第二十三話 背 信 (はいしん)
一人酒場を訪れる少年を目にし、主人と給仕はわずかに戸惑いの表情を浮かべていた。
だが事情を話すと直ちに納得したようで、二人は苦笑いをして顔を見合わせる。
当然のことながら、主人も給仕もアシュヴァルが普段以上に酒を飲んでいたことを知っているのだ。
「そんなとこだと思った。強くないんだから」
頬杖を突いて含み笑いに口元をゆがませる給仕に、主人も渋い顔をたたえて繰り返しのうなずきで同意する。
彼は慣れた手つきで鍋を振るうと、手早く二人分の食事を用意してくれた。
代金を支払おうと衣嚢を探る少年に対し、主人は「早く行け」とばかりに手を払ってみせた。
二人分の食事の包みを抱えて酒場を後にし、長屋の方向に向かって大通りに一歩を踏み出す。
アシュヴァルの待つ部屋を目指し、いつにも増して速足で歩き出した。
歩き出した——つもりだった。
ふと気付けば、往来の真ん中で足を止めていた。
周囲を見回すと、そこは昨夜荷車とぶつかりそうになった場所だ。
立ち止まって荷車の走り去った方向を振り返り、往来の中央で固く目を閉じる。
しばしの逡巡ののち、少年は踵を返して走り出す。
アシュヴァルの待つ部屋とは正反対の、昨夜荷車が姿を消した方向に向かって。
帰りが遅くなればアシュヴァルが心配するだろうことは重々承知している。
加えて、彼は世事に疎い自身が一人で町を歩くことを快く思っていない。
そして何より、これ以上あの少女に関わることを許してはくれないだろう。
少しだけ——と自分自身に言い聞かせる。
終業後は手早く水浴びを済ませ、速足で山を下ってきた。
少々寄り道するくらいなら、それほど帰りが遅くなることはないはずだ。
それにどこかの店に立ち寄るわけでもなければ、少女に会えるという保証もない。
荷車の走り去った方向をひと回りし、少しだけ少女を捜してから帰るだけだ。
考えられる限りの言い訳を並べ立てながら、少年は通りを走った。
荷台に積まれていた木箱の中身が商い物であるなら、荷車の主は商人に違いないだろう。
ならば行き先は商店の立ち並ぶ一角の可能性が高い。
部屋と鉱山の往復に酒場を加えた三点が少年の行動範囲だったが、幾度かアシュヴァルに連れられて買い物に出たこともある。
そのときの記憶を頼りに、脇道に視線を走らせながら大通りを駆け抜ける。
飲食店や食材を扱う露店の並ぶ区画を抜け、日用品や嗜好品を扱う商店が軒を連ねる区画へとたどり着く。
店先に積まれた荷物を確かめ、幌の掛かっているものに関しては一つ一つめくって中身を改めた。
商店の関係者に何度も怒鳴られ、追い立てられながら少女を捜し続けた少年は、一軒の店舗の脇に延びる路地に目を留める。
人けのない路地の奥、深く濃い闇のたまったそこに、幌に覆われた金属製の檻を見つけたのだった。
瞬間、胸が大きく脈打つをの感じる。
金属の檻に近づくに従って、鼓動はますます早く激しくなっていく。
一歩一歩と檻に近づく中、脳裏にアシュヴァルの言葉がよみがえる。
『駄目だ』『見なかったことにしろ』
その口から放たれた険しい言葉を思い返し、思わず足を止める。
これまで一緒の時間を過ごしてきて、アシュヴァルが間違っていると感じたことは一度としてない。
もちろん喧嘩っ早く気の短いところはあるが、それでも芯の部分は優しく、困っている人を見過ごすことができない。
出会って日の浅い身で何がわかるのかと問われればそれまでだが、その世話焼きぶりと面倒見のよさを、誰よりもよく知っているという自負がある。
最初に出会ったのが、拾ってくれたのがアシュヴァルでなかったら、今の自分はいなかっただろう。
だからこそ少女と関わるなというその言葉もきっと正しいに違いない。
ここで彼女に関わろうとしなければ、アシュヴァルの言い付けを守れば、少なくとも今まで通りには生きていける。
にもかかわらず、金属の檻へ向かおうとする自らの足を止められない。
震える手を突き出し、少年は檻を覆う幌を勢いよくめくり上げた。