第二百十話 嚠 喨 (りゅうりょう) Ⅰ
片頬に笑みを浮かべた枝角の男の言葉を契機として、楽器を構えた五人の間に張り詰めたような緊張が走るのが見て取れる。
不意に訪れる無音は、先ほどまで降り続いていた雨がいつの間にかやんでいることを教えてくれた。
薪がぱちりと爆ぜる音とともに静寂を破ったのは枝角の男だった。
胸前に構えた不思議な形の楽器を、両手で伸び縮みさせるようにして音楽を奏で始める。
楽器は火起こしに用いられる鞴によく似た管状の部位を中央に持ち、両端に位置する六角形の小箱の板面には幾つかの鍵盤が並んでいる。
枝角の男が巧みな指運びで同じ旋律を繰り返し奏でていると、そこに巨躯の男の打つ太鼓の音色が加わった。
桶に似た円形の枠に鼓面を鋲でもって張った太鼓を片手で抱えた彼は、もう一方の手に握った撥を手首の返しを利かせて振るう。
強弱打ち分けて刻まれる正確な拍節に合わせるように、残る二人の男とマグメルも順に演奏に加わっていく。
二人の男の弾き鳴らす楽器はどちらも孔のうがたれた楕円形の胴体から延びた棹に数本の弦を渡したものだったが、大きさや形状、弦の本数も違えば演奏法も大きく異なる。
牙の男は肩と顎を使って挟んだ楽器の弦を、弓に似た道具で擦るようにして音を出す。
緩急を付けた弓さばきと、弦を抑える指の揺らぎは奏でる音に豊かな表情を与えていた。
木箱に腰を下ろした嘴人は組んだ足の上に置いた楽器を脇に抱え、翼指の先で弦をはじくようにして演奏する。
優しく繊細な調べは幾つもの音の中で過度に主張することなく、他の者たちの奏でる旋律に厚みと彩りとを添えていた。
マグメルが演奏するのは細く小さな笛だった。
軽やかな足運びとともに身体を揺り動かし、跳ねるような軽快な音色と伸びやかで柔らかい音色を細やかな指使いで吹き分ける。
五人の奏でる幻想的な音楽にすっかり引き込まれるうち、あっという間に演奏は終わりを迎える。
拍手をもって称えるエデンとシオンに対し、胸に手を添えた枝角の男は身体を畳むようにして一礼する。
「我らが愛すべき団員たちを紹介しよう! ——まずは提琴、サムハイン!」
身を起こした枝角の男が掌をもって示したのは、先ほど彼が料理頭と呼んだ牙の男だった。
枝角の男と同じく蹄人であることは手指を見るに明らかだが、ずんぐりとした風貌は既知の蹄人たちと大きく異なっていた。
頭部に角は持たないが、上下の顎から伸びる四本の牙がよく目立つ。
特に下顎から半月状に湾曲する形で上方に伸びた牙は口唇からはみ出るほどの長さがあった。
前方へ突き出した鼻先は平たく、鼻孔が前面に露出している。
短いが一本一本が太く硬そうな灰褐色の剛毛が全身を覆い、頭頂部から背中に掛けては中央の被毛だけが畝のように盛り上がっているのも特徴だった。
「紹介に預かりましたサムハインってもんです。小賢しくも提琴と料理人なんぞを任せてもらってまさあ」
牙の男は手にした弓のような道具を頭上で振りながら名乗る。
「——お次は片面太鼓、ベルテイン!」
次いで枝角の男は太鼓を抱えた巨躯の男を指し示す。
改めて見上げれば、容貌魁偉な偉丈夫と呼ぶにふさわしい大男だ。
先端付近で前方へ折れ曲がった太く長い角は、彼が枝角の男や牙の男と同様に蹄人であることを雄弁に物語る。
赤みのある茶色の被毛は毛足が長く、頭部に至っては伸びた被毛が両目を覆い隠している。
そのため表情をうかがい知ることは難しかったが、漂わせる雰囲気はどこか素朴で優しい。
「ベルテインは楽団が誇る怪力無双の勇者であり車夫! 我が家たる箱車を牽けるのは世界広しといえどもこの男くらいのものさ!」
口数の少ない彼に代わり、枝角の男が言い添える。
紹介を受けた巨躯の男は分厚い唇をめくり上げ、肘を曲げて二の腕に立派な力こぶを作ると、白く綺麗な歯並みを見せ付けるような満面の笑みを浮かべてみせた。
「——そして十五弦琴、ルグナサート!」
続いて名を呼ばれたのは、四人の男の中でただひとり嘴人である人物だった。
青みを帯びた艶やかな黒毛は濡れたような光沢を放ち、わずかに湾曲した太めの嘴と脚も、羽毛同様に漆黒でもって塗りつぶされている。
奔放な言動の目立つ他の面々の中にあって、そこはかとなく聡明で高貴な印象を漂わせる彼の存在はやや異質であるように感じられた。
「ルグナサートと申します。十五弦琴以外にもいろいろと嗜んでおります。以後お見知り置きを」
木箱に腰掛けたまま軽く会釈をし、嘴人の男は抱えた楽器をしゃらんとかき鳴らした。
「それからもうひとり——」
「はいはい!!」
次に枝角の男が視線を投げたのは、落ち着きなく頭を揺り動かしていたマグメルだった。
名前を呼ばれるのが待ち切れないのか、紹介を受ける前に自ら挙手をして存在を誇示してみせる。
「——君は割愛でいいだろう」
枝角の男が紹介を省略しようとすると、マグメルは手を掲げたまま拍子抜けしたように崩れ落ちてしまう。
「もー!! なんで!? ちゃんとあたしの名前もよんで!!」
「顔合わせは済ませていたじゃないか。いったい何が不満だっていうんだ」
不服そうに口を尖らせる彼女に対し、枝角の男はからかうような笑みを浮かべて言う。
「それじゃしまらないじゃん!! あたしだってみんなの仲間なんだから!!」
「わかった、わかったとも!」
笛を鼻先に突き付けられた男は身体を後方に仰け反らせて受け流すように答えると、改めて彼女の名前と担当する楽器を告げた。
「万緑叢中紅一点! 我らが団が跳ね返り、錻笛、マグメル!」
「はいはーい!!」
両手を高々と掲げて応じたマグメルは、はじけんばかりの満面の笑みを浮かべてエデンとシオンに手を振ってみせた。
「そして最後はこの僕だ!」
枝角の男は白々しいせき払いで注目を集めると、顎を持ち上げて下目遣いに言い放つ。
「世界を股に掛ける流浪の楽団、その名も高きシェアスールの団長、インボルクとは僕のことだ!」
誇らかに胸を張る男の姿形において最も目立つ点は、天に向かって梢を広げた樹木を思わせる見事な角だった。
八つに枝分かれした角は、彼自身の頭部二つ分以上の長さを有している。
赤褐色の短毛で覆われた身体は二人の蹄人と比べて痩身の部類であり、細面も相まってどことなく優美な印象を抱かせる。
畏れを知らぬ物言いと尊大な態度を崩さない彼だったが、不思議と嫌な感じを覚えることがないのは人柄のたまものだろうか。
傲慢に構えつつも間の抜けた振る舞いや言い回し、そして他の団員たちとのやり取りにはどこか滑稽なおかしみさえ感じる。
「楽器ならばなんでもござれだが、近頃はこの手風琴や風笛なんかを演ることが多いかな。それでは紹介も済んだことだし、次の曲に進むとしよう。諸君、準備はいいかい?」
枝角の男の言葉と視線に、団員たちは無言のうなずきをもって応じる。
足踏みで拍子を取り始めた彼が「ひゅう」と鋭く息を吸ったかと思うと、せきを切ったように全員が一斉に演奏を開始した。




