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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第二章  自由市場(じゆういちば) 篇   第五節 「消えた少女と、少年の一番長い日」
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第百六十九話  此 彼 (しひ) Ⅱ

 遠く下流の方向を眺めるエデンの目に映ったのは、果たして危惧した通りの光景だった。

 準市民区側の河辺には、普段と変わりなく流れ着いたごみを物色する人々の姿が多く見られる。

 皆が皆、大河の対岸で起こっている騒ぎなど知る由もないといった様子だった。


「は、早く伝えないと……!!」


 大河に架かる橋を渡って準市民区側に引き返そうとしたところ、何か大きなものに行く手を阻まれる。

 突然目の前に樹木が生えてきたのかと思ったが、よく見てみれば自然物ではなく人工物であることがわかる。

 橋番らしき者たちによってごろごろと音を立てて運ばれてきたのは、橋幅と同程度の長さを有した木製の柵だった。

 下部に履くかされた車輪は橋の渡り口近くで回転を止め、木柵は通行を封鎖する形で配置された。


「え……」


 寸前で行く手をふさがれ、今まさに向かおうとしていた場所への唯一の経路を断たれる。

 己の背丈の三倍はあろうかという高さの木柵を前にして棒立ちになっていたエデンの元に、一人の人物がひどくいら立った様子で歩み寄ってくる。

 今日までの数度にわたる渡橋に際し、たびたび顔を合わせたことのある橋番の男だった。


「さっきからうろちょろ落ち着かない奴がいると思えばお前か!! 面倒事を起こすなと言っただろう!!」


 先ほどの衛兵たちとのやり取りも見ていたのだろう、橋番は辟易したように声を上げた。


「ち、違う!! 河の向こうにまだ逃げてない人がいるんだ!! だから早く伝えないと!! ——すぐに逃げてって!!」


 首を突き出して威圧するように言う橋番だったが、引くことなく顔を突き合わせるようにして言い返す。

 橋番は譲るそぶりを見せないエデンを乱暴に押しのけると、吐き捨てるような口ぶりで言った。


「知ったことか!! 俺たちの仕事は正市民の生活を守ることだ!! 向こう側に勝手に住み着いている奴らに知らせる筋合いなどあるものか!!」


「勝手に——え……?」


 不意打ちを食らったかのように呟くエデンに対し、橋番はいら立ちを隠そうともせず「ち」と舌打ちを放つ。

 続けて橋番が木柵を足先で蹴り付けつつ告げたのは、さらに耳を疑うような言葉だった。


「これだからよそ者は迷惑なんだ!! いいか、()()()も向こう側の連中が混乱に乗じて正市民区に入って来ないようにするために置いているのがわからないのか!? ……たまにいるんだよ、お前みたいな奴が!! 何も知らないくせに正義感だけはご立派な奴が!! なぜ俺たちが一から説明しないと——」


 歯止めが利かなくなったように延々としゃべり続ける橋番から、頭上高くそびえる木柵へと視線を移す。

 立て並べた棒杭に横木を渡して作った簡易な構造の柵ながら、河の向こうに向かって突き出た最上部の杭は鋭く削り込まれている。

 橋番の語る通り、その部位には対岸からの渡河を拒む強固な攻撃性が感じ取れた。


「でもやっぱり——知らせないと……」


「お……おい、お前!! 何をしている!! 一度こいつの向こう側に回れば騒ぎが収まるまでは戻れないぞ!!」


 つと木柵の真下に歩み寄って横木に手を掛けるエデンを目にし、橋番はいきり立つように声を荒らげる。

 橋番の声を背中に受けて一瞬だけ木柵を登る手を止めるエデンだったが、小さく頭を振るって再び上方に手を伸ばす。

 本音を率直に打ち明ければ、大河の上流の方角に見付けたローカをすぐにでも追い掛けたかった。

 だが異種が迫っていると知ってしまった以上、一刻も早く下流の人々に危急を伝えなければならない。


「みんなに知らせないと……!!」


 真っ先に思い浮かぶのは自宅の裏庭で授業を行う先生とシオン、そして熱心に勉強に励む子供たちの姿だ。

 ローカと二人たどり着いて以降この自由市場で短くない時間を過ごしてきたが、異種が現れたことは一度としてない。

 ローカがその接近や出現の兆候を感知するようなこともついぞなかった。

 仮にシオンの有する力にローカと同様の異種を感知する使途があったとしても、先ほどの困憊具合を鑑みれば都合のよい期待に逃げ込むべきではないことは明白だ。


 折悪くローカが不在である以上、動ける者が動くしかないのだ。

 ささくれ立った樹皮を残した杭を手掛かりに、鋭利な先端をあらわにする最上部の杭を乗り越える。

 いつものごとく下りる際には足を踏み外して柵の中ほどから落下する形になったが、痛みを気に留めることなく立ち上がる。


「勝手にしろ!! 死んでも知らんぞ!! 旅人の保護だかなんだか知らんが俺は忠告したからな!!」


 左右の掌を打ち合わせて粗皮を払い、叫び続ける橋番の声を聞き流すようにして走り出す。

 此岸こちらから彼岸あちらへ、彼岸あちらから此岸こちらへと何度も渡った橋だが、気ばかりが先走って焦れば焦るほど対岸が遠い。

 待ち切れず橋の中ほど辺りで立ち止まったエデンは、下流でごみを物色している準市民区の住人たち目掛けて声を張り上げた。


「早く逃げて!! 異種が——!! 異種が来る!!」


 あらん限りの大声で叫ぶが、下流の人々は一向に気付くそぶりを見せない。

 距離が遠いこともあるが、轟々と流れる大河の河音に叫びをかき消されてしまっているのだろう。


「異種が!! 来てるんだ!! 逃げて——!!」


 河音に負けじと再度声を張るが、やはり呼び掛けに気付くものは一人もいなかった。

 橋の欄干を握り締めて下流を見据えていたところ、突然割れるような銅鑼の音が飛び込んでくる。

 振り返って正市民区側の河辺を見据えるエデンの目に映ったのは、算を乱すように散り散りに逃げ去っていく橋番たちの姿だ。

 下流側から上流側の欄干に取り付き直すと、身を乗り出すようにして上流に目を凝らした。


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