第二百二十二話 廿 重 (はたえ)
「まったく騒々しいね。いったい何事だい。おちおち休んでいられもしないよ」
威儀を正すかのようにぴんと背筋を張った男たちが脇に退いて道を譲ると、中央から年老いた一人の女が現れる。
杖を握る手の指先を幅広く覆う蹄から、男たちと同様に老女も蹄人であることが見て取れた。
「ば、婆様、これは……」
「お黙り」
「は、はい!!」
老女は申し開きの言葉を口にしようとする男の鼻先に杖を突き付けて一喝する。
緊張に身を固くするのは、答えて口を閉ざした代表格の男だけではない。
神妙な面持ちを浮かべた男たちの敬いとも畏れともつかぬ態度から、目の前の小さな老女が強い影響力を持つ人物であることがわかった。
「おや、お主——」
婆様と呼ばれた老女は男たちの間を割って進み出ると、見定めでもするかのような視線でエデンの顔を見上げる。
落ちくぼんだ眼窩の奥に、鋭い眼光を放つ黄褐色の瞳がのぞく。
水平方向に伸びた細く四角い瞳孔に見据えられて覚えるのは、背筋を冷たいものが伝う感覚だ。
そんなエデンの胸中を知ってか知らずか、老女は鼻先が触れんばかりに顔を寄せて全身を眺め回したのち、最後に腰帯に差した剣に目を留めた。
「——剣士さまかい?」
「え……」
自らを剣士だと思ったことは一度としてなかった。
危機に際して数度ほど振るったことはあったが、ただ預かり物を提げているだけの立場で使い手を名乗るなどおこがましいにも程がある。
鞘から柄にかけてなめるように視線をはわせる老女に対し、勘違いを正すべく口を開く。
「け、剣士っていうわけじゃ——」
「ああ、そうとだも!!」
声を上げて遮ったのは、つい先ほどまで我関せずを決め込んでいたインボルクだった。
取りこぼされた銀貨を一枚拾い上げつつ進み出た彼は、差し伸ばした掌でエデンを示しながら続ける。
「此方に御座すお方を何方と心得る!! 類いまれなる剣技の業前をもって天下に勇名を轟かす流浪の剣士殿なるぞ!! 剣士殿は武芸の腕を磨くため諸国を遍歴して回る廻国修行の旅の最中!! そして我々は剣士殿の英雄譚を語るために同行する吟遊詩人の一行である!!」
「イ、インボルク……」
「わかっておりますとも!! ここは不肖私めにお任せくだされ!!」
「な、何を言って——」
突然の展開に思考と感情が追い付かない。
ぼうぜんと呟くエデンの肩を強引に組み寄せると、インボルクは額に手を添えて嘆くように言った。
「ああ、混乱されるのも無理もない!! 三日三晩の戦いの果てに十は下らぬ異形を討ち倒しもすれば、流石の剣士殿といえど疲れ切っても無理はない!! しかしだ、未だ剣士殿の勇名が届かぬ場所が天下の内にあろうとはなんとも嘆かわしきことよ!! 今この場でに勇ましき戦いぶりを歌にして聞かせて差し上げるべきか……!! そう、襲い掛かる異形を木の葉のように切り裂く剣の冴えを——!!」
剣に見立てた手刀で空を切るインボルクに、男たちの口から「おお」と声が漏れる。
急ごしらえの武勇伝を疑うことなく受け入れたのだろうか、顔に浮かぶのは先ほどまでとは打って変わった感嘆の色だ。
鋭く眇めた目で品定めでもするかのようにエデンとインボルクを見上げていた老女も、しばしの間を置いて表情を緩めると、短躯を丸めるように折って頭を下げた。
「村の若い衆がとんだ粗相をしたようだね。どうか許しておくれ。なにぶんこんな田舎だ、剣士さまの名が届くにはもう少しばかり時間がかかりそうだ。見ての通りなんにもないところだけど、疲れが癒えるまで休んでいくといいさ」
そわそわと落ち着かないエデン、得意げに胸を張るインボルク、シオンや楽団の面々を順に視線を巡らせると、老女は戦々恐々といった様子で状況をうかがっていた代表格の男の鼻先に杖を突き付ける。
「剣士さまとお連れの方々にこれ以上失礼な真似をするでないよ」
「は、はいっ!! 婆様!!」
「後は任せたからね。もろもろ取り計らっておいておくれ」
声を裏返らせる男を杖で突いて念を押し、老女は踵を返して去っていく。
「あ……!! そ、その——」
礼を伝えようと口を開くエデンだったが、老女の背中ははみるみる遠ざかっていく。
所々抜け落ちた艶のない毛並みや丸まった背中から相当の老齢であることがうかがえるが、確かな足取りは年齢を感じさせない壮健ぶりだった。
「おばあちゃん、ありがと!!」
「あ、ありがとう——!!」
集落の奥へと消えていく背に向かって声を掛けるマグメルに続き、エデンも声を大にして感謝の言葉を伝える。
いろいろと複雑な思いはあったが、結果として立ち入りを許可してもらえたという一点においては幸甚以外の何物でもなかった。
老女が——婆様が去ったのち、一行は箱車の中から必要な荷物を運び出す。
エデンら二人分の背嚢、団員たちの荷物とおのおのの楽器、全部まとめてベルテインが担ぎ上げる。
婆様の言い付けを気にしてか、こぞって荷物を引き受けようとする集落の男たちを、ベルテインは破顔一笑をもって引き下がらせていた。
男たちに従って煉瓦造りの門をくぐり、エデンらも集落の中へと足を踏み入れる。
畑や納屋であろう小屋を左右に眺めながら少しばかり歩いたところで先導を務める男が足を止めたのは、道沿いに位置する二階建ての建物の前だった。
「滞在中はここに泊まってもらうことになる。——少しだけ待っていてくれ」
前庭を通り抜けて開け放たれた戸の前まで足を進めた男は、建物の内部をのぞき込みながら声を上げる。
「おーい!! 誰かいないか!!」
「——はーい!! ちょっと待ってて!!」
男の呼び掛けに応える声が、建物の中からではなく裏手から響く。
「お待たせ! 何かご用?」
建物の脇から現れたのは、婆様や男たちと同じ蹄人の特徴を持った少女だった。
掃き掃除をしていたのだろう、手には長柄の箒が握られている。
「あ!! もしかしてお酒? まだ開店前だよ! そんなに早く来てもなんにも用意できないよ? せっかちなんだから!!」
「いや、そうじゃないんだ」
腰に手を添え、口を尖らせた蹄人の少女が一方的にまくし立てる。
若干気おされたような調子で応じると、振り返った男は後方に控えるエデンら一行を差し示した。
「久々のお客だよ。酒場じゃなくて宿のほうの」
「お客さま——」
その段になってようやく一行の存在に気付いたのか、少女は信じられないといった様子でぽつりと呟く。
「——うそ!? えっ!! 本当に!?」
不意に声を張り上げた少女は、男の脇を通り過ぎてエデンらの元に走り寄る。
開いた口もそのままに、エデンとシオン、そして団員たちを一人一人順に見やった彼女は、今一度感極まったように大声を上げた。
「お、おおお、お客さまだ!!」




