第二百十七話 灰 被 (はいかぶり)
「——ん……?」
ふといぶかしげな声を漏らしたかと思うと、マグメルは屋根から突き出た煙突のそばまで歩み寄る。
状況のわからないエデンの見詰める中、彼女は肩を引き上げるようにして大きく息を吸った。
「——盗み聞き、よくなーい!!」
煙突の筒と傘の間に顔を突っ込んだマグメルは、辺りに響き渡るような大声を上げる。
次の瞬間、車内から数人のごほごほとせき込むような声が聞こえ、次いで箱車前面の扉が音を立てて勢いよく開け放たれた。
屋根の上のエデンが見たのは、車内から次々と転び出る団員たちと四人に続いて飛び出してくるシオンの姿だ。
マグメルは両手を腰に添えて屋根の縁に立ち、依然としてせき込み続ける五人を膨れっ面で見下ろしていた。
「何してんの!? もう……!! 」
マグメルはあきれ気味に呟き、身軽なしぐさをもって屋根から飛び降りる。
その後に続いてエデンが梯子を下りたときには、マグメルはインボルクと顔を突き合わせて言い合いを始めていた。
「聞き耳なんか立てて! なんのつもり!」
「君たちがうるさいからだろう! 何も聞こうと思って聞いていたわけじゃないぞ、たまたま耳に入っただけだ!」
「うそ! じゃあそれ——なんなの!!」
マグメルはインボルクの顔面を勢いよく指差すと、エデンの手からひったくるようにして取り上げた角燈をインボルクの顔にかざしてみせる。
その顔が煤で黒く汚れていることを確認すると、マグメルはここぞとばかりに勢い込んで言い立てた。
「真っ黒じゃん! だんろに顔つっこんで聞いてたんでしょ!?」
「こ——これは……ち、違うぞ!!」
弁明するインボルクだったが、その慌てぶりこそがマグメルの言葉の正しさ裏付ける動かぬ証拠だった。
「まあまあ、二人とも。喧嘩しなさんなって」
仲裁に入るサムハインだったが、マグメルは無言で彼の顔を照らす。
彼もまたインボルクと同じように煤で顔を黒く汚しているのがわかる。
渋面を浮かべたマグメルが手にした角燈で残りの面々の顔を照らして回ると、ベルテインに加え、あろうことかシオンまでもが煤塗れであることが見て取れた。
最後にマグメルは、残ったルグナサートの顔に角燈を突き出す。
「お……お嬢、私は——」
元から全身の黒いルグナサートは一見しただけでは汚れているかどうかがわからなかったが、マグメルは弁明する彼の嘴をそっと指先で拭ってみせる。
煤の付着した自身の指に視線を落とし、彼女は「はあ」と気の抜けたため息を漏らした。
黒く染まった全員の顔を見渡しているうち、エデンは胸のうちに無性におかしさが込み上がってくるのを感じる。
笑ってはいけないと懸命に噛み殺そうと努めるが、とうとう耐え切れなくなって吹き出してしまった。
「——は……あはははは……!!」
エデンが声を上げて笑い出したことがきっかけとなり、団員たちも互いに顔を見合わせて笑い合う。
そしてついには不満顔だったマグメルまでもが、こらえ切れずに笑い声を上げるのだった。
「みんなで起きてたら、見はりの意味ないじゃん」
「全くだ」
ひとしきり笑い終え、涙を拭いながら言うマグメルにインボルクが同意する。
サムハインは「違いねえや」と笑みをこぼし、「茶でも入れますかね」と呟いて車内へと戻って行った。
その後は彼の入れてくれた茶を全員で飲みつつ、再び眠りに就くまでの短い時間を使って少しだけ会話を交わす。
エデンはマグメルにした話を、もう一度他の団員たちに話して聞かせることにした。
シオンに都度補足を入れられながら、エデンは彼らと出会ったその日までのことを訥々と語る。
「兄さんにもいろいろあったんですねえ」
そうサムハインが漏らした以外、誰もそれ以上のことを聞こうとはしなかった。
「——さてと。煤だらけになった車ん中、掃除しないと眠れるもんも眠れやしませんぜ。ほらほら、皆で一気にやっちまいましょうや」
億劫そうに言って立ち上がったサムハインは、他の団員たちを追い立てるように言う。
彼に続く形で車内へと向かう最中、エデンは箱車へと戻るマグメルの背に向かって声を掛けるシオンの姿を認めた。
「……にらんでいませんから」
「ん? なあに?」
「——だから! にらんでませんって言ってるんです!」
振り返ったマグメルに対し、シオンは一層むきになって声を張り上げる。
本人の言い分とは裏腹に、その眼光はいつにも増して鋭いようにエデンには見えた。




