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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第二節 「我らの夕べ」
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第二百十八話   背 反 (はいはん)


 旅人二人と楽団員五人は、翌日も朝早くから山間の集落を目指して歩き続けていた。

 街道から遠ざかるほど傾斜は急になり、伴って徐々に幅員も狭くなっていく。

 草を払って石塊を除いただけの形ばかりの道は、正面から別の荷車がやって来でもすれば擦れ違うのも難しいくらいの横幅しかない。

 このまま進み続ければ車幅よりも道幅のほうが狭くなってしまうのではないかと不安を抱くエデンだったが、地図を手にしたシオンによれば目的地までそう遠くないところまで来ているらしい。

 たとえ狭く細くても道の存在進路が誤りでないことの証明であり、歩調を緩めずに進めば夕刻までには目的の集落にたどり着けるだろうと彼女は語った。


 休みなく朝から歩き続けた一行は、昼過ぎを回る頃を見計らって休憩を入れる。

 シオンはこのまま足を止めることなく進むほうがいいと主張したが、「休みたい」と言い張って一歩も引かないマグメルの意をくんでしばし休息を取る運びとなった。

 山道の脇に箱車を止め、めいめいが思い思いに英気を養い始める。

 ベルテインは車輪の状態を確かめたのちに横になって寝そべり、ルグナサートはそこが定位置とばかりに屋根の上で風に吹かれている。

 インボルクは片時であっても音楽を友とすることを忘れず、サムハインは愛用の鍋を丁寧に磨き上げていた。

 木の幹に背を預けて書き物をするシオンの傍らには、道端に手足を投げ出して寝転ぶマグメルの姿がある。


「ひと回りしてくるよ。すぐに戻るね」


 インボルクに告げ置き、エデンはその場を離れる。

 森の樹々の中に開けた場所を見つけて中ほどまで足を進めては、おもむろに腰の剣を抜く。


「自分にだって」


 彪人の里で目にしたラジャンの剣舞を頭の中に思い描き、見よう見まねで剣を振る。

 明白ながら自身が振ったときとラジャンが振ったときでは、同じ剣でも音からして違う。

 拙い手つきでやみくもに振ってみようとも、風を切る鋭い音を放つひと振りを繰り出すことはできなかった。

 嘆息とともに頭上を見上げたエデンは、舞い落ちる一枚の木の葉を目に留める。

 思い付きから構え直した剣をその落下に合わせて振るってみはしたが、刃はむなしく空を斬る。

 風に乗った木の葉は何事もなかったかのように地に落ちた。


「これじゃ持ってるだけだ……」


 肩を落とし、膝を折って座り込む。

 仄赤い輝きをたたえた刀身を見詰め、再度深々とため息をつく。

 旅の目的を尋ねるマグメルに対し、抱いた思いの丈を伝えたのは昨夜のことだった。

 安寧の内から抜け出して旅立つことを決意するに至ったのは、守られる立場に甘んじるのではなく、大切な人を守る強さを身に付けたいとの願いからだ。

 偽らざる本心なのだと、場当たり的な思い付きなどではないと断言したかったが、現実として抱いた願いが達せられているかと自問すれば、返答に窮さざるを得ないのも事実だ。

 彪人の里から自由市場への道を何ごともなくたどり着くことができたのはローカの力の恩恵であり、今こうして無事に旅を進められているのもシオンが隣を歩んでくれているからに他ならない。

 では今現在の己に、危機に直面した彼女らを守れるだけの力があるかと問われたらどうだろう。

 旅立ちに当たり、剣を預けてくれた際のラジャンの言葉を思い返す。


『よいか、小僧よ。戦士の真の武器は剣ではない。無論、爪でも牙でもな。戦士の持ち得る唯一つの武器、それは命そのものだ。剥き出しの命だけが、生に対する飽くなき渇望だけが、戦う者の真の力となる。剣は道具に過ぎん。強き願いを得て初めて剣は力となる。生きたいと、生かしたいとこいねがう強き思いが剣に戦う力を宿すのだ。そして一度剣を抜いたならば迷うな。迷いは更なる迷いを呼び、ついには死を引き寄せる。心のうちに巣食う迷いを飼い慣らせ。付け入る隙を与えるな。戦え。生きろ。生きて——守れ。大切だと思えるものを守り抜いた先に、貴様は答えを得るだろう』


 翻って、自由市場を発つ際に先生はこんなふうに言っていた。


『剣は剣ですよ。握るのも振るうのも貴方の手です。言ってしまえば身も蓋もない話ですが——剣は剣、道具は道具です。貴方が間違いさえしなければ道具が独りでに間違いを犯すことはありません。畢竟、抜かずに済むならそれが何よりですからね』


 剣が道具であるという点においては同じだが、二人の語った内容はまったくの正反対だ。

 ——戦え、戦うな。

 武を尊しとなす偉大な戦士ラジャンと智を探究する学者である先生、抱く主張や理想が異なるのは当然といえば当然かもしれない。

 大切な人を守るために強くなりたいのはもちろんだが、本音を言えば戦わずに済ませられるならそれが一番だとも思う。

 しかしながら人に害を成す脅威が跳梁する世である以上、生ぬるいことを言える立場ではないことも理解している。

 いずれは比較的安全とされる大街道を外れ、人跡未踏の北の大地へと向かわなければならないのだ。

 剣を手に戦わなければならない状況に直面してなお半端な迷いを抱えていれば、ラジャンの言う通りに取り返しの付かない事態を引き起こしかねないだろう。

 戦うための道具は掌中にあり、しかも身に過ぎた無上の品ときている。


 戦士の唯一の武器は命そのものであり、道具でしかない剣を握るものも振るうのは己の手。

 聞くに知己らしきラジャンと先生、両者の語る言葉遊びにも似た箴言はいささか難解が過ぎた。


「……どうしたらいいんだろう」


 剣を握ったままあおむけに倒れ込むと、頭上に掲げた刀身を差し込む葉漏れ日にかざし見た。


「どうした少年!! そんな物騒な物など握って!!」


「う、うわあっ!」


 突然の呼び掛けに、思わず飛び起きる。

 擦り抜けそうになる剣の柄を握り直し、とっさに声のしたほうを振り返る。

 樹々の合間から窮屈そうに枝角を傾けて現れたのは、楽器を首から提げたインボルクだった。


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