのはエデンだけではないようで、シオンもまたぼうぜんとマグメルの顔を見詰めていた。

 絶句するシオンとどこか得意げな表情のマグメルを交互に見やり、エデンは続けて婆様を見下ろす。

 瞑目した彼女はマグメルの言葉を深く噛み締めるように考え込んだのち、やおら目を見開いた。


「その通りかもしれないね。お嬢さんの言う通りだよ。お主らにはこうして口やかましい婆と顔を合わせる義理なんてないはずだ」


「ね、でしょでしょ!!」


「だけどね、一つだけ聞かせてほしいんだ」


 理解を得られたことで喜びをあらわにするマグメルだったが、続く婆様のひと言で緩みかけた空気が再び引き締まる。


「私はね、生まれてこの方この村から一歩も出たことがない世間知らずのばばさ。私だけじゃないよ。村の者のほとんどは、この村で生まれてこの村で死んでいく。旅をするお主らにはわからないかもしれないが、それは私たちにとっては至って普通のことで、誰もが代わり映えのしない毎日の中から小さな幸せを見つけて生きているんだよ。それでもね、何も知らないってわけじゃない。年を食えばその分要らぬ知識も増えていくものさ。外の世界には私たちと違う大勢の種がいて、めいめいいろんな所で暮らしているんだろう」


 婆様はそこでいったん言葉を区切り、思いをはせでもするかのように頭上を仰いだ。


「私たちもこうして似たような種で寄り集まって暮らしているが、皆それぞれに故郷はある。覚えちゃいないが、たまに夢に見るんだよ。私なんかはそうさ、ちょうど谷合みたいな場所を跳ね回っている夢をね。今じゃこんな婆だけど、若い頃はこれでも村一番のお転婆なんて言われてたんだ」


 そう言ってからからと乾いた笑いをこぼすと、表情を一転させた婆様は眇めるような目つきで一行を見据える。

 まずはエデンの左に立つシオン、次いでその右のマグメルを順番に見やり、最後に正面のエデンを見上げて静かに問う。


「……お主ら三人、一体どこから来なすったんだい? うみ果てるぐらいには長く生きてきた私だけれども、お主ら三人のような種はついぞ見たことも聞いたこともないよ。毛も羽も鱗もない……まるで猿人ましびとの子供が、子供のまま大人になったような——ね。気に障ったのなら済まないが、何分臆病で用心深いのが私たちなんだ。疑い、怪しみ、いぶかしんで生きてきた。信じたいのもやまやまだけど……恐ろしいんだよ。異種も恐ろしいが——すまないね、お主ら三人も私からすれば得体の知れない生き物であることに変わりないんだ。お主ら——種の名は何と言う? 一体、何(びと)なんだい?」


「そ、それ……は——」


 婆様の言説に対して返す言葉が見つからず、エデンは言葉を詰まらせることしかできなかった。


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