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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第二節 「繋がれた少女」
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第二十一話  桎 梏 (しっこく)

「アシュヴァル……?」


 恐る恐る名を呼ぶ少年を、アシュヴァルは乱暴な手つきで解放する。

 道端に座り込んだ姿勢のままの彼は、静かに、それでいて有無を言わさぬ強圧的な口調で言った。


「お前、行ってどうするつもりだ?」


 手つきや視線と同様、声音からも極めて強いいら立ちが伝わってくる。

 爆発的な漏出は抑え込まれているものの、言葉の端々からにじみ出るあまりの険しさに、まるで詰問されているかのような威圧感さえ覚える。

 膝を突いてアシュヴァルと視線を合わせると、少年はどうにかして思いを伝えようと口を開いた。


「そ、それは……あの子が、あの子はきっと——」


 姿が見えたのはほんの一瞬であったが、彼女が自分と()()であることを確信した。

 羽毛でも鱗甲でもない薄い皮膚に覆われた表皮と、頭部からのみ生える被毛。

 そして他の種と比べてとりわけ平坦な顔つきは、彼女が自身と限りなく近い存在であることを明白に示していた。


 鉱山の町で暮らす中、気が付けばいつも辺りに視線を巡らせていた。

 もしも自分とよく似た姿を持つ誰かに出会うことができたなら、失われた過去や記憶につながる情報を得られるかもしれない——そんな思いからの行動だった。

 二月前のあの日、アシュヴァルに拾ってもらい、衣食住と仕事を与えてもらった。

 それがどれほど幸運であるかは身に染みて理解しているつもりであり、このままの暮らしが続くのならば、過去や記憶を求める必要などないのではないかと考えたこともある。

 しかし檻の中の少女を目にした今、そんな思いはいともあっけなく消え去ってしまっていた。

 その存在が自身の出自や由来につながる糸口だと直感的に悟ったからか、あるいは持ち合わせている語彙では言い表すことのできない感情の表出なのかはわからないが、少年の心は完全に檻の中の少女に引き付けられていた。


「——同じだからっ……!! だ、だから……会いにいくんだ!!」


「会ってその後はどうすんだよ」


 訴えかける少年に、アシュヴァルはいくらか声を落として問う。


「会って話がしたいんだ……!! 話をして、それで——」


 変わらず突き刺すような視線を向けるアシュヴァルを見返しながら答える。

 しかしそれを遮る形で彼の口から放たれたのは、抱く期待を容赦なく断ち切るひと言だった。


「駄目だ」


「——え……?」


 出会いから今日という日まで、陰になり日向になりして守り続けてくれたアシュヴァルに思いをはね付けられ、感情が激しく揺れ動く。

 衝撃や落胆よりも、なぜという疑問の念のほうがはるかに大きい。

 アシュヴァルならば気持ちを理解してくれるだろう、背中を押してくれるだろう、なんなら一緒に追い掛けてくれるだろうと思い込んでいた。

 初めて見る冷然とした言動に、当惑を禁じ得ない。


「だ、駄目って……ど、どうして……?」


「見たよな、あの娘の首。輪っかが巻かれてただろ。あれはもう——誰かのもんってことなんだ」


「誰かの、もの……」


 アシュヴァルは自らの首回りを示しながら、感情を押し殺したような冷淡な口調で断言する。

 少年は不安と動揺に唇を震わせつつ、翻った幌の隙間から見えた少女の姿を思い起こしていた。

 篝火の明かりを反射して輝く赤い瞳に気を取られていたが、思い返せば確かに首に輪のようなものが巻かれていた気がする。


「お前にはまだ教えてやれてないことがある。こいつもそのうちの一個だ。いいか、鉄の首輪は所有者に対する服従と隷属の証だ。この世には人が人を売り買いする仕組みがあってよ、品物みたいに扱われる連中は奴隷って呼ばれてる。無理やり働かされたり、見せ物にされたり、遊び半分で闘わされたり……場合場合で扱いは変わるが、自由を奪われてるってところはどいつも同じだ」


「し、品物……そ、そんな……」


「後出しで悪かった。許してくれなんて言わねえよ」


 ぼうぜんと呟くことしかできない少年を見据えて吐き捨てるように言うと、地面に座り込んだままのアシュヴァルは後ろを向けながら一方的に言葉を続けた。


「お前は優しい奴だ。見てるとこっちまではらはらしてくるぐらいの——底なしのお人好しだ。けどよ、その優しさってのは何も知らないからこそ持っていられる優しさだ。どいつもこいつもそんなに悪い奴じゃなくて、話せばわかり合える、なんとかなるって頭から信じ切ってるお前だから持っていられる……世にもまれな代物だよ。でもな、世の中にはお前の知らねえ汚ねえことや醜いもんがたくさんある。奇麗なもんと汚ねえもん、並べて比べりゃきっと汚ねえもんのほうが多いんだろうよ」


 言ってアシュヴァルは天を仰いで嘆息する。


「お前の言う同じ——仲間かもしれねえ奴を初めて見て気持ちが高ぶるのもわかる。でもよ、今はやめとけ。このまま生きていけば、探し続けていれば、いつかまた別の奴に会える。誰かのもんなんかじゃなくて、お前みてえに仲間探してるって境遇の奴に出会えるだろうよ。だからあの娘のことは——」


 そこでいったん言葉は区切られる。

 次に彼の口から放たれるであろう言葉を想像し、少年は小刻みに顔を震わせる。

 聞きたくない、言ってほしくない、そんな希望を込めて見詰めるが、アシュヴァルはそんな思いを断ち切るように口を開いた。


「——見なかったことにしろ。今日見たことは全部忘れちまえ。それが……今のお前にとって一等いい道だ」


 言い切ると、アシュヴァルは億劫そうに身体を起こす。


「酔いが覚めちまった」


 辟易するように言って歩みを進めるその足元はおぼつかなくはあったが、一人で歩けないほどではないようだ。


 少年は言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。

 二人で暮らす長屋に向かって歩を進めるアシュヴァルの背と、少女を乗せた荷車の走り去った方向とを交互に見やる。


「何やってんだ、帰るぞ」


「……う、うん」


 後ろを向けたままいら立ったように言うアシュヴァルに促され、檻の中の少女に思いを残したまま彼の背を追った。



 寝台に身を横たえたのちは、アシュヴァルの立てるわざとらしい寝息を聞きながら、自身とよく似た姿の持ち主である少女の姿を思い出していた。

 檻の中に見た彼女のことを思い返せば、胸が早鐘を打つような、心臓が縮み上がるような、そんな不可思議な思いが身体の内を駆け巡る。

 今頃何をしているのだろう、何を考えているのだろう、彼女も同じように何かを感じているのだろうか。

 ずだ袋のような衣服、骨の浮いた白く細い手足、頭部を覆う乱れた被毛、そして仄赤く輝く瞳。

 見上げる天井にその姿を思い描くうち、夜はいつの間にか明けていた。


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