第二百三十三話 水 戯 (すいぎ)
三段飛ばしに階段を駆け下りる途中で布のようなものに足を取られて転びかけるも、急ぎ起き上がって風呂場へとひた走る。
走りながら横目に広間を見れば、そこには残っていはずのた団員たちの姿はない。
悪い予感を感じながら広間を抜けて一階の奥へ向かったエデンは、風呂場であろう部屋の戸口からその中をのぞき込む団員たちとアリマの後ろ姿を認めた。
「——シオン!!」
その名を呼びつつ風呂場へ飛び込んだエデンが目にしたのは、脳裏に浮かんだ最悪の事態からは程遠い光景だった。
湯を張った木製の大桶の中には、全裸でもつれ合うシオンとマグメルの姿がある。
「ひゃ——や……やめてください!! やめ——」
「えへへ——! いいじゃん、もっとくっつこうよ!!」
「——だからやめて……やめ——触らないで!!」
シオンが必死に逃れようとすれば、マグメルは離すまいとしてぴったりと張り付く。
二人が暴れるたびに、風呂桶の縁からは波打った湯が勢いよく溢れ出ていた。
インボルクら四人が何ごともなかったかのように広間へと引き返したため、エデンとアリマだけがその場に残される。
「——えへへへ、うふふ」
「お願い——! ……だめ——」
ひしと抱き付いて頬擦りをするマグメルから激しく身をよじって抵抗していたシオンだったが、がぜんとして言葉を詰まらせる。
風呂場の戸口、エデンとアリマの立っている方向を勢いよく振り向いたかと思うと、彼女は恐慌を来しでもしたかのように上ずった声を上げた。
「——だ……だだ……誰ですかっ!?」
風呂桶の縁に取り付き、目を細めて自身とアリマを見据えるシオンに、エデンは恐る恐る名を名乗る。
「その……エデンだけど」
「なっ……!!」
エデンの名乗りを聞いたシオンは、マグメルを絡み付かせたまま風呂桶の中を後退る。
そして頭の先まで漬かり込むように、湯の中に身を沈めてしまった。
「ご、ごめん……! その、すぐに出ていくから……!!」
聞こえているか聞こえていないかはわからなかったが、エデンは湯中のシオンに向かって告げる。
「そう、ええと……上にいたら声が聞こえて、それで心配になって——」
「……いいから出ていってくださいっ!!」
「——う、うん! わ、わかった……!!」
続けて事ここに至る経緯を説明するエデンに対し、顔に髪を張り付けながら湯から頭を出したシオンは焦れたように言う。
彼女の必死の言葉を受け、エデンは慌てて二人に背中を向ける。
「仲いいんだね、あの二人」
風呂の戸口の近くで一連の流れを眺めていたアリマは顔をほころばせると、おかしそうに言って広間へと戻っていった。
「……そう——なのかな」
一人取り残されたエデンはそう呟き、自身も風呂場から広間へと足を向けた。
歩きながらふと脳裏をよぎったのはローカのことだ。
飄々として捉えどころのない個性の持ち主である彼女がもしもこの場に居合わせたなら、一体どのような反応を見せただろうか。
一見して正反対にも見える性格のマグメルとの間に、友誼を図ることができただろうか。
彼女が姿をくらまさなければ自身が旅立つこともなく、こうしてマグメルに出会うことも当然なかった。
少女三人が邂逅していたかもしれない可能性に思いをはせつつ広間を通り抜けていたところ、エデンは無造作に床に放り出された布のようなものに目を留める。
「これ——」
そばまで歩み寄って拾い上げたところで、エデンはそれが先ほどまでマグメルが身に着けていた衣服だと気付く。
見ると脱ぎ散らかされた衣服は二階まで点々と続いており、エデンはそれを拾い集めながら階段の踊り場辺りまで進んだ。
軽く畳んだそれらを手に、広間の卓に掛ける団員たちの脇を通り過ぎ、再び風呂場へと引き返す。
「その……マグメル?」
言いながら今一度風呂場をのぞき込んだエデンは、二人の姿を風呂桶の中ではなくその手前の洗い場に認める。
「……ほら! じっとしていてください!」
「んー、くすぐったいー!!」
そこにあったのはマグメルの頭を抱え込むようにして髪を洗ってあげているシオンと、こそばゆげに身体をくねらせるマグメルの姿だった。
手探りで探し当てた手桶に湯をくんだシオンがその中身を頭から浴びせると、マグメルは「わあ」と小さな叫びを漏らす。
「これ、服——」
そう言ってエデンが戸の脇に衣服を置いたところで、頭を振って水気を払っていたマグメルはようやくその存在に気付く。
「エデン! エデンもいっしょに入る?」
「——入りません!」
シオンは嬉々として声を上げる彼女の頭にもう一度湯を浴びせかけたのち、エデンに向かっていら立ち交じりの口調で告げた。
「いいからそこに置いておいてください!」
「あ……う、うん——!」
先ほどと同じようにとっさに裸の二人から顔をそらし、エデンは慌ただしくその場を後にする。
「今度はシオンの番! あたしがあらってあげる!!」
「私は結構です——! 自分でできますので……!」
風呂場から漏れ聞こえる二人のやり取りを背中に聞きながら自室へと戻る途中、エデンは仕事を終えて宿から去るツェレンの後ろ姿を目に留めていた。
「お疲れさま」
「勇者さまもおやすみなさい」
エデンが声を掛けると、振り返った彼女はそう答えて深々と頭を下げた。
自室に戻ったエデンは二人が戻ってくるのを待ち、彼女らと入れ替わりに自身も風呂場へと向かう。
入浴を済ませて部屋に戻ったときには、シオンとマグメルは一つの寝台で身を寄せ合うようにして眠っていた。
その夜は寝台を一人で悠々と使い、エデンも眠りに就いたのだった。




