第十六話 修 繕 (しゅうぜん)
休日にもかかわらず酒場に出向いたのは、店の壁に空いた大穴を修理するためだった。
さかのぼること昨夜、酒場には珍しく二人以外の客の姿があった。
酔った客たちはいつになく張り切る主人の目の前で言い争いを始め、熱を帯びた口喧嘩は程なくもみ合いへと移行する。
アシュヴァルが制止のために腰を上げるより早く、一方の客の繰り出した拳がもう一方の顔面を打ち、その身体を出入り口のある大通り側の壁へと突き飛ばした。
到底頑丈とは呼べない安普請の壁はいともたやすく破壊され、殴られた客は店の外へと転がり出る。
酔客たちはアシュヴァルに絞られて早々に退散したが、壁には見るも無残な大穴が残る結果となった。
肩を落とす主人に対し、修理を行うことを申し出たのは少年だ。
突然の言葉に戸惑いを覚えていた様子ではあったが、酒場の主人は感謝をもって申し出を受け入れる。
困惑していたのは主人だけではない。
「……ったく、仕方ねえな。俺も付き合うぜ」
あきれ交じりに嘆息するアシュヴァルもまた、何を言い出すのかと言わんばかりの大儀そうな表情を浮かべていた。
◇
「——次だ、よこせ」
「はい」
「おう」
少年が木板を手渡すと、釘をくわえたアシュヴァルは器用に金槌を扱って穴の空いた酒場の壁にそれを打ち付けていった。
彼がひと通り釘を打ち終えたことを確認し、次の木板を差し出す。
アシュヴァルは受け取った追加の一枚を壁にあてがうと、「ここ、押さえててくれ」と指示を出した。
壁に空いた穴の修理を申し出たのは少年だったが、結局主体となって作業を行っているのはアシュヴァルのほうだった。
以前に山留めの仕事に携わった際、金槌や釘の扱いについてある程度は教えてもらっている。
壁を直すぐらいならば簡単にできるだろうという慢心の元に修理を申し出たわけだが、金槌のひと振り目が打ったのは釘の頭ではなく自分自身の親指だった。
指を押さえてうずくまる少年に代わり、アシュヴァルが金槌を手に取る。
手際よく木板を打ち付けていく彼の作業ぶりを、少年は板を支えながらじっと眺め続けていた。
「もう一回やってみるか?」
「い、いいの……?」
「また指打つんじゃねえぞ」
視線に気付き、釘を打つ手を止めたアシュヴァルが言う。
嬉々として答える少年に対し、彼は掌の中で返した金槌を柄を向けて差し出してくれる。
再び手にした金槌を恐る恐る振るうが、おっかなびっくりではうまくいくはずもない。
ぎこちない手つきにじれったさを覚えたのだろうか、アシュヴァルは身ぶり手ぶりを使って釘打ちのやり方を教えてくれる。
「だー、違う違う! 最初っからそんなに力入れんじゃねえよ! 初めは小さくだな、こう——こんこんって感じで優しくやんだよ!」
「こう?」
「そうだよ、そう! んで、残りは思いっ切りだ。……あー! 違う、そうじゃねえよ! それじゃ途中で曲がっちまうだろ! ——腕じゃなくてよ、肘と手首を柔らかく使うんだって!」
「……こ、こうかな?」
「お、そんな感じだ! なんだよ、できるじゃねえか!」
教わった通りに夢中で釘を打ち込んでいたところ、後方から「ふーん」という気のない声を聞く。
釘をくわえながら振り返った少年は、そこに腕組みをして自身らを見下ろす酒場の給仕の姿があることに気付く。
「お昼。用意したから少し休みなよ」
「お、ありがてえ! 今日はずいぶん気が利くじゃねえか。お言葉に甘えて休憩にしようぜ」
「うん、ありがとう」
指先で酒場の中を指し示す給仕に礼を言い、二人は酒場の中へ足を踏み入れる。
途中、給仕が意味ありげ笑みを浮かべていることに気付いたアシュヴァルは、いぶかしむような視線を彼女に向けた。
「なんだよ」
「なんでも」
「……んだよ、感じ悪い奴だな」
含み笑いに口元をゆがめてはぐらかすように答える彼女に、アシュヴァルは短く悪態をつく。
「アシュヴァル。あんた、丸くなったね」
そう答えて彼の胸を人さし指でつつくと、給仕は二人の脇を取り抜けてひと足早く店の中へと戻ってしまった。
「丸くなったって……俺が? お前もそう思うか?」
「——ううん、アシュヴァルはずっとアシュヴァルだよ。初めて会った日から何も変わらない」
ぼうぜんとした表情を浮かべて給仕の言葉を繰り返す彼に、少年は左右に首を振って答える。
「だよなあ。あいつ、なんか勘違いしてんじゃねえのかな。ま、いいけどよ。——早く行こうぜ、飯だ」
納得したように呟くと、アシュヴァルは軽やかな足取りで店の中へ入っていった。