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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第二節 「我らの夕べ」
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第二百十六話   小 夜 (さよ) Ⅱ

「あ、う、うん……! じ、自分もずっと君と話がしたかったんだ。だから、その、喜んで」


「そうなの!? だったらもっと早く声かけてくれたらよかったのに!」


 口ごもりつつ答えるエデンの顔を、マグメルは腰を折ってのぞき上げる。

 角燈の明かりを受けてきらきらと輝く瞳からは、いかにも意外だというような驚きの色が見て取れた。


「そ、そうしたかったんだけど——」


 膝を抱えたまま尻を滑らせて距離を取ったエデンは、団員たちの中にある彼女に声を掛けることが水を差す行為であるように思えて気後れしていたことを伝えた。


「それ、わかるかも! あたしもずっと話したいなって思ってたの。でもエデンに近づこうとするとね、シオンがにらむんだよ! こんな目でさ——!」


 眉間に皺を寄せ、声まで低めてマグメルが言う。


「そ、そうかな? そんなことないと思うけど……」


「そんなことあるの! あたしはシオンともなかよくしたいのに!」


 長年の濫読がたたってか、シオンは目の力があまりよくない。

 師弟そろって眼鏡がなければ満足に本を読むことができないほどだ。

 加えて真剣になればなるほど目つきが険しくなってしまうことも、共に旅をする中で知った。

 興味を抱くあまり、見詰める眼光が鋭くなり過ぎている可能性も確かに否めない。


「ね、エデン。ひとつ聞いていい?」


「う、うん」


「エデンはさ、なんのために旅してるの? さっきシオンが言ってたやつ」


「その、人を——探してるんだ」


 空けた隙間をずいと詰めたマグメルが、鼻先が触れんばかりに顔を寄せる。

 上体を反らして間合いを取ろうと試みるが、返答を受けてさらに深く身を乗り出した彼女は、エデンの身体に半ばのし掛かるようにして問い重ねた。


「ねね! それって、あたしのこと?」


 期待に満ちた視線を正面から見詰め返し、わずかな間を置いて左右に小さく首を振る。

 乗り出していた身をゆっくりと引き戻したマグメルは、深く打ち沈んだかのように呟いた。


「——なーんだ。ちがうんだ」


 そのままあおむけに倒れ込み、夜空を見上げて唇を尖らせる。


「……あたしのこと、むかえに来てくれたのかと思ったのに」


「え、あ……! その——」


「ごめん」と謝罪の言葉が口を突いて出そうになるが、すんでのところで思いとどまる。

 それが勘違いをさせ、ぬか喜びをさせた非をわびる意味以上に、ローカと重ねてしまった負い目からくる独善的な保身の表れであると気付いたからだ。


「自分が探してるのはね——」


 ここで謝ってしまえば、きっと話し掛けるきっかけ以上のものを失ってしまう。

 なすべきは一方的な謝罪による対話の断絶ではなく、互いを知るための一歩を踏み出すことだ。

 力が抜けたようにだらりと寝転ぶマグメルに、自らの過ごしてきたこれまでを語って聞かせる。

 探し求める少女の名と、出会いに至るまでの過程。

 出会った人々のこと、別れを告げた場所のこと。

 当然、一切の記憶を持たない状態で目覚め、何ひとつ思い出せないままに日々を過ごしてきたことにも触れずにはいられない。

 結果として、半生と呼ぶには短すぎる旅路を時の流れに沿って語ることとなった。

 マグメルは口を挟むことなく静かに耳を傾け続け、回想が今日に追い付くと天を仰いだまま「そっか」と小さく呟いた。

 わずかの間を置いて跳ねるように上半身を起こした彼女は、横目でエデンを捉えつつ尋ねる。


「ローカちゃん、だっけ。その子ってさ、もしかしてエデンの大切な人 ?」


「大切な人……」


「そ」


「……うん。大切。ローカで会ってなければ強くなりたいって思うこともなかっただろうし、外の世界を知りたいって考えることもなかったかもしれない。それで、ずっとあのまま——」


 ——守られ、導かれ続ける毎日に甘んじていた。


「だから……自分はもう一度ローカに会わなくちゃいけない。会って、話をして、一緒に帰るんだ。ローカを大切に思ってくれて、帰りを待ってくれているのは自分だけじゃないから」


「ふーん」


 求めていた答えと違ったのだろうか、返ってきたのはいかにも気のない返事だった。


「じゃあさ、シオンは? シオンのことも大切?」


 小首をかしげて尋ねるマグメルにうなずきをもって応じ、車中で眠っているであろう少女の顔を思い浮かべて口を開く。


「もちろんだよ。シオンが一緒にいてくれるから、こうしてローカを探す旅ができる。シオンもローカを大切に思ってくれてるし、それにローカもきっとシオンのことを特別だって思ってる気がするよ」


 自らの口にした言葉が呼び水となり、いつかの河辺で目にした少女二人が笑み交わす光景が胸の内に湧き上がる。


「たくさんの大切な人たちがいてくれたから、今の自分がここにいるんだ。手を引いてもらって、背中を押してもらって、思いを託してもらって、それでなんとか歩いていられる——って感じかな」


「そっか」


 先ほどよりも幾分かはっきりと聞こえる声で呟くと、マグメルは弾むような身のこなしで立ち上がる。


「……いいなー、あたしもだれかにさがしてもらいたかったなー」


 誰に言うでもなく呟いて空を蹴るようなしぐさをしてみせたのち、不意にエデンを見下ろして言った。


「ねえ、あたしもエデンの大切になれる?」


「え……? な、なれる——と思う。うん。なってくれたら自分もうれしいよ。その、よろしく——でいいのかな?」


 思いも寄らぬ問い掛けに対する戸惑いから、答えたつもりが逆に問い返す形になってしまう。

 

「ありがと」


 少女はうべなうこともいなむこともなく、ただひと言感謝の言葉をもって応じる。

 星々の放つかすかな光が、「へへ」と照れくさそうに笑って鼻下をこする姿を夜の闇に浮かび上がらせていた。


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