第二百五話 榾 火 (ほたび) Ⅰ
「やあやあ、少年に少女!!」
よく通る明朗な声で言って牙の男を押しのけたのは、天に向かって伸びる見事な枝角を持つ男だった。
腰に手を添えて誇らしげに胸を張った彼は、もう一方の手でもってエデンとシオンの顔を順に指差してみせる。
何か思うところでもあったのだろうか、ふと眉根を寄せた男は指先を宙にさまよわせながら一歩進み出ると、見定めでもするかのようにエデンの顔をのぞき込んだ。
「少年——でいいのかな?」
「少年……だと思う」
己が一般的に言われるところの少年、つまり年少の男子であるとの確証が得られているわけではなかった。
自ら称しているわけではなく、周囲からの扱いに頼って少年として振る舞っていると言ったほうが正確かもしれない。
確答を避けた曖昧な応答だったが、枝角の男は大げさなしぐさをもって満足そうにうなずいてみせた。
「ならば結構!!」
ぱちんとはじいた指先を再度突き出し、仕切り直すように言う。
「助力に感謝するぞ、少年少女よ! 僕らのためによく働いてくれたと労わねばなるまい! 受けた恩には相応の対価をもって報いるもの。そうだな、君たちにはこの僕から感謝を込めた詩を贈ろうじゃないか! 身に余る誉れを光栄に思いたまえ!」
「はいはい、詩でもなんでも好きなだけ詠んでくれて構いませんが、できれば後にしてくれやしませんかね」
得意げに語る枝角の男を、今度は牙の男が押しのけ返す。
いかにも閉口気味に言うと、彼はエデンらの面前へとやって来る。
「とまれかくまれ、飯にしましょうや。同じ酔うなら詩情や美徳なんぞよりもよっぽどいいもんがありますからね。それにです、なんのかんので俺たちも朝っからなんにも食ってないんでさ。おっと、その前に——」
顎をしゃくっての合図を受けて進み出たのは巨躯の男だ。
エデンとシオンを見下ろす位置まで歩み寄った彼は、手にしていた厚手の綿布を二人の頭に押しかぶせる。
「風邪引くといけねえ。さっさと脱ぐもん脱いで、濡れちまった着物乾かしちまってくださいな。火に当たってもらってる間に飯もでき上がってるでしょうからね」
「……う、うん。ありがとう」
頭を覆う布の隙間から顔を出し、男たちに向かって礼を告げる。
勧められるままに雨具と衣服を脱ぎながら傍らを見れば、布の端を握り締めたまま固まってしまっているシオンの姿が目に映る。
「シオン、どうしたの? 脱がないの……?」
「わ、私はこのままで結構です。そのうち乾きますので、どうかお気になさらず」
胸元にひしと綿布を抱えて答える彼女だが、漂わせるのはどこかそわそわと落ち着かない雰囲気だ。
「でも濡れたままじゃ——」
「私のことはいいですからっ……!!」
他意なく掛けたひと言に、シオンは激しい剣幕で言い返す。
「こ、こんな大勢の前で……は、裸になるなんて、そんなの無理ですっ!!」
感情をあらわに声を上げるが早いか意気消沈したようにうつむいてしまうシオンだったが、かたくなな言葉とは裏腹に布で覆った口元からは小さなくしゃみが漏れていた。
「だめ!!」
声を上げて再びシオンに飛び付いたのは、率先垂範して手本を示すかのように全裸をさらしていたマグメルだった。
「そのまんまじゃかぜ引いちゃう! だいじょうぶ! はずかしくなんてないからさ!!」
「あ、貴女……!! な、何をするんですか!? や、やめてくださいっ……!! やめ——」
身もだえするかのようにあらがうシオンから強引に雨具を剥ぎ取ったマグメルは、続けて長衣を脱がさんと襟元に手を伸ばす。
「ねね! かわかさなきゃ! ぬいでぬいで!!」
「やめてくださ——やめて! お願いだから! お願い……!!」
「はやくぬぐの!!」
衣服を握り締めて必死の抵抗を見せる涙目のシオンに対し、興が乗り始めたであろうマグメルはますますもって色めき立っていく。
次第に着乱れて桂皮色の肌をあらわにしていくシオンと、鼻息を荒くして衣服を脱がさんとするマグメル。
止めに入ろうと試みては、伸ばした手を引っ込める。
罪悪感か背徳感か、見てはいけないものを見ているようなそんな感覚に襲われたエデンには、もみ合う二人から目をそらすことしかできなかった。
「わ、わかりました! わかりましたから……! 自分で脱ぎますからっ!!」
「えへへ、いいじゃん!! あたしがぬがしたげるからさ!!」
観念したように声を上げるシオンだったが、ひとり悦に入ったマグメルには彼女の叫びなど耳に入らない。
なおもって勢いづくマグメルが襟元を押し開こうとした瞬間、エデンの目に飛び込んできたのは小鍋を掲げた牙の男の姿だった。
再び振り下ろされた小鍋は、マグメルの頭を打ち据えるとともに《《ごん》》と鈍い音を立てる。
「いっ!! ……いったーいっ!!」
マグメルは苦悶の叫びを上げながら崩れ落ち、両の手で頭を抱えてうずくまる。
湧き上がる涙に潤んだ目で後方を振り返りると、心外といわんばかりの顔で牙の男をにらみ上げた。
「何回も何回もたたかないでよ!! ほんとにばかになっちゃう!! それに今のさ、角だよね!? 角はよくない!!」
「そりゃ目に角も立てますって。はしゃぐ気持ちはわからんでもないですがね、そんなんじゃせっかく会えたお仲間に嫌われちまいますよ」
頭頂部をさすりつつ口を尖らせて言うマグメルだったが、男は軽く受け流しでもするかのようにあしらってみせる。
「そらそら、飯の準備するんでお嬢も手伝ってくださいな」
「えー、あたしエデンとシオンといるー」
「駄目です。今ばかりはこっちに付き合ってもらいますよ」
男は渋るマグメルの手を取って引き起こすと、遠目に眺めていた枝角の男に向かって「旦那もですぜ」と告げる。
ぶつくさ文句をこぼす二人を引き連れ、牙の男は荷車の中へと引っ込んでいった。
三人の去った火の元は、まるで嵐の後のように静まり返っていた。
「ええと、あはは……」
空笑いを浮かべ、地面にへたり込んだシオンをちらりと一瞥する。
はだけた胸元を左右の手でかき抱いた彼女は、ずり落ちた眼鏡越しに責めるような視線でエデンを見上げる。
「どうして助けてくれなかったんですか……?」
「そ、それは、その——」
「……もう知りません」
不服げに言って背を向けると、シオンは身を包む綿布の下でもそもそと衣服を脱ぎ始めた。




