第二百四話 天 真 (てんしん)
街道脇を今夜の野営地と定めた男たちは、荷車の中からさまざまな道具類を運び出し始める。
皆の中心となって設営作業を進めるのは巨躯の男だ。
高所まで手の届く上背と強靭な腕力を生かして黙々と支度を整えていく。
最初に行ったのは、小脇に抱えた棒のようなものをぬかるんで緩くなっていない箇所を選んで立てていく作業だった。
樹木の幹と支柱の間に紐を渡らせると、蝋か何かで水をはじく加工の施された厚手の布地を慣れた手つきで張り始める。
何か手伝えることはないかと申し出るエデンに対し、男は体躯に似つかわしい大きな掌でもって押し込むようなしぐさをしてみせる。
それを「座って待て」の意と捉えたエデンとシオンは、用意してもらっていた椅子代わりの木箱に腰掛けて待つことにした。
「シオン、ええと、その……ありがとう」
「なんのことでしょう。貴方から礼を言われる覚えはないのですが」
「そ、それは——その、シオンのおかげでなんとかなったから」
作業風景を眺めつつ、隣に掛けるシオンに向かって遅まきながら感謝を伝える。
「その話ですか」
「うん、その話。助けに行きたいって言い出したのは自分なのに、自分ひとりだったら何もできなかったって思う」
わずかに肩を落として言うエデンを横目に一瞥し、シオンは何かをなぞるかのように指先を動かした。
差し伸ばされた指の先に見て取ったのは、先ほど皆で力を合わせて押し上げた荷車だった。
彼女はわずかに口元を緩め、今一度ゆっくりと指を動かしてみせる。
「あ……」
指し示すのが荷車の車輪であること、指が小さな円を描いていることに気付けば、思わず驚きの声がこぼれ出ていた。
「得意を生かせばいいのです。貴方は貴方の思うままに、と言ったはずです」
「……うん」
正面を見据えてさらりと言う彼女に、エデンもまた荷車の車輪を見詰めたまま小さくうなずいた。
ふと耳に飛び込んでくるはずんだ声に顔を上げれば、笑い合う枝角の男と小柄な少女の姿が目に飛び込んでくる。
作業に飽きてしまったのだろうか、二人は道具を使って遊び始めてしまっていた。
「まじめにやってくださいって!! ちゃんと働かないと旦那もお嬢も飯抜きですよ!!」
じゃれ合う二人に向かって声を上げたのは牙の男だ。
布地と支柱を支える紐を固定するための掛け釘を打ち込む手を止めた彼は、ため息交じりに大きく嘆息していた。
その間も巨躯の男は手際よく作業を進めていき、たちまちのうちに雨よけの天幕が完成する。
天幕は男たち五人とエデンら二人、合わせて七人を収めてもなお余りある大きさだった。
用意した炭と薪とを使って物慣れた様子で火を起こし始めたのは牙の男だ。
育っていく火を手をかざして見守っていた男たちも、赤々とした炎が上がると見るや、ひと息ついたかのように次々と雨具を脱ぎ去っていく。
下ばきのみになったことで、雨具で覆われていた男たちの見目形があらわにされる。
枝角の男だけでなく、彼を相手に幾度も言い合いを繰り返していた牙の男と巨躯の男もまた同じ蹄人であることが手指の形状から見て取れた。
「あたしもぬぐ!!」
宣言して外套の頭巾をめくり上げたのは小柄な少女だった。
燃え上がる焚火の向こうで、ぶるぶると頭を振って水滴を払い飛ばしている。
「あ——」
揺らめく炎を受けて赤く染まった少女の姿を前にして、槌か何かで思い切り頭を殴られたような衝撃を覚える。
衝撃の程を伝えようと隣に腰掛けたシオンの袖を引くが、彼女は男たちの裸身を前に目を背けてしまっている。
自らもまた震える手で雨具の頭巾を脱いだエデンは、焚火の向こうの少女の姿を食い入るように見詰めていた。
衣服を乱雑に脱ぎ捨てた少女は完全に丸裸だったが、決してそれが理由で視線を釘付けにされていたわけではない。
体表は被毛にも羽毛にも、もちろん鱗甲にも覆われておらず、薄皮のような皮膚が露出している。
被毛といえば頭部を覆うのみ、やや癖のあるそれは炎のきらめきを映して赤みを帯びて見えた。
眼前の少女がローカやシオン、そして己と限りなく近しい存在であることがひと目で確信できる。
注がれる視線に気付いたのだろう、振り返った少女もまた頭巾の下の顔をさらしたエデンを前にして大きく目を見張っていた。
「あああああっー!!」
驚愕の叫びを上げた少女は素っ裸のまま勢いよくたき火を飛び越え、両手を突き出す形で頭から飛び込んでくる。
「うわっ——」
「会えた!! やっと会えたよ!! あたしと同じだれか!!」
勢いよく組み付かれたことにより、のけ反るようにして後方に倒れ込む。
少女はあおむけになった身体の上にそのまま伸しかかると、ぼうぜんと見上げるエデンの顔に頬を寄せた。
「ま、待って……」
左右に顔を振ってのささやかな抵抗どお構いなしとばかりに、少女は繰り返し頬を擦り付け続ける。
ひとしきり頬ずりをして満足したのか、身を起こした彼女は依然としてあおむけに投げ出されたエデンの身体にまたがったまま、こぼれんばかりの笑みを浮かべてみせた。
「あたしはね、マグメル!!」
「じ、自分はエデンで、こっちは——」
顔を見上げて名乗ると、組み敷かれたまま傍らのシオンを横目で見やる。
「シオンです」
「エデン! シオン! うん、エデンとシオンだね!!」
マグメルと名乗った少女は噛み締めるように繰り返したのち、驚きを表しつつもどこか不機嫌そうな面持ちを浮かべるシオンに向かって飛び付いた。
「なっ……!」
「きみもおんなじだ!! 会えてうれしい!!」
取り乱すシオンなど気にも留めず、マグメルは彼女の顔にもしきりに頬を寄せる。
両手で突っ張って押しのけんとするシオンだったが、マグメルはすがるように抱き付いて離れようとしなかった。
「うふふふ……!!」
「や、やめてくださいっ!!」
にやけた顔でシオンに擦り付くマグメルだったが、辺りにぽこんと小気味よい音が響くとともに動きを止める。
「いったーいっ!! 何するのっ!! もうー!!」
後ろ手に後頭部をさすり、マグメルは勢いよく背後を振り返る。
後方に立っていたのは牙の男で、手にした小鍋を彼女の顔先に突き付けて言う。
「こら、お嬢。そのへんにしときなさいって。姉さんも嫌がってるでしょう」
「だからってやり方あるでしょ! 今よりもっと頭が悪くなっちゃったらどうするの!?」
「そいつは一大事でさ。はいはい、悪うござんしたね」
ぐいと顎先を突き出してマグメルが言い返すと、牙の男は小鍋で自らの肩を打ちつつ口先だけの謝罪を返した。




