第二百二十六話 狂 詩 (きょうし) Ⅰ
目に飛び込んできた広間は先ほどまでとは異なる様相を呈していた。
等間隔に配置されていた卓は壁際に寄せられ、椅子は横一列に並べ直されている。
酒杯を手にした客たちは同じ方向を向いて腰を下ろしており、最前列には子供たちが陣取っているところが見て取れる。
宿の主人も客たちの後方に腰を据え、アリマとツェレンの二人も壁際に立って同じ方向を眺めていた。
帰りに気付いて立ち上がろうとする主人を手ぶりでもって制すと、エデンもマグメルと共に客たちの後方に並ぶ。
夕餉の卓が帰りを待ってくれているとばかり思っていたため面食らった感覚は否めなかったが、困惑を抱いたまま客たちの視線の注がれる先をたどる。
広く取った空間を舞台代わりに、芝居掛かった口調で台詞を朗じていたのはインボルクらシェアスールの四人だった。
「国王陛下……いいえ、お父さま! 姫は進んでこの身を捧げます! どうか私がいなくなっても悲しまないでくださいませ……!」
翼で頬を覆って科を作り、哀愁を含んだ声音で語るのはルグナサートだ。
面紗代わりに卓布を頭からかぶった彼は、涙をこらえるようなしぐさでくずおれる。
「おお、姫よ!! 儂は其方を差し出さねばならぬ宿命を呪うぞ!! 何故儂は愛する娘の死に往く様を見なければならぬのだ!?」
周囲の空間を余す所なく使い、存分に巨躯を生かして嘆きを表現するのはベルテインだった。
抑えが利きながらも深く響く堂々たる低音は、普段の口数少ない彼が別人に思えるほどだ。
肩掛けとして使用している卓布に加えて頭に乗せた小さな五徳から、演じる役回りが君主の類いであることが見て取れる。
手にした掃除用具は、おそらく王笏か何かの代用だろう。
「お待ちくだされ!! 美しく黒き姫よ!!」
抱擁を交し合う二人を、吹き抜けになった二階の廊下から見下ろして言うのはインボルクだ。
見上げる観客たちの視線を一身に集め、大仰なしぐさでもって廊下の手すりに足を掛ける。
そのまま飛び下りるのかと思いきや、ちらりと階下を一瞥した彼は肩掛け代わりの卓布を翻しながら小刻みな足取りで階段を駆け下りる。
インボルクはくずおれたルグナサート——姫の前にひざまずくと、そっと翼を取って言った。
「姫よ、死に急いではなりませぬ!! 勇者であるこの私が貴女をお救い致しましょうぞ!! 我が手にこの伝説の剣ある限り、悪しき怪物などに決して負けは致しませぬ!!」
インボルク扮する勇者は肩掛けを払って腰に差した剣——ではなく、おそらく厨房から拝借したであろう一本の葱を高々と掲げてみせた。
「おお!! 勇者殿!! 伝説の剣をもって娘の命を救ってくだされ!!」
「ご心配召されるな、国王陛下!! 勇者たるこの私にお任せを!! 我が命に代えても姫をお守り致します!!」
「ああ、勇者さま……!」
膝を突いて王にかしずく勇者に歩み寄ろうとする姫だったが、不意に足を止めて黒色の翼で宿の出入り口を指し示す。
「勇者さま、お優しいお方!! 怪物が、恐ろしい怪物がやってきます!! 私のことは捨て置いてくださって構いません!! どうか、どうかお逃げくださいませ!!」
姫の指し示す先に客たちの視線が一斉に注がれる。
同じように戸口を振り返ったエデンが目にしたのは、扉を開け放って現れるサムハインの姿だった。
三人のような扮装に身を包みはしていないが、肩を大きく怒らせた彼は二本の腕を空中にさまよわせながらうなりを上げている。
「がははははっ!! 何が勇者だ!! 何が伝説の剣だ!! 笑わせる!! 姫もろともこの怪物さまが食ろうてやるわ!!」
サムハイン演じる怪物は客席の間を駆け抜けて舞台へ躍り出ると、伝説の剣を手にした勇者と相対する。
勇者と怪物が舞台の上下に分かれて向かい合う構図を認めた姫と王は、階段下の袖へ速やかにはけて見せ場を譲った。
「我が剣にて貴様を討つ!! いざ覚悟、面妖かつ何かと小うるさい怪物よ!!」
剣を振りかぶった勇者と牙を突き出した怪物が舞台の中央で交差する。
互いの方向に向き直ったのち、がくりと膝を突くようにして崩れ落ちたのは勇者のほうだった。
手に握った伝説の剣も、中ほどから先が失われてしまっている。
「——ふははは!! それが伝説の剣とやらの力か!! 他愛ない!! 他愛なさ過ぎるぞ!! わははははは!!」
怪物は広間中に響き渡る高笑いを上げると、勇者から奪った剣の半分をしゃりしゃりと音を立てて咀嚼する。
「結構いけるな」
一瞬冷静になって呟く怪物だったが、すぐさま役に立ち返って胴間声を張り上げる。
「ぐはは!! これで終わりだ!! 勇者とやら!!」
「くっ……!! 万事休すか!?」
「ぬはは!! 覚悟するのはお前のほうだったな!!」
片膝を突いて屈み込む勇者に、牙をむき出しにした怪物が低いうなりを漏らして詰め寄っていく。
すごみのある表情と迫真の演技に客席の所々から「ひい」「怖い」と小さな悲鳴が上がり、恐怖のあまり泣き出してしまっている子供もいた。
観客の反応を満足げに眺めると、怪物は一層感情のこもった台詞を吐きつつ勇者に迫る。
「何が勇者だ、この野郎!! いつもいつもわがままばかり言いやがって!! 毎度振り回されるこっちの身にもなれってんだ!! それからあれだ、出したもんは好き嫌いしねえで全部食いやがれ!! ——がははは!!」
らしからぬ恨み節を吐き出しながら詰め寄った怪物は、激しい雄叫びとともに勇者に躍り掛かる。
しかし勇者は怪物からするりと身をかわし、居並んだ客席の間を駆け抜ける。
勇者は——インボルクは唇の端をつり上げて笑うと、エデンの肩を抱き寄せながら観客たちに向かって声を張った。
「真の勇者の登場だ!!」
「え……ええ!?」
驚きをあらわにするエデンのことなどお構いなしとばかりに、インボルクは即興で台詞をつなぐ。
「姫、どうかお許しくだされ!! 実を申せばこの私は勇者などではなかったのです!! 勇者の名を騙る一介の詩人、それがこの私なのです!! なんやかんやあれやこれやあって、真の勇者はこの少年!! この少年こそ我が国を救う本物の勇者なのです!!」
「そうだったのですね!! 確かに勇者さまにしては少々身勝手が過ぎると常々思っていました!! それでは真の勇者さま、こちらへお越しください!! ——どうぞお早く!!」
インボルクの無理やりな台詞に合わせ、姫であるルグナサートも強引に筋を修正していく。
そればかりか王と怪物までもがエデンを舞台に上げようと手招きをしていた。




