第二百八話 共 食 (きょうしょく)
「はい!! 出来ましたよっと!! こんなもんでしょ、上出来、上出来!!」
牙の男のしゃがれ声が辺りに響くや、はじかれたように飛び起きたのはシオンの膝の上で伸びていたマグメルだった。
「できたのっ!?」
叫ぶが早いか一目散に男の目の前まで詰め寄ると、取り上げた木製の椀を勢いよく突き出した。
「はい!! 入れて入れて!!」
「まあまあ、そんなに慌てなさんなって」
牙の男はもったいを付けるように言い、差し出された椀に仕上がったばかりで湯気を立てる料理を注ぐ。
「早く、早く!!」
「はいよ、お待ちどおさまでござんしたね」
「ありがと!! ——ん-、今日もおいしそう! ……あちち」
待ち切れない様子で足踏みをしていたマグメルは、受け取った椀から立ち上る湯気に鼻をくぐらせて感嘆の声を漏らす。
中身を跳ねさせながら嘴人の足下に膝を突くと、ふうふうと息を吹き掛けた椀を彼の翼に握らせた。
「はい、これ!」
「いつもありがとうございます、お嬢」
「あついから気をつけてね!」
抱え持った椀に嘴をうずめるように顔を寄せ、黒羽の嘴人は感じ入るように感謝の言葉を呟く。
マグメルは指先に跳ねた汁を唇でもってなめ取りつつ、満面に笑みを浮かべて応じた。
「エデンも食べよ!」
「う、うん——!」
腕を取られたと思うと、勢いよく木箱から引き起こされる。
押し付けられた椀と匙を両手で抱えたまま傍らを見やれば、シオンもまた手を取られて引っ張り起こされている。
ずり落ちそうになる布を左右の肘で押さえ込んだ彼女の胸にも、同じ木製の椀が抱かれていた。
シオンと視線を交わし合ったのち、鍋の前に腰を落ち着けた牙の男に向かって遠慮がちに申し出る。
「ほ、本当に自分たちもごちそうになっていいのかな……?」
「大恩人が遠慮なんてするもんじゃありませんやね。腹いっぱい食ってくれたほうが、こっちも作ったかいがあるってもんでさ!!」
すこぶる上機嫌に言って鍋の中身をすくい上げた男は、エデンらの手にする椀に溢れんばかりに注ぎ入れる。
「そ、そんなにたくさん……」
いくら空腹とはいえ、食べられる量には限りがある。
慌てて制止しようとするも時すでに遅く、手の中の椀には縁すれすれまで料理が注がれていた。
ふと横を見れば、シオンも料理が椀に注がれるところをひどく落ち着かない様子で眺めていた。
こぼしてしまわないよう十分注意を払って椅子代わりの木箱に戻る中、皆より少しだけ離れたところで酒杯を傾け続ける枝角の男に視線を投げる。
目が合うと、男は酒杯を軽く掲げつつ口を開いた。
「僕らにはこれがあるからな、君たちは先にやっていてくれ! 喜ばしきときには飲み、食べられるときには食べておくべし! 偉大なる芸術とは胃袋より生まれるものさ!」
いかにもな得たり顔で言ったのち、傍らに立つ巨躯の男と杯を合わせて笑い交わす。
「もー! まーた出来上がっちゃってる! いいからほっといて先に食べよ!」
二人を一瞥し、マグメルはすねたように頬を膨らませる。
だが手の中の料理に視線を落としてぱっと顔を明るくさせると、指先でくるりと返した匙を椀の中に差し入れた。
「いっただっきまーす!! ……んー!! おいしっ!!」
嬉々として匙を口に運ぶ彼女を見ていると、唾液の湧き上がってくるのをこらえることができない。
「じ、自分もいただくね。——い、いただきます」
先立って食事を進めている嘴人、酒を注ぎ合う枝角の男と巨躯の男、そして杓子を手に見上げる牙の男を順に見やったのち、匙を手に取って椀の中身をすくい上げた。
「……! お、おいしい……!」
思わず感嘆の声が漏れる。
食べ進めれば食べ進めるほどに手は止まらず、気付けば夢中で匙を口に運び続けていた。
牙の男の手による料理は、戻した干し肉を玉葱や人参、芹などの野菜と一緒に炊いた煮込みだった。
主たる具材と併せて煮込まれた棗椰子や葡萄、杏などの乾燥果実の甘みと、芳醇な香辛料の香りが肉の持つ旨味を存分に引き立てている。
旅中で口にできる食事とは思えない仕上がりは、携行食として持ち歩いている干し肉を焼いたりゆでたりと簡易的な調理を施して食べていた身には衝撃以外の何物でもなかった。
それどころか、宿場に併設されたあまり繁盛していない酒場や食事処で提供される料理などよりもよほど食の進む出来栄えだった。
椀の縁に口を付け、最後の一滴まで余さず飲み干して隣を見れば、シオンの抱える椀もすっかり空になっている。
視線に気付いた彼女は椀をそっと掌で覆うと、居心地悪そうにうつむいてしまった。
「まだまだたっぷりありますからね、遠慮しねえで腹いっぱいになるまでお代わりしてくださいよ」
「あ、ありがとう。じゃあ、もう一杯もらおうかな。——その、すごくおいしいよ。旅の途中でこんなにおいしいものが食べられるなんて思ってもみなかった」
杓子を手に腕組みをした牙の男が鼻の穴を膨らませて誇らしげに言う。
厚意に甘えて椀を差し出し、エデンは彼の料理の腕に対する賛辞の言葉を贈った。
「重畳重畳!! 美味い飯と旨い酒があればこの世は天国!! まずい飯なんか食ってる暇なんて人生にはありゃしませんやね!!」
牙の男は椀に二杯目を注ぎ入れつつ満足そうにうなずいてみせる。
「あたしもあたしも! お代わりちょーだい!」
「ようがすようがす」
ずいと突き出されたマグメルの椀にも、男は上機嫌な様子で二杯目をよそう。
「ありがと!!」
腰を落ち着ける前に二杯目を口に運び始める彼女を上目に眺めた牙の男が次いで視線を投げ掛けたのは、両手で椀を抱えてじっと座り込むシオンだった。
「もし、姉さんはもういいんですかい?」
「わ、私は……」
「食えるときに食う、あの人もたまにはいいこと言うじゃないですか。人ってのは生きていくために食べにゃならねえ難儀な生き物ですが、おかげでこうやって食う喜びも感じられるってんだからわかんねえもんですね」
牙の男が横目でちらりと一瞥したのは、巨躯の男と腕を交差させて酒杯をあおる枝角の男だ。
空の椀を握り締めて尻込みするシオンに対し、意地の悪い笑みを浮かべた牙の男が言い添える。
「迷うなら食っといてくださいな。腹なんて食ってるうちにいくらでも空いてくもんですから。それともお口に合わなかったってんなら無理にとは言いませんがね」
「そ、そんなことはっ……! い、いただきます!!」
「あいよ!! 毎度!!」
威勢よく声を上げ、男は差し出された空の椀に二杯目を注ぐ。
「こいつも忘れてもらっちゃ困りますからね」
牙の男は主菜を煮込む片手間で用意していたもうひとつの平鉢を取り出し、木箆ですくった中身を椀に添える。
椀をシオンに手渡すと男は鉢を抱えて立ち上がり、エデンたちの椀の縁にも中身を擦り付けて回った。
ゆで潰した芋に甘藍を和えた練り物状の料理は単独でも十分にうまかったが、先の煮込みと合わせて食べればなお匙が進んだ。
ひとしきり騒ぎ終えた枝角の男と巨躯の男が不確かな足取りで火の元へ戻ってくるところを認めると、牙の男は慣れた様子で二人分の食事を用意する。
「作り置きで恐縮ですがこっちもみんなで回してくださいな」
牙の男が隣に座った枝角の男に手渡したのは、何かが盛られた籠のようなものだ。
枝角の男は籠の中から薄切りにされた麺麭を一枚つまみ上げ、手にしたそれを隣の巨躯の男に回す。
巨躯の男からマグメルへ、マグメルからエデンへ、エデンからシオンへと回った麺麭の籠は嘴人の男を経て牙の男の元へ帰り、全員の間をひと周りする。
黒みがかった麺麭は時間が経って乾燥していたが、噛めば噛むほど香ばしさと酸味が口の中に広がった。
温かい汁と付け合わせの芋、どっしりとした歯応えを感じる麺麭を皆で味わう。
そうして慌ただしくも賑やかな、食事の時間は過ぎていった。




