第二百三十八話 幕 間 (まくあい) Ⅰ
「——ちょっと出てくるね」
文机に向かうシオンに向かって告げ、エデンは戸口へと足を向ける。
部屋を出て扉を閉める際にもう一度シオンに目を向けるが、彼女は依然として微動だにせずに窓の外を眺め続けていた。
シオンの考えごとの邪魔にならないように席を外す。
表向きの理由はそれだったが、沈黙に耐えかねてという部分もないとは言えない。
これまで二人で旅を続ける中で、言葉を交わさずに過ごす夜は幾らでもあった。
無言の時間に居心地の悪さを感じたことなど一度もなかったが、なぜか今回ばかりは言葉では言い表せない心苦しさのようなものを覚えずにはいられなかった。
一階の広間へやってきたエデンは、営業の準備を進めるアリマと店内の掃除を行うツェレンの二人を目に留める。
恐らく買い物に出ていたであろう主人も戻った様子で、厨房で食材の仕込みを始めていた。
積み重ねて運んでいた食器を卓に置いたアリマは、不思議そうな表情を浮かべてエデンに声を掛ける。
「どうしたの、勇者さま? ご飯の時間はまだだよ! お腹空いちゃったなら簡単なもの作るけど、どうする?」
「ううん、そうじゃないんだ——」
エデンは小さく首を振って返し、それぞれ開店の準備を行うアリマとツェレンの二人を順に見詰めて申し出た。
「迷惑じゃなかったら、仕事を手伝わせてほしいなって」
アリマとツェレンは顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべてエデンに向き直る。
「勇者さまは——剣士さまでお客さま! それらしくしてくれてたらいいの!!」
「そうですよ、これは私たちの仕事なんですから!」
二人は言葉を選んでエデンの申し出を退ける。
しかしエデンからすれば部屋に戻っても所在がないばかりか、シオンの思索の妨げにもなりかねない。
かなうならば、わずかでも建設的な行動をして時間が過ぎるのを待ちたかった。
そこでエデンは自身が給仕として働いていた経験があること、仕込みなどの作業にも多少の心得があることを告げる。
重ねて学びのためにもぜひ手伝わせてほしいと強く懇願すると、アリマは深く考え込むように目を閉じた。
「……うーん、それじゃお願いしようかな!!」
「いいの? ありがとう——!」
顔を明るくさせて言う彼女に釣られ、エデンも頬を緩める。
礼を言うエデンを前にアリマはツェレンと顔を見合わせ、おかしそうにくすくすと笑い合った。
二人がなぜ笑うのかが理解できず、エデンはその意を問う。
「え……どうかした?」
「だって手伝ってもらうのはこっちなんだよ? それなのにお礼なんて言ったりして、変なの! でもね、さっきお父さんから聞いたんだけど、今夜も楽士さんたちがお芝居や音楽を披露してくれるかもしれないって村中の噂みたいなの! 鍛冶屋のおじさんが触れ回ってるらしくて、きっと昨日よりも忙しくなると思うんだ! だから勇者さまが手伝ってくれるなら本当に助かるよ!!」
エデンの手を両手で握り上げて笑い掛けるアリマだったが、急に落ち着かないそぶりを見せ始める。
「……でもいいのかな? 勇者さまで剣士さまのお客さまにお仕事なんてお願いしちゃって。婆様に怒られたりしないかなあ」
「これは自分の意志だから。アリマが何か言われたら、ちゃんと自分がそうじゃないって伝えるよ」
「うーん……それはそれでありがたいんだけど——」
エデンは頭をひねり始めるアリマに向かって言い添えるが、それを受けてなお彼女は腰に手を添えてうなり続けていた。
ツェレンはそんな彼女の様子をじっと見詰めていたが、やがてためらいがちに口を開く。
「——ねえ、アリマ。婆様ね、厳しそうに見えて自分から進んで名乗り出たり、買って出たりする人には寛容だって話だよ。だから勇者さまがお手伝いしてくださることも怒らないと思うの」
「そう——だよね! こうしてる間にも時間は過ぎていっちゃうし! じゃあ、遠慮なくお願いしちゃおうかな!!」
自信なさげに言うツェレンだったが、アリマは彼女の言葉を受けて納得した様子を見せる。
「何でもやるよ」
「じゃあ、勇者さまは——」
そう言ってアリマは自身の行っていた作業をエデンに引き継ぐ。
昨晩以上の来客に備え、片付けてあった予備の食器をいつでも使えるように準備しておくというのがエデンに与えられた仕事だった。
すでに洗いの済んだそれを一つ一つ確認し、欠けのある物ははじき、汚れのある物は拭き上げていく。
アリマはしばらくエデンの働きぶりを眺めていたが、やがて納得したようにうなずいた。
「それじゃあ、わたしはお父さんと一緒に仕込みをするから、勇者さまはそこに積んである分を全部よろしくね!! 終わったらまた声掛けて!!」
エデンに指示を出し終えると、アリマは腕まくりをしながら厨房へと向かう。
「……その——アリマ! もう一つお願いがあるんだ!」
呼び止められて振り返る彼女に、エデンはかねてから気になっていた件を告げることにする。
掃き掃除を終えて卓を拭き始めていたツェレンも、何事かと首を伸ばして様子をうかがっていた。
「勇者も剣士も——まだちょっと荷が重いかなって。だから、みんなと同じように呼んでくれるとうれしいんだけど……駄目かな?」
エデンの要求を受けた二人は再び顔を見合わせておかしそうに微笑み交わし、続けて二人同時に口を開いた。
「うん、エデン!!」
「はい、エデンさま」
「そっちのほうがやっぱりしっくりくるよ。——ありがとう」
感謝を伝えてエデンは作業に戻る。
アリマとツェレンの二人もおのおのの仕事を再開し、数時間ののちに夕刻の開店時刻を迎えた。




