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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第二節 「我らの夕べ」
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第二百十五話   小 夜 (さよ) Ⅰ

 本意に反するものであるとはいえ団長であるインボルクの許可も下り、一行は街道をそれた山間に位置する集落へ進路を取る運びとなった。

 シオンの見立て通り集落に続く道なき道は緩やかな傾斜をなしていたが、ベルテインは安定性を欠いてがたつく箱車を文句ひとつ言わずに牽き続けた。

 怪力無双と称えたインボルクの言は決して世辞でも買いかぶりでもなく、険しい道のりになると聞かされた際に「大丈夫」と語ったベルテインの自信も虚勢などではなかったことを思い知らされる。

 勾配が急な場所では全員で箱車を押しながら、一行は昨夜の雨がまるで嘘のようにからりと晴れ渡った空の下を山間の集落へ向かって歩みを進める。

 疲労を訴えるマグメルの体調を鑑みたのか、インボルクは適度に休憩を挟むことも忘れなかった。


 夕刻を前に天幕を張って野営の準備を始める。

 エデンはベルテインの教えを聞いて設営作業に加わり、シオンはサムハインの手ほどきを受けて食事の準備を手伝った。

 団員たちが演奏を行うのは特別なことではないらしく、食事を終えた五人は自然な流れで楽器を手に取り始める。

 奏でられるのは聴衆に向けての音楽ではなかった。

 誰かの奏する旋律や拍子に合わせ、他の誰かが音を重ねていく。

 焚火の前に腰を下ろしたエデンは、筋書きのない即興の演奏にじっと耳を傾け続けた。

 

 後片付けを終えた一同は、就寝の準備を済ませてめいめい箱車へと戻っていく。

 インボルクが銀貨を手に取ったところを見計らい、エデンは自ら見張りの役目を買って出る。

 車体の側面に据え付けられた梯子を伝って屋根に上り、持参した角燈を傍らに置くと、片膝を立て、腰帯から抜いた剣を抱えるようにして腰を下ろした。


 見上げる夜空に瞬く無数の輝きが、いつかの空をいや応なしに思い起こさせる。

 ローカと共に逃亡という道を選び、あてどない彷徨のさなかに仰いだ満天の星を。


「——君は今、どこでどうしてるの」


 そんな言葉が不意に口を突く。

 当然ながら、反応を期待していたわけではなかった。


「なになに、あたしのこと!?」


「う、うわあっ!!」


 答えが返ってくるわけなどないと思い込んでいただけに、突如として耳に飛び込んできた声を受け、尻に火でも付けられたかのように飛び上がってしまう。

 ひょこと屋根の上に顔を出し、底抜けに明るい声を上げたのはマグメルだ。

 驚きの声を漏らして身をのけ反らせたエデンは、危うく取り落としそうになる剣を慌てて拾い上げ、車体の側面を足掛かりに屋根へと飛び乗ってくるマグメルを見詰めていた。


「ええと、その——」


 動揺を隠せずにいるエデンを気に留めることなく、マグメルは何食わぬ顔で腰を下ろす。

 胡坐あぐらを組んだ姿勢のまま身を寄せてくる彼女に、緊張はますますもって高まる。

 角燈のささやかな明かりでは細かい表情までは読み取れないが、横目に眺める顔は昼間の陽気で快活な彼女とはいくらか違って見えた気がした。


 くるくる変わる表情にばかり意識を向けて気付けずにいたが、よく見れば小作りな面立ちはこれまでに出会った誰よりもローカに似ている。

 比較のための材料は極めて少なく、己自身とシオン以外に比べ得る対象が皆無であることを承知した上でも、背格好、髪や肌の色といった部分に共通点を見いだしたくなってしまう。

 探し求める少女の面影を重ねてしまいそうになったところで反射的に横顔から目をそらしたのは、マグメルに対して礼を欠く行為であると気付いたからだ。

 エデンはそっと目線を正面に戻すと、膝で挟んだ剣の鞘を肩に寄せ掛けるように抱え込んだ。


 雨の中で身動きを取れなくなっていた楽団との出会いは、想像もしていなかった巡り合わせを運んでくれた。

 自分たちとよく似た稀有の種であるマグメルならばローカの行方に関わる情報が得られるかもしれないと淡い期待を抱いたが、輝きに満ちたまなざしと「やっと会えた」の言葉は、ローカとの接点がないことの何よりの証明だった。

 落胆を覚えなかったかと聞かれたなら、即座に否定することはできなかっただろう。


 楽団の皆々と共に過ごす慌ただしい時間の中で機会を失してはいたが、話したいこと、聞きたいことは幾つもあった。

 音楽とともに各地を巡遊してきた彼女ならば、種としての出自や由来にまつわる未知の情報を持ち合わせているかもしれないのだ。

 それが失われた過去と記憶にたどり着くための手掛かりになる可能性は十分にある。

 シオンもまた話をする機会をうかがっていたであろうことは、物言いたげな視線でマグメルを見詰めているところを幾度も目にしていることからも明らかだ。

 二人で話す機会の到来はエデンにとって願ってもないことだったが、いざ直面してみれば何から話していいのかわからなくなってしまう。


「そ、その、マグメル——」


「なあに?」


「——眠らなくて大丈夫なの?」


「ん?」


 沈黙を破って切り出すエデンに対し、マグメルはなんのことやらといった様子で首をかしげてみせる。


「ほら、出発前に疲れたって言ってたからさ。休んだほうがいいんじゃないかって」


「あ! そのことね! うん、えっとね、つかれてるんだけどさ、つかれすぎてねむれなくなっちゃった!」


「そ、そうなんだ……」


「そうなの! だからまだねなくてだいじょうぶ!」


 困惑するエデンをよそに、マグメルは組んだ左右の足をばたばたと上下させる。


「うん、だからさ——」


 小声で呟いてはにかむような笑みを浮かべると、気恥ずかしそうに指で頬をつつきながら続けた。


「——ちょっとだけおしゃべりしようよ」


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