第二百二十三話 即 興 (そっきょう)
「——お父さん!! お客さまだよ、お客さま!! 食堂じゃなくて宿の!!」
続いて少女は、建物の屋根を見上げて叫ぶ。
彼女に倣ってその見上げる先を仰ぎ見たエデンは、二階建ての建物の屋根の上から顔をのぞかせる、彼女とよく似た一人の蹄人の男の姿を認めた。
金槌と釘を手にしているのは屋根の修繕をしているからだろうか、見れば屋根のあちらこちらに木板が打ち付けられていた。
男は少女に応えて軽く手を上げ、次いでエデンたちに向かって屋根の上から深々と頭を下げてみせた。
「剣士さまに失礼のないように頼むよ。婆様からのご指示だからな」
「婆様の——」
男の言葉を受けた少女が息をのむのがエデンにもわかる。
一気に真剣みを帯びるその表情は、あの老女の権威が男たちだけでなく他の人々まで行き届いていることの証だろう。
「何か希望があったらいつでも声を掛けてくれ。店主に取り次ぎを頼んでおく」
ここまで案内をしてくれた男はエデンに向かってそう告げると、少女に向かって「頼んだぞ」と言い残してその場を去っていった。
「剣士さま……」
そう呟きながら、少女は一行の間に視線を行き来させる。
エデンとシオンを物珍しそうな視線で眺め、続いて楽団の面々に順番に視線を走らせる。
しっくりこないような表情を浮かべてしきりに首をひねった彼女は、再びエデンに視線を戻し、そこでようやく腰の物に目を留めた。
「……え、あなたが!?」
「——う、うん。い、一応」
「え!? そうなの!! あなたが!?」
心底意外そうな表情で声を上げる彼女に対し、エデンもやむなく肯定の言葉を口にする。
自分が剣士を名乗るおこがましさは重々承知していたが、そこまで驚かれるとさすがにいたたまれない気持ちにもなる。
それに先ほどインボルクから剣を手にする覚悟を問われたばかりであり、答えを見いだせずにいるさなかだ。
そんな隠し切れない動揺が表に出てしまっていたのだろう、エデンの表情の変化に気付いた少女は見る見る顔をゆがませていった。
「ごめんなさい、剣士さま!! 剣士さまに失礼ないようにって言われたばかりなのに! わたしったらもう!!」
謝罪の言葉とともに、少女は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまう。
彼女が「剣士さま」と口にするたび、インボルクがおかしそうに含み笑いを漏らすのがわかった。
「その……気にしなくて大丈夫だよ。それと——エデンでいいから」
その呼び名を連呼されるのが本意ではないエデンは、肩を落として座り込む少女の手を取って立ち上がらせたのち、改めて自身の名を名乗った。
続けてシオンの名を伝え、シェアスールの面々を紹介する。
いつの間にか一行の中心的立場になってしまっていることは気になったが、自身があの老女の望む「剣士さま」であり続けなければ村への滞在は許されず、箱車を修理する機会も失ってしまうかもしれない。
どれほどの期間になるかはわからなかったが、滞在中はその扱いもやむなしと割り切ることにした。
「旅の剣士さまと吟遊詩人のご一行! お話の中の出来事みたい……!!」
少女は興奮気味に呟いたのち、自らの後方にある二階建ての建物を指し示した。
「わたしはこの村一番の宿屋、『林檎亭』の看板娘でアリマっていうの!! よろしくね、お客さま!! 」
快活な口調で言ったかと思うと、少女——アリマは蹄の目立つ指先を顎先に添えて考え込んでしまう。
そして照れくさそうにはにかんでみせ、手にした箒を胸元に抱え込みながら続けて口にした。
「……村に宿は一軒だし、看板娘は自分で言うことじゃないか」
蹄人の少女アリマは身を翻すようにして開け放たれた戸から屋内に踏み入り、エデンたちを宿の中へと招く。
「——どうぞ! 入って入って!!」
彼女の後に続いて宿の中へと進んだエデンの目に飛び込んできたのは、二階部分まで吹き抜けになった見通しの良い広間だった。
先ほどのアリマと案内してくれた男のやり取りを聞く限り、幾つもの卓が等間隔に並んだ広間は食堂としても使われているのだろう。
右手側の奥には厨房が見通せ、広間との間は長机で仕切られている。
一方で左手には、中ほどに踊り場を挟んで二階へと続く階段が見て取れた。
「ちょっと待っててね!」
アリマはそう言うや、ばたばたと慌ただしい足取りで階段を駆け上っていった。
吹き抜けに面した二階通路に沿って並ぶ扉を次々に開け放っては、室内をのぞき込むようにして確かめていく。
その作業を数度繰り返すと、彼女は転がるようにして階段を駆け下りてきた。
「——うん、大丈夫!! ちょっと埃っぽいかもしれないけど、週に一度はちゃんと換気してるからきっと平気だよ! どの部屋でも好きに使って!」
アリマは二階へと続く階段を指し示しながら満面の笑顔で言う。
しかし言ったそばから、彼女は突然険しい顔で叫び声を上げた。
「あー! おにいさん!! ——ちょっと待った待った!! おにいさんが二階に上がったら床が抜けちゃうよ!! ううん、多分階段も壊れちゃう!!」
血相を変えてベルテインの元まで歩み寄ると、アリマは彼の顔を見上げながらひどく取り乱した様子で言う。
しかしそういった対応にも慣れているのか、ベルテインは優しげな笑みを見せて応じる。
「おれは倉庫でも納屋でもどこでもいいよ」
「そう言ってもらえると助かる! 片付けにちょっとだけもらうからごめんね! ……それにしても本当大きいねー、村でもおにいさんぐらい大っきい人いないよ!」
アリマは安堵の表情を浮かべて答え、ほうけたように口を開けてベルテインの顔を見上げていた。
 
 




