第二百三十九話 幕 間 (まくあい) Ⅱ
アリマの予想通りに店内は昨夜以上の賑わいを見せ、結局エデンは営業中も給仕として卓の間を駆け回ることになった。
客たちは旅の剣士であり真の勇者でもあるエデンが酒場の仕事を手伝っていることにいたく驚いていたが、「これも修行の一環だから」という言葉を受けて得心した様子を見せる。
主人は昨日よりも入念に仕込みをしていたため、その夜はサムハインに料理人としての出番が回ってくることはなかった。
忙しい時間帯を過ぎて店内が落ち着き始めた頃、シェアスールによる演奏が始まる。
インボルクの気分が乗ったのか、集まった客たちの期待に応えたのかは定かではないが、その夜の彼らは昨日よりも多い全三曲を披露する。
いつまた舞台上に引っ張り出されるかと冷や冷やしていたエデンだったが、その日は寸劇が演じられることはなかった。
演奏中は客からの注文は完全にやむため、エデンも落ち着いて曲に耳を傾けることができた。
ふと隣を見たエデンの目に映ったのは、昨日以上に熱のこもったまなざしで団員たちを見詰めるアリマの姿だ。
我を忘れたかのように無心で聴き入る彼女の口が小さく動いていることを見て取ったエデンは、気付くと彼女からそっと目をそらしていた。
鍛冶屋の主人も昼間約束した通り姿を見せており、シェアスールの皆に誰よりも大きな拍手と歓声を送っていた。
「車輪、直さなかったらずっと残ってくれるかい?」
演奏後にそんな調子の良い冗談を飛ばす鍛冶屋に、他の村人たちも「そりゃいい!」「もっと壊しちまえよ!」と口々に賛同を示していた。
満足そうに去っていく客たちを片付けを進めつつ見送り、エデンも遅い夕食を取る。
主人の用意してくれた食事を手に皆の着く卓へと戻れば、シェアスールの団員たちは客たちが去った今も彼らから振る舞われた慰労の酒を傾け続けていた。
「お疲れさまでした。相変わらず奇特な人ですね」
席に着いたエデンに対するシオンのひと言目は、そんな労いともあきれともつかぬ言葉だった。
どちらと言えば後者の色合いが強いように感じられ、エデンは空笑いで応じつつ料理を口に運ぶ。
一方でエデンの隣に腰掛けたマグメルは卓に顎を乗せたまま眉間に皺を寄せ、皿の中身をのぞき込んでくる。
「どうしたの?」
「んー、今日の夕ごはんも緑だった……」
尋ねるエデンに、マグメルは湯飲みの縁を噛みながらふてくされたように答える。
彼女の言う通りに今日提供された夕食も、昨日と同様に野菜と穀物を軸にした緑色の料理が中心だ。
給仕として新たな皿を卓に運ぶごとに、マグメルが露骨に表情を曇らせていたことをエデンは思い出していた。
手早く食事を済ませたエデンは締めの片付けに戻る。
宿の主人、アリマ、ツェレンにエデンが加わったことで、多少ではあったがその夜は昨日よりも早い時間に作業を終える。
主人は深々と頭を下げて礼を言い、アリマとツェレンの二人もエデンの手を取って感謝を示した。
「——ええと、この村の人たちはケナモノは食べないの? やっぱり昨日や今日みたいに野菜が中心なのかな……?」
締めの作業を済ませてひと息ついていたアリマとツェレンに対し、エデンは思い立ったようにそんな質問を投げ掛ける。
エデンの問いを受けた二人は互いに顔を見合わせ、わずかな間を置いて口を開いたのはアリマだった。
「うん、わたしたちはケナモノのお肉は食べないよ。ずっとずっと昔——ご先祖さまの時代からの決まり事なんだ。やっぱり——」
彼女はそこで一度言葉を切り、エデンを正面からじっと見詰める。
「——勇者さま……じゃなかった、エデンもお肉が食べたい……?」
「う、ううん! そ、そうじゃなくて……聞いてみたかっただけなんだ!」
エデンは取り乱したように手を振って否定する。
身分を偽って村へ立ち入った自身らを好意的に迎えてくれたアリマたちにこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。
食い意地が張っていると思われるのも本意ではなく、もしもここで「食べたい」と伝えたなら、親切な彼らは今すぐにでも肉を用意してくれるかもしれない。
それに何より旅をして世界を知るということは、土地土地で異なる文化やそこに暮らす人々の流儀を知ることに他ならない。
この村に滞在している間は村人たちと同じものを食べることが、彼らの生き方に触れる一番の近道だ。
マグメルには申し訳ないが、村を発つまでの残り三日ほどは緑色の料理を食べ続けようとエデンは心に決める。
「変なこと聞いちゃったかな」
エデンの言葉にアリマとツェレンは再び顔を見合わせ、同時に「ううん」「いいえ」と微笑んでみせた。
「じゃあ私はこれで。エデンさま、また明日」
「あ! 待って、ツェレン!!」
アリマは立ち去りかけたツェレンを引き止めると、彼女のそばへ駆け寄り何やら懸命に伝えている。
話を聞くに連れてその表情はみるみる明るくなり、ツェレンは感極まった様子で声を上げた。
「——夢みたい!!」
彼女はそのままマグメルと団員たちの元へ小走りで向かうと、自らも明日の歌の練習に加わりたい旨を告げる。
マグメルたちにもこれを断る理由はないようで、ツェレンは団員たち一人一人の手を取り飛び上がって喜んでいた。
そんな姿を喜ばしげ眺めていたアリマだったが、腕まくりをしながら立ち上がる。
「さてさて! そろそろお風呂沸かしちゃわないと!」
「え、お風呂——今日も入っていいの……?」
旅の間は風呂はおろか、水浴びさえできない日もあった。
それが水でもない湯の風呂に二日続けて入ることができるなどとは思っておらず、エデンは思わず驚きの声を漏らす。
聞けばシェアスールの団員たちは、昼の間に入浴を済ませているらしい。
「林檎亭はお風呂も自慢なんだから! 暖かいお風呂に入って、ゆっくり身体も休めて——それでまた元気に旅を続けてね!!」
得意げに言い、アリマは風呂場に向かって歩き出す。
その途中で振り返ると、彼女はエデンに向かってにこやかに微笑み掛けた。
「今日は助かっちゃった! ありがとう、エデン!! お風呂沸いたらまた声掛けるから!」




