第二百三十五話 連 声 (れんじょう)
昨日の散策の際に見つけた鍛冶屋に案内するため、エデンは団員たちを連れて林檎亭を出た。
何せ小さな村であるため大勢で出歩くのもよくないだろうと、エデンとまだ村の中を見ていないシオン、シェアスールからは団長のインボルクと車夫のベルテインとで鍛冶屋へ向かう運びとなった。
昨日の夕暮れ時とは一転して、村には多くの人々の姿が見られた。
商店では金銭による授受以外にも、物々交換での品物の取り交わしが行われている。
主に農産物や食料品を扱う商店の軒先に並ぶのは、宿の食事で味わった緑色の野菜や穀物が中心だ。
それ以外にも薊の蕾や春菊、蕪にも甘藍にも似た薄緑色の見たこともない野菜などが売られている。
買い物をする人々だけでなく、田畑の行き帰りであろう農具を手にした者たちの姿もあちらこちらに見られた。
当然といえば当然だが、行き交う人々は大人も子供も一人残らず蹄人だった。
その多くがアリマや宿の主人と似て後方に向かって山形に反る角の持ち主だったが、中には彼女らともツェレンとも異なる容姿の者たちも見受けられる。
インボルク、ベルテイン、サムハインの三人が同じ蹄人に含まれながら全く別の特徴を有した種であるように、この村にも幾つかの種が共存していることが見て取れた。
昨夜行われた寸劇と演奏の噂はすでに村中に広まっているようで、人々はインボルクとベルテインに向かってにこやかにあいさつを送る。
子供たちの中にはうれしそうに、あるいははにかみつつ、一行のもとに駆け寄ってくる者もいた。
剣士であり勇者でもあるエデンも村人たちから注目を集める存在であることは変わらず、人々に応えながら目的の鍛冶屋へたどり着くまで、数十分の時間を要したのだった。
「——ありゃ!? あんたたち!!」
インボルクとベルテインを目に留めた鍛冶屋の主人は、手にしていた鎚を取り落としてそんな声を上げた。
聞けば鍛冶屋の主人も昨夜は林檎亭にいたらしく、確かにその顔には見覚えがあった。
シェアスールの演奏をいたく気に入った彼は「ぜひ力にならせてくれ」と一も二もなく修理を引き受けてくれた。
鍛冶屋の主人を伴い、一行は村の門付近に止めてある箱車の元へと向かう。
「今夜もやってくれるのかい?」
「気分が乗れば」
道すがら期待に満ちたまなざしで問う鍛冶屋の主人に、インボルクは素っ気ない調子で答える。
鍛冶屋はそれを受け、豪快に笑って言った。
「それじゃあ今夜も行くしかねえな!」
「ただいま——」
帰宅を告げながら林檎亭の扉を押し開けたエデンは、目に映った光景と耳に飛び込んできた音に思わず足を止める。
「ふん……これは——」
感嘆するように呟くインボルクの声が背中越しに聞こえてくる。
その隣に並んだベルテインもまた、彼の言葉に同意するように「うん」とうなるような声を漏らしていた。
広間にあったのはマグメルと一緒に歌の練習をするアリマの姿だった。
十五弦琴を手にしたルグナサートの伴奏に合わせ、二人は昨夜と同じ歌を歌っている。
歌うと言っても相変わらずそこに歌詞はなく、二人は意味のない音と鼻歌を旋律に乗せていた。
「——あ! エデンたちだ!」
歌が一区切り付いたところで、振り返ったマグメルは戸口にエデンたちの姿を認める。
勢いよく飛び付くと、彼女はエデンに向かって外出の首尾を尋ねた。
「ねえねえ、どうだった? 直るって?」
「うん、ええと——」
「直るとも! 三日もあれば直るらしいぞ! ——今しばらくの辛抱さ! 三日後にはこの辺鄙な片田舎ともおさ……」
答えようとするエデンを押しのけ、マグメルの質問に答えたのはインボルクだ。
だがそこまで言って口をつぐんだインボルクはわざとらしいせき払いを一つ放ち、片目でちらりとアリマを一瞥しながら彼には珍しい取り繕うような口調で続けた。
「……うん——それほど悪いところじゃない! そう、古き良き田園風景というやつだ! たまにはこんな場所で曲を作るのも悪くは——」
「ううん、いいの! 団長さん、あなたの言う通りだよ! 辺鄙なのも本当! 田舎も本当! 毎日退屈で……嫌になっちゃう——」
インボルクの言葉を遮って明るく言い放つアリマだったが、不意に消沈したように項垂れてしまう。
だがその直後、頭をぶんぶんと左右に振った彼女はいつもの笑顔を取り戻して言葉を続けた。
「——でもね! こうして勇者さまや吟遊詩人のみんなが来てくれて、わたし今すっごく楽しいの! この村で生まれて、この年まで生きて、こんなに楽しかったことって初めて!! 待っててこんなに楽しいことがあるなら、この村も捨てたものじゃないって思えちゃう!!」
彼女はひと息で言うと、エデンの首に両手でぶら下がるようにして体重を掛けるマグメルに向かって小さく微笑んでみせる。
「今ね、マグメルちゃんお願いして歌を教えてもらってたんだ。まだうまく歌えないけど、とっても楽しくて——」
「ううん、そんなことない!」
それを聞いたマグメルは飛び跳ねるようにエデンの元を離れ、アリマの言葉を否定するように左右に首を振る。
彼女はアリマの腕に自身の腕を絡め、一行に向かって我がことのように誇らしげに言った。
「アリマちゃんね、すっごく上手なんだよ! ちょっと教えたらすぐに歌えるようになっちゃったの!」
「そ、そんなことないよ! わたしなんて——」
「そんなことあるの!」
両手を振って謙遜気味に言うアリマだったが、マグメルは懸命に反論してみせた。
「——看板娘。君の歌、もう一度聞かせてくれないか?」
言いながらエデンの脇を通り過ぎ、広間へと足を踏み入れたインボルクは十五弦琴を抱えたルグナサートの隣に椅子を引いて腰掛ける。
「そんな……で、でも——」
「ほら! アリマちゃん!」
恥ずかしそうに背中を丸めてしまうアリマの肩をマグメルが揺する。
インボルクはそんな二人をじっと見据えていたが、無言で隣のルグナサートの背に触れた。
その意を察した彼が十五弦琴を爪弾き始めると、戸惑うアリマを導くようにマグメルが先行して歌い始める。
やがて観念したのかアリマはおずおずと口を開き、マグメルに合わせて歌い出した。
しばらくは同一の旋律を声をそろえて歌っていた二人だったが、歌の途中でマグメルが互いを指先で指し示す。
自身に向けた指を上向きに、アリマに向けた指先を下向きに振ると、二人は音程を変えて歌い分け始める。
共鳴するように重なり合って響く両者の歌声は、昨日会ったばかりとは思えないほどの見事な調和を作り出していた。




