第二百三十話 食 卓 (しょくたく)
身だしなみを整えるシオンを待つ間、エデンは吹き抜けに面した廊下から下方を眺めていた。
部屋を出たシオンも変わらぬ盛況ぶりを見せる階下の光景を見下ろし、目を丸くして驚きをあらわにする。
「こんなに騒がしかったのですね」
「さっきはもっとにぎやかだったんだよ! ね、ゆうしゃさま?」
「勇者さま、ですか? 剣士さまではなくて?」
「そ、その、いろいろあってさ」
先頭に立って階段を下りていたマグメルがにやりと頬を緩めて振り返る。
今に至るまでの事情など知る由もないシオンは、釈然としない様子で小首をかしげてみせた。
マグメルは困惑顔で応じるエデンの手首を握ったかと思うと、一段飛ばしで階段を駆け降りていく。
「行こ! ゆうしゃさま!」
「うわっ! ま、待って——!」
広間には六つの卓が並んでおり、全てが満席なのは先ほどから変わらなかった。
シェアスールの面々の着く卓も酒を勧めようとする者や話を聞こうとする者たちので混み合っていたが、下りてくるエデンら三人に気付いて席を譲ってくれた。
「つめてつめて! エデンはここ!」
ルグナサートの隣に腰掛けたマグメルは、隣の椅子を手で打ってエデンを招く。
シオンは「お邪魔します」と断りを入れ、インボルクとベルテインの間にかしこまった様子で腰を下ろしていた。
「あれ? サムハインは?」
怪物——ではなく、料理頭の姿が卓にないことに気付いたエデンは辺りを見回しながら誰にともなく尋ねる。
無言のまま親指で厨房の方向を指し示すのは、真向いに腰掛けていたインボルクだ。
立ち上がって厨房をのぞき込めば、そこには宿の主人と並んで意気揚々と鍋を振るうサムハインの姿がある。
酒杯片手に肩をすくめたインボルクは、あきれの色を多分に含んだ苦笑いを浮かべて言った。
「料理が間に合っていないのが見ていられないのだとさ。——別に飢えている客がいるわけでもあるまいに。おとなしく飲み食いさせてもらっていればいいものを、まったく物好きな男だ」
目の回るような忙しさは、シェアスールの寸劇による集客の成果なのだろうか。
常日頃の営業風景を知らない以上はなんとも言えないが、入れ代わり立ち代わり団員たちに酒を注ぎにやってくる客たちを見れば、客寄せの効果が出ているのではないかと考えさせられる。
無理やり参加させられたとはいえ、筋書きを大幅に乱し、芝居の質を著しく下げてしまったことに対して心苦しく思う気持ちがないわけではない。
総じて成功だったと言えるのならば、酒の力と子供たちの純粋な反応、そして何よりシェアスールの団員たちの有する華あってこそだろう。
特にインボルクの人気はめぼしく、老若問わず多くの女たちが途切れることなく彼の元を訪れていた。
「勇者さま!!」
突然背後から声を掛けられ、エデンは慌てて後方を振り返る。
過分な呼称を自らのことと認めているようで気が引ける思いはあったが、呼ばれた以上は応えないわけにはいかない。
背後に立って見下ろすのは、器用にも両手で幾つもの酒杯を握ったアリマだった。
「な、何かな?」
「ね、勇者さまもこれでいい?」
「ええと、自分とこっちの二人は——」
両手の酒杯を視線で示す彼女に対し、酒以外の飲み物を希望する旨を伝える。
ほんの一瞬意表を突かれたような表情を浮かべるアリマだったが、「かしこまりました!」と看板娘らしい愛嬌に溢れた笑みで応じて卓を離れる。
手の中の酒杯を手早くさばいた彼女は、すぐに三人分の飲み物を届けてくれた。
「——ととっ、はい! お待たせ!!」
そうこうするうち、両手のみならず前腕にまで大皿を乗せたアリマが左右の手を釣り合わせて料理を運んでくる。
彼女は料理の盛られた大皿を次々と卓上に並べ、それぞれを示しながら紹介を口にする。
「まずはこれ! 生の萵苣菜と水芥子の盛り合わせ! それからこっちがゆでた芽花野菜と松葉独活のあえ物で、こっちは本日一番人気の葱の炒め物ね! それでこれが薄荷と炊いたご飯!! まだあるからちょっと待ってて——」
一度卓を離れて厨房に引っ込んだアリマは、新たな料理を手にして戻ってくる。
「はい! 菠薐草の汁物。こっちの香芹を練り込んだ麺麭は橄欖の油を付けて食べるとおいしいよ! こっちに取り皿も置いとくから使って!」
よどみない口調で説明を終えた彼女は、他の卓からの注文をそらんじながら足早に厨房へと戻っていった。
「こ、これって……」
アリマによって目の前に並べられた料理の数々を眺め、エデンはあぜんとして呟く。
丁寧な盛り付けからは主人の実直な性格がうかがえ、さまざまな調理法が用いられていることから手の込みようもひと目でわかる。
それぞれが突き出しや前菜として供されたのであれば驚くこともなかっただろうが、例外なく緑色をした料理で卓一面が占められる様子には言葉を失わざるを得なかった。
自分たちの卓だけに起きた変事なのかと周囲を見回すが、他の卓の客たちが口に運ぶそれも、アリマとツェレンの配するそれも、厨房の主人が振るった鍋から舞い上がるそれも、ことごとく緑一色に染まっていた。
「どれもこれも緑……」
ずらりと並ぶ緑色の料理の数々を前に、卓の縁に顎を乗せたマグメルが露骨に眉を曇らせて言う。
同じく辟易したような表情を浮かべて食卓を見下ろすインボルクとベルテインの向かい側では、一人ルグナサートだけが屈託のない笑顔を浮かべていた。
「——とてもいい香りです。せっかくですから温かいうちにいただくとしましょう」




