第二百十五話 小 夜 (さよ) Ⅰ
楽団の団長であるインボルクの許可も下り、一行は街道をそれた山間部に位置する集落へと向かうことになった。
シオンの言った通り集落に続く道は緩やかな傾斜をなしていたが、ベルテインはそんな事情を物ともせずに、安定性を欠いてがたつく箱車を牽き続けた。
怪力無双と称えたインボルクの言は決して世辞でも買いかぶりでもなく、険しい道のりになると聞かれた際に「大丈夫」と語った彼の自信もまた虚勢などではなかったことをエデンは思い知らされる。
適度に休憩を挟みながら、勾配が急な場所では全員で箱車を押しながら、一行は昨夜の雨がまるで嘘のようにからりと晴れ渡った空の下を山間の集落へ向かって進んだ。
その日は夕刻を前に天幕を張って野営の準備を始める。
エデンは団員たちと共に設営作業を行い、シオンもサムハインの手ほどきを受けながら食事の準備を手伝った。
団員たちが演奏を行うのは何も特別なことではないらしく、その夜も食事を終えた五人は自然な流れで楽器を手に取った。
昨夜のような他者に聞かせるための音楽ではなく、誰かが奏で始めた旋律や拍子に合わせて音を重ねていく——そんな演奏であるようにエデンには聞こえた。
後片付けを終えた一同は、就寝の準備を済ませて箱車へと戻る。
インボルクが見張りの順番を決めるための銀貨を手に取ったところを見計らい、エデンは昨日のルグナサートに倣って自分からその役目を買って出た。
箱車の側面に据え付けられた梯子を伝って屋根に上ったエデンは傍らに角燈を置くと、片膝を立て、腰帯から抜いた剣を抱えるようにして腰を下ろした。
夜空に瞬く無数の輝きに、エデンはいつかの空を思い出す。
ローカを連れて彪人の里を逃げ出し、彷徨の最中で見上げたあの満天の星を。
「君は——今どこでどうしてるの」
そんな言葉が思わず口を突いて出る。
反応が返ってくるはずなどないと思い込んでいただけに、エデンは不意に聞こえてきた声に飛び上がりそうになる。
「なになに、あたしのこと——!?」
「——う、うわあっ!!」
箱車の屋根の上に飛び乗ってきたのはマグメルだった。
声を上げて身をのけ反らせたエデンは、抱えていた剣を危うく取り落としそうになる。
屋根から転げ落ちそうになるそれを慌てて拾い上げ、エデンは自身を見下ろすように立つマグメルを見上げた。
「ええと……その——」
動揺するエデンを差し置いて、彼女は何食わぬ顔でその場に胡坐を組んで腰を下ろす。
座ったまま身体を滑らせて身を寄せてくる彼女に、エデンの緊張はますます高まる。
角燈のささやかな灯りだけでは細かい表情までは読み取れなかったが、横目に眺めるその顔は昼間の陽気で快活な彼女とは雰囲気が違って見えた。
その面立ちは、今まで出会った誰よりもローカによく似ている。
もちろんシオンも自身やローカと同じ特徴を有していたが、背格好に加えて髪の色や肌の色が近い分、マグメルには姿を消した少女の面影を重ねてしまいそうになる。
それが目の前の少女に対して礼を欠く行為であると認識し、エデンはそっと目線を正面に戻した。
雨の中で足止めを食っていた楽団の面々と出会い、その中に自分たちとよく似た少女の姿を見た。
もしかするとローカの行方に関わる情報が得られるかもしれないと淡い期待を抱いたものの、自身を見詰める彼女の視線は輝きに満ちていた。
マグメルの発した「やっと会えた」の言葉、それは彼女にローカとのつながりがないことの何よりの証明に他ならない。
それでも聞きたいことは幾つもあった。
種の出自や由来についてなど、彼女が自身やシオンの知らない情報を持っている可能性もある。
それが失われた過去と記憶にたどり着くための手掛かりになるかもしれないのだ。
だが団員たちと共に過ごす慌ただしい時間の中で、彼女と話をする機会を見失っていたのも事実だ。
それは恐らくシオンも同じだろう。
彼女がもの言いたげな目でマグメルを見詰めているところは、エデンも何度か目にしていた。
だからこそ二人で話す機会の到来は、エデンにとって願ってもないことだった。
しかしながら、いざその状況に直面すると何から話せばいいのかわからなくなってしまう。
「その、マグメル——」
「ん、なあに?」
「——寝なくて大丈夫? ほら、出発前に疲れたって……」
沈黙を破って切り出したエデンに対し、彼女は若干慌てた様子で応じる。
「あ! ……そうそう! つかれてるはつかれてるんだけどさ、つかれすぎてねむれなくなっちゃうことってない? あるよね!」
「うん、ある……かも——」
「今ね、それなの! 今のあたしがそう!」
答えるエデンに対し、彼女は自身の顔を指差しながら繰り返した。
「そう、だからさ——」
マグメルは続けて呟くように言い、照れくさそうに指先で自身の頬をつつきながら続けた。
「——ちょっとだけおしゃべりしようよ」




