第二百三十四話 嗜 好 (しこう)
翌朝、エデンたちは宿の主人が用意してくれた米粉の麺を朝食として口にしていた。
さまざまな野菜や根菜を煮込んで取ったであろう出汁が持つほのかな甘みに、香草や香味の強い生野菜類が爽やかな風味を添えている。
淡泊だがうまみを多分に含んだ汁は、柔らかで喉越しの麺と非常に相性よく感じられた。
エデンたちが食事を終えたと見るや、主人は何やら褐色をした豆のようなものを石臼でごりごりと音を立ててひき始める。
粉状になったそれを鍋で煮出し始める彼を、エデンは訳もわからず眺めていた。
そんなエデンを前に、椅子に腰掛けて休憩していたアリマが言う。
「お父さんの入れる珈琲、村のみんなにもすごく評判がいいんだよ」
「こーひー?」
「炒った珈琲の木の種子を破砕し、その成分を煮出して飲む嗜好飲料です。先生も好きで度々口にしていました」
アリマの告げた未知の呼称を繰り返すように呟くエデンに、シオンがその詳細を説明してくれた。
主人は底に細かい穴が無数に空いた金属製の容器を使い、粉状にした珈琲に湯を通していく。
液体がぽたぽたと滴下するのを待って、彼はそれを人数分の陶器の鉢に注いでいった。
「いいね、僕も嫌いじゃないぞ」
「ですねえ、なかなかの香りじゃあないですか」
インボルクが目を細めて言えば、サムハインもほれぼれとした表情で中空に鼻を利かせている。
確かに彼らの言う通り、広間には香ばしい匂いが漂い始めていた。
アリマによって卓に運ばれたとても飲み物とは思えないそれに、エデンは若干の戸惑いを覚える。
黒々とした液体の注がれた鉢にまずは鼻を、次いで恐る恐る口を寄せた。
「に、苦——」
「……うぇー! にがーい!! 何これー!?」
エデンが呟くと同時に、マグメルの叫びが辺りに響き渡る。
眉間に皺を寄せて舌を出した彼女は、忌避するかのように鉢を自身から遠ざけた。
アリマの入れてくれた水を口直しとばかりに勢いよく飲み干すマグメルを横目に、シオンと団員たち四人は黒い液体を事もなげにすすっている。
「——シオン、飲めるの?」
「珈琲は感性を研ぎ澄ませる知者の飲み物ですから」
尋ねるエデンに対し、わずかに顎を突き上げたシオンはどこか得意げにも見える表情で言う。
エデンは目を閉じて慣れた手つきで鉢を傾ける彼女と、めいめい香りや味を楽しむインボルクたちを順に見やった。
「よし……!」
声に出して覚悟を決め、もう一度改めて鉢に口を付ける。
シオンに倣って目を閉じた状態で口に含んでみれば、香ばしい苦味の後に柑橘を思わせる酸味が口内に広がるのがわかる。
含んだそれを口の中で転がしているうち、舌先に苦味でも酸味でもない味わいを感じた気がする。
だがそれを言い表す言葉を知らないエデンには、頭をひねって声ならぬ声を上げることしかできなかった。
「——うーん……」
「ふふふ」
自身も珈琲を口にしながら、アリマが愉快そうに笑みをこぼす。
立ち上がって厨房へ向かった彼女は、取っ手と注ぎ口の付いた水差しと小さな壺のようなものを手にして戻ってくる。
アリマはマグメルが遠ざけた鉢の中に壺からつまみ上げた茶色い塊を放り込み、次いで水差しから白い液体を注いでみせる。
「これね、お砂糖と豆乳。——マグメルちゃん、飲みやすくなったと思うから試してみて」
「んー、ほんとに……?」
白茶色に染まった珈琲を勧められたマグメルは半信半疑といった様子で渋々手を伸ばし、超手で抱えた鉢をそっと口に運ぶ。
「——ん!!」
声を上げてうなったとか思うと、彼女はたちまち顔を明るくさせる。
「うん、おいしい! にがくなくなった!!」
「よかった。わたしもね、子供の頃はそれじゃないと飲めなかったんだよ」
先ほどまでとは打って変わり、うれしそうに鉢の中身をすするマグメルと笑顔で応じるアリマを見て、エデンも小壺の砂糖と水差しの豆乳を自身の鉢に投じてみる。
「……本当だ! 飲みやすくなって——苦さもちょうどいいや」
砂糖と豆乳のおかげで独特の苦味が抑えられ、酸味も和らいで優しい味へと変わっている。
それでも珈琲の持ち味が完全に消えてしまったわけではなく、まろやかな甘味に苦味と酸味が程よく調和しているように感じられた。
「あたし、もっとあまいほうがいい!」
そう言ってさらに二かけらの砂糖の塊を追加で投入するマグメルを見て、インボルクはあきれたような笑みを浮かべて肩をすくめていた。
両手で鉢を抱えて珈琲を味わっていたエデンは、ふと砂糖の小壺に手を伸ばすシオンの姿を目に留める。
エデンの視線に気付いた彼女はどことなく落ち着かない様子を見せたのち、何も聞いていないにもかかわらず弁解めいた言葉を並べ立てる。
「——いえ、これは……物は試しというか、何事も自身で確かめてみなければ分からないからであって……決して苦いというわけでは——」
そこまで言って黙り込んでしまったシオンは結局自身の鉢に三つの砂糖を沈め、縁までたっぷりと豆乳を注いでいた。




