第二百二十七話 狂 詩 (きょうし) Ⅱ
「……そ、そんなの聞いてないよ! マグメル、君からも何とか言って——」
肩を抱くインボルクの耳元に向かってエデンは訴えるが、彼は正面を向いたまま知らぬふりを貫き通す。
続いて助けを求めるような視線をマグメルに投げ掛けるが、彼女もまたその顔にインボルクとよく似た意地の悪い笑みを浮かべていた。
悪い予感を感じたのもつかの間、気付くと彼女はエデンの後方に回り込んでいた。
「はい! 行ってらっしゃい!!」
マグメルによって背中を押され、エデンは客席の間の花道をよろめきながら通り抜け、そのまま舞台へと躍り出る。
「真の勇者!」「勇者さま頑張って!!」
強制的に団員たちの立つ舞台へと引き出されたエデンに対し、客席からは拍手とともにそんな声援が飛んでいた。
エデンは期待に満ちた視線を注ぐ観客たちを舞台上から見渡し、次いでその後方で含み笑いを浮かべるインボルクとマグメルに対して一瞥を投げる。
そして肩を落とし、小さなため息をついた。
「……どうにでもなれ、だよね」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、エデンは覚悟を決めて怪物に向き合った。
「か——怪物め! 真の勇者が相手になるぞ!」
演技などしたこともなかったが、エデンは見よう見まねで即興の台詞を口にする。
観客たちから「おお」とどよめきが漏れると同時に、シェアスールの面々がにやりとほくそ笑むのが見て取れた。
「真の勇者殿が現れたぞ!! これぞ天の助けだ!!」
ベルテイン扮する王は言ってエデンの肩を抱いたかと思うと、観客たちに背を向けていたその身体をひねって正面に向き直させる。
「それでこそ真の勇者さまです! 元勇者さまは真の勇者様さまに伝説の剣を! これ以上は持ちませぬ、この国も——間も!!」
「——はっ! 姫!!」
姫の言葉に応じ、インボルクは客席の間を舞台に向かって走り抜ける。
エデンに対してひざまずいた彼は、手にした伝説の剣の半分をうやうやしく差し出した。
「真の勇者殿、これをお受け取りくだされ!」
「真の勇者さま! 受け取りましたね? 受け取ったのなら、その伝説の剣で怪物を退治してくださいませ! それで万事解決——めでたく大団円です!」
「う……うん、わかった——じゃなくて、分かりました……!」
姫の言葉にそう応じると、エデンは受け取ったそれを怪物に向かって恐る恐る突き出した。
怪物はエデンと自身を交互に手で示し、剣を振る動きに身をかわすしぐさ、斬られて倒れる立ち回りなどを素早く指示してみせる。
それがこの後の段取りであることはエデンにもすぐにわかった。
姫の言った通り、真の勇者である自身がサムハイン演じる怪物を討って芝居は幕だ。
エデンは怪物に対して小さなうなずきを送ったのち、手にした伝説の剣をもう一度構え直した。
「姫を守るために戦って……怪物を退治する——」
確認のために呟くエデンの脳裏に、昼の間に交わしたインボルクとの会話がよみがえる。
「——守る、戦う——殺す……」
剣を構えたままぼそぼそと繰り返し呟くエデンに対して気遣いの言葉を投げ掛けたのは、姫でも王でも元勇者でもなく、面と向かって相対する怪物だった。
「ふはは、勇者よ! どうした、何か心配事か!? ……大丈夫か?」
「……その、君とは今日ここで初めて会ったばかりだよね? 自分は君のことを何も知らないんだ。……どんな悪いことをしていたのかも、本当は何を求めているのかも」
「はあ!? 兄さん、あんた何言って……」
すっとんきょうな声を上げる怪物に向かって、エデンは中断することなく言葉を続ける。
芝居をしていたことなどすっかり忘れ、脳裏に浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。
「わからないんだ。自分が剣を握る意味……戦いたいし守りたい、でも本当にそんな——覚悟があるのかって聞かれたら、やっぱり今の自分には答えられないよ。でも、何も知らないじゃ言い訳にはならなくて——」
「おーい、兄さん!? じゃねえや、真の勇者! ……おい、勇者! 戻ってこい!!」
「あ——」
サムハインの呼び掛けを受けて我に返ったエデンは、怪物に向かって感謝の言葉を告げる。
「——う、うん、大丈夫。ありがとう」
そして思い立ったように剣を下ろすと、おぼつかない手つきで鞘に納めるようなをしぐさをしてみせた。
自身の後方で成り行きを見守る元勇者たちを順に見やったのち、客席を見渡す。
そして再び怪物に向き合ったエデンは、わずかに芝居を意識した口調で口を開いた。
「君と話がしたいんだ。まずは君のことをもっと聞かせてほしい。今からじゃ——話し合うことってできないのかな……?」
エデンはそう言って周囲を見回し、最終的に自身の手の中のものに視線を落とした。
「よかったらこれ……一緒に食べよう」
エデンはそう言って伝説の剣——ではなく葱を怪物へと差し出す。
「……その——これはもう剣に見立てているんじゃなくて、ええと、本物の食べ物ってことで——そう思って見てほしいんだ」
目の前の怪物と観客たちに対し、エデンは言い訳がましく言い添える。
観客たちは訳がわからないといった様子で眺めていたが、怪物はエデンの前へとおもむろに進み出る。
「……葱は——」
言って半分になったそれをうやうやしく受け取ると、怪物は深々と頭を垂れながら言った。
「——油でさっと炒めて、塩で食うのが一番でさ」
観客たちの多くがぽかんと大口を開けてあっけに取られたかのように二人を眺める中、インボルクは颯爽と舞台の面に躍り出る。
観客たちに背を向けた彼は大げさな動作で勇者と怪物を押しのけたと思うと、袖に引っ込もうとするエデンに向かって目配せをしながら小声でささやいた。
「——なかなかの名演だったぞ、勇者君。締めは僕に任せろ」
皮肉な笑みを浮かべて言うと、彼は懐に忍ばせていた皿を取り出して顔面にあてがい、くるりと優雅な動作で客席を振り返った。




