第二百四十三話 選 択 (せんたく) Ⅱ
「せっかくなかよくなれたのにさ、おわかれもできずににげるんだ」
「ああ、そうだ。それがどうかしたかい? 僕たちはこれまでもそうして生き抜いてきただろう。不満があるなら言いたまえよ」
上目を据えるマグメルに対し、インボルクはその額に指を突き付けながらまくし立てるように言う。
「……そうだけど、もし本当にその異種がここまで来ちゃったらどうするの? 村のみんなはどうなるの? それにインボルクだってさ——」
そこまで言っていったん言葉を切ると、マグメルはインボルクの突き出した指を自らの手をもって押し返した。
「——アリマちゃんのこと、なかまにさそうぐらい気に入ってたじゃん! それなのにほんとにそれでいいの!?」
「それこそ何を今更だ。看板娘は僕の誘いを退けてこの村で生きる道を選んだ。その判断に僕がとやかく口出しをするのはお門違いさ。それにだよ、この村の事情など僕の知ったことじゃない。自分たちのことは自分たちで何とかするのが道理というものだ。残念ながら怪物退治は畑違いだ。僕らの仕事は勇者や英雄を語る——いや、騙ることさ。それとも何かな——」
不敵な笑みを浮かべたインボルクは、含みのある視線でエデンを一瞥する。
「——この村の平和を守るため、剣士殿がひと肌脱いでくださるとでも?」
「じ、自分が……!?」
「エデンにたたかえって? そんなのむちゃだよ!!」
「そんなこと君に言われるまでもなく知っている。今の少年に異種を討つなど、土台無理な話さ。だから僕は逃げると言っているんだ。その点に関しては終始一貫しているつもりだけどね」
動揺に声を上ずらせるエデンに代わり、マグメルが抗議の声を上げる。
それを受けたインボルクは深々とため息をついたのち、不服げな表情を浮かべるマグメルと、いまだ動揺を引きずるエデンに向かっていかにもおっくうそうに続けた。
「全て僕のまいた種だ。こんな田舎へ進路を取ることを許したのも、君の腰の物を利用してこの村へ入り込んだのも、本を正せば僕の落ち度さ。非を認めてその責を負おうと言っているのだよ、僕は。何も僕ら五人で逃げようとたくらんでいたわけじゃない。少年少女、君たちも連れて逃げる腹積もりだったんだ。……少々計画を知られてしまうのが早かったけどね」
肩をすくめて横目に見下ろすインボルクを見上げ返したのち、シオンはエデンに向かって静かに口を開く。
「私もインボルクさんと同意見です。一刻も早くこの村を離れるべきだと考えます。ここに向かうことを提案した私が言うのも何ですが——それが今の私の本意です。この町を目的地に選んだときは、まさか立ち入りを拒否されるとは思いも寄りませんでした。先生の記録には随分と歓待された様子が記されていたからです。
しかし考えてみれば理由は単純明快です。私の弓は学問同様に先生から指南を受けたものであり、先生も護身のために弓を手に旅をしていました。集落の内部に戦力を持たない蹄人たちが、有事の際には外部から力を借りることは貴方もご存じのはずです。彼らからしてみれば、たとえ旅人とはいえ戦士や剣士とは特別な——歓待し得る存在なのでしょう。それこそ滞在中に変事など、めったなことでは起こり得ないかもませんが、何もなくとも縁はつなげ、将来的に頼ることもできるやもしれません。しかしです、もしもそのめったなことが起きたとしたなら——」
シオンはそこでひと呼吸置くと、エデンを見据えて断言するように言った。
「——今異種が現れたとして、村の人々が一番に頼るのは他でもない貴方です、剣士エデン」
「じ、自分!? 自分が……村のみんなを守って——い、異種を……!?」
「早まらないでください。誰が貴方に本当の剣士であれと言いましたか。村人たちが貴方に異種の討伐を依頼したとしても、引き受けるか否かは最終的に貴方の返答次第です。引き受ける——という選択肢ははなからないとして、私たちに取り得る行動は二つしかありません」
「二つ……」
取り乱すエデンを制するようにしてシオンは言葉を続ける。
差し出した指を折りながら、彼女は自らの考えを示してみせた。
「一つはインボルクさんの仰ったように、荷物をまとめてこの村を去ることです。聞けば車輪周りの修理はまだ済んでいない模様ですので、往路同様強制的に箱車を押して進むことになるでしょう。二つ目は——正直に剣士などではないと明かし、村から放逐されることです」
「え!? それってさ、どっちも出ていかなきゃいけないってことじゃん!?」
「仰る通りです」
シオンの提案を受け、マグメルは周囲に響き渡る大声を上げる。
インボルクに口をふさがれて暴れる彼女に対し、シオンは諭すような口調で続けた。
「この村の人々に戦う力を持たぬ者を滞在させておく利点など一つもありません。無論私や楽団の皆さんも同じです。芝居も音楽も——人を楽しませこそすれ、救うことはできないのですから」
言ってシオンはインボルクを横目に見ながら言う。
「もう一度選択肢を提示します。一つ、インボルクさんの仰る通りに今夜にでもこの場を去る。参考までに言っておきますと、これはマグメルさんを除く楽団の皆さんの総意です。団長の判断に従う——だそうです」
「そうなの!? また勝手に決めて!!」
シオンの言葉を受け、マグメルはいら立ったようにインボルクを見上げる。
「——二つ、修理のためにどうしても村への立ち入りを許してもらう必要があり、剣士と身分を偽ったことを明かす。そして堂々と村から追い出される。以上の二つが私たちの取り得る去り方ですが、エデンさんはどうお考えですか?」
「自分の——考え……?」
「そうです。貴方の考えを聞かせてください。この先も——ローカさんを追って旅をする上で、こういった場面に遭遇することは少なからずあるでしょう。導く——いつかそんな言葉を口にしましたが、私にできるのは貴方の選んだ道を照らすことだけです。貴方の歩みがわずかでも楽になるように、貴方が世界を知るための手助けになるように。それが私の役目だと考えています。ですから——私と貴方、二人の団の団長は貴方です」
「なかなか愉快な話じゃないか」
シオンの言葉を耳にし、エデンに先んじて口を開いたのはインボルクだった。
彼は大げさなしぐさでうなずいてみせると、次いでエデンとシオンを順に見据えて言う。
「君がどう考えようと自由だ。君がどこへ進もうと、何を考えようと僕には止める権利はない。君たちに君たちの目的があるように、僕たちにも——だったかな?」
「奇遇ですね。私もちょうど同じことを言おうと考えていました」
皮肉げな笑みを浮かべて自らを一瞥するインボルクを、シオンも負けじと見据え返す。
二人は腹に何か隠しているかのような笑みをもって小さく笑い交わしたのち、同時にエデンに視線を投げる。
シオンとインボルクだけでなく、マグメルも口を閉ざしたままエデンの答えを待っていた。




