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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第二章  自由市場(じゆういちば) 篇   第七節 「どこまでも広き世界へ」
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第百九十一話  贐 餞 (はなむけ) Ⅰ


 辺り一面に飛び散った水を三人で協力して拭き取ったのち、翌日の再訪を約束して帰途に就く。

 自然と橋を渡る足が早まるのは、今の勢いをそぐことなくラバンとラヘルに思いを伝えたいからだ。

 間を置いてしまえば再び機を逸してしまいかねず、固めた決意も揺らいでしまうかもしれない。

 帰宅するが早いか、玄関先の土間から室内に向かって大声で告げる。


「ローカを捜しに行くよ!!」


 ラバンは何も聞くことなく従容としてうなずき、ラヘルは「行ってらっしゃい」とたったひと言呟いてエデンの身体を抱き寄せた。


 翌日、約束通り先生の家を訪れて目にしたのは、前日までと大幅に事情を異にした室内の様相だった。

 書架に収まりきらず床まで溢れ出していた書物が、一見して半分ほどに減っている。

 聞けば先生からの依頼を受けたマフタが、昨日のうちに信頼できる書籍商を紹介してくれたらしい。

 当座の旅の路銀にと、先生は自らの蔵書を買い取ってもらうことで少なくない額の金を工面してくれたのだった。


「……あんなに大切にしていたのに」


 相談なく商談を進めたことに対して繰り言のように呟き続けるシオンだったが、先生は広くなった書斎で身体を伸ばし、何事もないかのようなすまし顔で自らの頭部を指し示してみせた。


「大丈夫ですよ。一度読んだものは全てここに入っていますから」


 大量の蔵書と引き換えに得た路銀を握り締めたシオンと共に、エデンは旅に必要な持ち物の調達に回った。

 本当にローカが北の果ての地に向かったのであれば、先生の言うように旅は長く過酷なものとなるだろう。

 かつて遊歴の学者であった先生が長旅の必需品一式を洗い出してくれたため、覚え書きを手に一軒一軒商店を回る。

 半日ほどをかけての買い出しを終えて彼女と別れたのちは、マフタとホカホカが日頃から露店を開いている広場へと赴く。

 だが、いつもの広場に二人の嘴人の姿はなく、近くに店を出している同業者であろう商人の口から耳にしたのは、彼らが今朝方自由市場を発ったという知らせだった。


 シオンと相談を重ねた結果、出立は七日後と定めていた。

 おのおの旅の支度を進めることにしていたが、エデンは極力それまで通りの習慣を崩すことなく日々を過ごすよう心掛けた。

 朝起きてはラヘルと並んで家事を行い、ラバンと共に仲仕の仕事へと赴く。

 昼は一度家に戻って三人で食事を取り、午後は再び仕事へと向かう。

 河で水浴びをして帰宅、夕食を取って家事の残りを済ませたのちは、しばし二人と言葉を交わして眠りに就く。

 ラバンもラヘルも別れの日が目前に迫っていることを承知した上で、まるでその事実を知りもしないかのように振る舞ってくれていた。


 少女のいない日常は瞬く間に過ぎていく。



「餞別だ。持っていけ」


 出発前夜、いつも通りの武骨な手つきでラバンが差し出したのは、大切にしていた青の顔料を買い取ってもらって得た金の全てだった。

 遠慮せずに受け取ってほしいとラヘルも強く求めたが、素直に受け取ることのできない理由があった。

 なぜなら自身も自身で、二人への感謝の印としてローカの頭飾りを買い取ってもらって得た金を贈ろうと決めていたからだ。

 医者を探す旅を取りやめたとはいえ、ラヘルのために幾らかの金を残しておきたい気持ちは大きい。

 誰にでも扱え、使い方を誤らない限り己の身を守ってくれる最後の砦になり得るのが金だ。

 思いを思いのまま届けることは困難だが、金は人の思いを限りなく乗せ込むだけの度量を持つ道具なのかもしれない。

 その旨を告げると、ラバンとラヘルは顔を見合わせて考え込んでしまった。


 三人で頭を付き合わせた結果として行ったのは、一見するとまったく意味のない取り交わしだった。

 青色の顔料の売値の半分がラバンからエデンに、エデンからは黄金の髪飾りの売値の半分をラバンとラヘルに贈る。

 結果だけ見れば、両者の手元に残った金額に互いの手持ちを贈り合う前との大差は見られなかった。

 分かち合ったのは思いだけであったが、無意味な儀式はほんのひと時だけ旅立ち前の物寂しさを忘れさせてくれた気がした。


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