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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第三節 「旅人は憩いて調べを奏で」
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第二百三十一話  守 歌 (もりうた)

 食前のあいさつをし、エデンとシオンも料理に手を伸ばした。

 野菜と穀物中心の食事に物足りなさを感じなかったかと問われれば、空腹に食い出のある料理が欲しい気持ちも幾分かはある。

 それでも緑色の料理の数々に、味気ないと感じることは最後までなかった。

 それぞれに素材の味を生かした味付けがなされており、食感や冷温の差も十分に楽しむことができたからだ。

 数度のお代わりののち、食事を終えたと思っていたエデンたちの前に食後の茶と茶菓子が用意される。

 林檎の紅茶とともに提供された生姜風味の焼き菓子も、当然のごとく柑橘の皮が練り込まれた緑色の仕上げだ。

「なんか食べたような食べてないような感じ」とは、食事を終えたマグメルの感想だった。



 ひと仕事を終えて満足げな表情で戻ってきたサムハインも団員たちと一緒に食後の茶をすすり、卓の向かいではシオンが取り出した手帳に何かを書き入れている。

 周囲を見回せば他の客たちも食事を終えて茶や酒を楽しみつつの歓談のひと時を過ごしており、アリマとツェレンの二人は徐々に空になった皿の下膳を始めていた。


「頃合いだ」


 そう言っておもむろに立ち上がったのはインボルクだ。

 彼は卓の脇に置きっ放しになっていた木箱から自身の楽器を取り出し始め、それを見た他の団員たちも彼に倣っておのおの自身の楽器を手に取った。


「あたしも!」


 マグメルも飛び跳ねるように椅子から立ち上がって木箱の中へ手を伸ばそうとしたが、インボルクは軽く舌を打って彼女を制する。

 マグメルは何かを察したかのように「うん!」とうなずき、差し伸ばした手を引っ込めた。

 音合わせを始める団員たちに気付いた客たちがにわかに騒めき始める中、マグメルは一人広間の隅で壁に向かっている。

 身体を伸ばしたり首を回したりなどしたのち、彼女は「あーあー」と確かめるように声を出していた。

 興味深げに様子をうかがっていた客たちに対し、音合わせを終えたインボルクが落ち着いた調子で告げる。


「芝居は文字通り茶番、音楽こそ我らが本領さ。今ここにいる皆は幸福だ。シェアスールの奏でる音、とくと楽しんでくれたまえ」


 インボルクの視線を受けて演奏の口火を切ったのはサムハインだった。

 彼は手にした提琴を、弓を使わず指先ではじいて奏で始める。

 その緩やかな拍節は以前に聞いたどの曲とも異なっていた。

 サムハインの爪弾く提琴に続く形でベルテインの片面太鼓、インボルクの手風琴、ルグナサートの十五弦琴の音色が加わったところで、身一つのマグメルが卓の間に進み出る。

 普段の陽気で溌溂とした印象の彼女からは考えられない優雅な物腰で一礼したと思うと、マグメルは演奏に合わせて歌い始めた。


 歌といってもその歌声は歌詞を伴わず、旋律に意味のない音を乗せた歌唱法だった。

 時に口を閉じ鼻歌を交えながら、彼女は団員たちの奏でる優しく穏やかな旋律に歌声を重ねていく。

 緩やかな拍子に乗せ、反復して繰り返されるどこか悲しみを帯びた旋律からは、聞く者の精神を澄ませ、ささくれ立った心を静めるような心地良さを感じる。

 音楽のことを全く知らないエデンでも、それが恐らく子供をあやし、寝かし付けるための子守唄なのであろうと想像し得る音色だった。


 演奏を終えた五人の団員に、客たちから拍手が贈られる。

 中には涙を流している者の姿も見受けられた。

 先ほどの寸劇の際と大きく異なることがあるとすれば、その拍手も涙も決して誰かにたき付けられたものではなく、客たちの間から自然に生まれたものだという点だ。

 客たちに加えて作業の手を止めて演奏と歌声に聞き入っていたアリマとツェレンも、厨房の中の主人も、そしてエデンとシオンも団員たちに向かって心からの拍手を贈った。


「——へへへ、どうだった?」


 照れくさそうに頭をかきながら卓に戻ってくるマグメルをエデンは笑顔で迎える。


「歌も歌えるんだ! すごく上手だったよ、驚いた」


「ほんとは詞があるんだけどさ、急だったからわすれちゃった——! 後でちゃんとルグナサートから聞いとかないと!」


 見事な歌声を褒めるエデンに対し、マグメルは舌を出し首をすくめながら言う。

 何も違和感はなくはなからそういうものだと思って聞いていたとエデンが伝えると、彼女はにかむような笑みを浮かべていた。


「すっごーい!! すごいすごい! わたし、感動しちゃった!!」


 そう言ってエデンたちの卓へ駆け寄ってきたのはアリマだった。

 彼女は隣の卓から空いていた椅子を引っ張ってくると、前後逆向きのそれにまたがるように腰掛ける。


「芸人さんかと思ってたら本当に詩人さんなんだね!! とってもすてき……!」


 両手で抱えた背もたれの上に顎を乗せ、アリマは深く感じ入るように続けた。


「えっと、マグメルちゃん——だっけ?」


「そうだよ」


 アリマは確認するようにマグメルに声を掛け、答える彼女を目を輝かせて見詰める。


「歌、すごくうまいんだー! わたしもあんなふうに歌いたいなー! お店じゃでっかい声張り上げてるだけだもん——!」


「へへ」


「本当に本当にすてき!!」


 満更でもない様子で微笑むマグメルに改めて感想を伝えると、アリマは続いてインボルクらに椅子を向けて言う。


「演奏もとっても上手!! 本で読んだことはあったけど、自分の耳で聞くのとじゃやっぱり全然違うね!!」


「お褒めに預かり恐悦至極、楽士冥利に尽きるとはこのことだね」


 アリマの賞賛の言葉に団員たちは顔を見合わせ、インボルクが代表して謝辞を述べた。


「——あ! いけない!! 仕事に戻らなくっちゃ!!」


 彼女は声を上げて椅子から飛び跳ねるように立ち上がると、一人片付けを進めているツェレンを申し訳なさそうな顔で見やる。


「じゃあまた後で! 片付けが済んだらお風呂の用意するから!!」


 そう言って一度は卓から離れたアリマだったが、立ち止まって引き返しては使っていた椅子を元の卓に押し戻す。

 そして去り際にマグメルを見下ろすと、目を細めた彼女は相好を崩して言った。


「歌、また聞かせてほしいな!」


「もちろん!」


応じるマグメルに笑顔を返し、アリマは片付けに戻る。

両手を合わせてツェレンに謝罪の意を伝えたのち、彼女は手際よく下げ物を進めていった。


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