第二百四十二話 選 択 (せんたく) Ⅰ
「今からね、あたしたちでケナモノとりに行こ? それでさ、サムハインに料理してもらうの!」
嬉々とした表情で言うマグメルを前にして、エデンは食事の際の彼女の言葉と振る舞いを思い出していた。
エデンも二日間の食事を物足りなく感じていなかったと断言はしかねるものの、自身の手で取りに行こうと思い立つほどではなかった。
量に余裕があるわけではないが、彼女がどうしてもと言うのならば携行食の干し肉を分け合ってもいい。
それを伝えるエデンに対し、マグメルは左右にぶんぶんと頭を振って応じた。
「ううん、そうじゃなくて! なんかね、急に行きたい気分になったの! エデンはさ、ケナモノってその土地によってぜんぜん味がちがうのって知ってる? 草むらでとれるのと森の中でとれるのとでもちがうし、川を泳いでるのとかはもっとちがう! それでね、サムハインはケナモノのしゅるいによっていろんな料理をしてくれるの。だからこのへんでとれるやつも食べたい! ——ね! いいじゃん、行こ?」
「……う、うん。どうしよう——かな」
マグメルに袖を引かれながら、エデンは初めて狩りに連れていってもらった際にラバンの説明してくれた話を思い出す。
その土地土地に生息するケナモノの肉を食べ比べておくことも一つの学びになると考えるなら、旅の目的とも大きく乖離はしていないだろう。
宿の主人の出してくれる料理に不満を呈しているようで気が引ける行為も、そう考えれば申し訳もつく。
加えてエデンには、気になって仕方のないことが一つあった。
剣を振る自身を見て「振り回されている」と評したマグメルの真意、それをどうしても聞いておきたかった。
ここでその意に同意しなければ、彼女は一人で、あるいは団員たちを引き連れてケナモノ狩りに出向いてしまうかもしれない。
「——うん、そうだね。少しだけ探してみようか」
「やった!! 早く行こ!!」
エデンが答えると、マグメルは飛び跳ねて喜びを示す。
「でも出掛けるなら、シオンとみんなに言っておかないと——」
そう言って宿の方向を振り返ったエデンの目に映ったのは、戸口に立って自身らを見据えるインボルクだった。
その傍らには、眼鏡越しの視線を自身に向かって注ぐシオンの姿も見受けられる。
「——インボルク、それにシオンも……どうして」
奇妙な取り合わせの二人に、エデンはうっすらと違和感を抱く。
何をしていたのか尋ねようとするが、いつにも増して冷ややかな表情をたたえたシオンと、あまりに真剣なまなざしを向けるインボルクを前にして図らずも口をつぐんでしまう。
今からマグメルと二人でケナモノ取りに行こうと思う。
とてもではないが、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
エデンたちのそばまでつかつかと歩み寄ったインボルクは、周囲を見回したのち静かに口を開く。
「いいかい、今から大事なことを話す。聞くんだ」
返事をすることもはばかられるようなその重々しい口ぶりに、エデンは無言のうなずきをもって了承を示す。
「昨日のことさ。サムハインの奴が筍掘りに出掛けていたことは少年も知っているだろう。あれは山歩きの得意な男でね、この村から幾分か離れた山中にまで足を踏み入れたらしい。籠いっぱいの筍を掘り当て、小躍りして喜びながら引き上げようとしたそのとき——」
身を屈めたインボルクは、エデンの耳元にその鼻先を突き付ける形で囁ささやくように続けた。
「——見つけたんだとさ、異種の足跡を」
「え……!? あ——」
大きな衝撃を受け、エデンは思わず声を上げそうになる。
そして昨日の二人の会話の中に、その呼称を聞き留めたのは空耳などではなかったことを理解する。
インボルクは動揺をあらわにするエデンの口元に、縦にした人差し指を突き付けて続く言葉を封じた。
「——静かに。あれが言うにはそれほど近い場所ではないらしい。たとえこの村が襲われるにしても、今日明日というわけではないだろう。しかしだ、二日後はどうなるのかはわからない。三日後ならなおのことだ」
幾らか落ち着いたと判断したのだろう、インボルクはエデンの口元に添えていた指をそっと取り払った。
改めてその顔を仰いだエデンは、間近で見る彼の瞳が他の蹄人たち同様に横に長い形状をしていることを再認する。
自身を見下ろす形で顔を下げてなお、眼窩の中で回転した眼球は横長の瞳孔を水平に保っていた。
「今朝方のことさ、僕ら四人で今夜にも逃げる算段を立てていたところ——窓を開け放していたのが災いしたのか、そこの耳聡い少女に聞かれてしまったという始末さ。突然扉を開け放って彼女が部屋に踏み入ってきたときは、さしもの僕も驚いたね」
「あれでは密談ではなく雑談です。気付かれたくないのならもう少しお静かになさってください」
肩をすくめて流し目を送るインボルクに対し、シオンはあくまで素っ気ない口調で答える。
インボルクたちが大声で会話を交わしてなどいないのは恐らく本当だろう。
シオンはその力をもって彼らの密談を聞き取ったに違いないが、もちろんこの場でそれを口にするわけにはいかないことをエデンも重々理解している。
その言わんとするところを察したのか、彼女はエデンの腰のものを示しながら言った。
「貴方がそれを振り回していた時です。聞き耳を立ててやろうなどと言う魂胆があったわけではありません。偶然耳に入ってしまっただけです」
「本当に驚いたよ。なかなかどうしていい耳を持っている。案外君のほうこそ音楽家に向いているのかもしれないな。何なら君も——」
「お褒めに預かり光栄ですが、丁重にお断りさせていただきます」
本気なのか冗談なのか分からないインボルクの誘いを、シオンは最後まで聞くことなく突っぱねる。
二人のそんなやり取りをぼうぜんと眺めていたエデンだったが、それまで黙っていたマグメルが不意に放った声を聞いて我に返った。
「……またにげるんだね」
インボルクとシオンの視線が彼女へと注がれる。
傍らを振り向いたエデンも、二人と同じようにマグメルの顔を見下ろした。




