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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第二章  自由市場(じゆういちば) 篇   第四節 「賢者と知愛づる少女」
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第百五十九話  衷 心 (ちゅうしん)

「そ、そんなのお前に関係ないだろっ!! お前のもんじゃないんだからさ!!」


「ううん、関係なくなんてない」


 よほど触れられたくない話題なのだろうか、ムシカはひどく慌てた様子で声を荒らげた。

 ごく最近にも一方的な関係の有無を専断された覚えはあるが、今回においては彼の言い分のほうに多少の分を感じるのも事実だ。

 先生から連れ戻してほしいと頼まれたわけでもなく、盗まれた側であるホカホカから理由を聞き出すことを求められたわけでもない。

 即答したものの、差し出がましいまねをしているとの自覚も多分にある。

 それでも引くことができない理由があるとすれば、誰かではなく己の内にあるのだろう。


「——これ、いいかな」


 言って強引に押し付けたのは、腰帯から鞘ごと抜いた剣だ。

 エデンの手が剣に伸びた際はびくりと身を震わせたムシカだったが、剣を押し付けられたのちは表情を戸惑いの色へと急変させる。

 自らの背丈よりも長い剣を両手で抱え、ムシカは困惑をあらわに声を上げた。


「お、おい!! ……なんだよこれ、なんのつもりだよ!!」


「それ、自分も盗んだんだ。後から返そうと思ってたけど、それは言い訳だから」


 自嘲の笑みを浮かべて傍らのローカを見やり、再度ムシカに向き直る。


「あのときは本当に必死で、他に何も考えられなくて……そうするしかないって思ってた。だけど時間が経って気付いた——気付かせてもらった。自分が間違っていたってことを。……今の君みたいに」


 かつて犯してしまった過ちを語るエデンを前に、ムシカはうつむき気味に目を伏せてしまう。

 一度は顔を上げて何か言おうとするそぶりを見せたが、結局何も発することなく口を閉ざしてしまった。


「謝れば許されるわけじゃない。謝る機会だってもらえるかもわからない。でも自分は幸運だった。聞いてもらえて、わかってもらえて、許してもらえて、それで救われたんだ。——だから君も自分と同じだよ、ムシカ」


「同じ……? 何が同じ……?」


 上目遣いに見上げ、絞り出すような声でムシカが呟く。


「マフタもホカホカも優しい人だ。自分たちがされたことよりも、君が罪を重ねてしまうことを心配してた。だからその……こんなことは絶対に言っちゃいけないってわかってるけど、でも君にわかってもらうために言うよ。マフタとホカホカで——」


 いったん言葉を切って目を閉ざし、敏く思慮深い茶色の羽毛の嘴人と、優しくどこまでもおおらかな緑色の嘴人の顔を思い浮かべる。

 ひと呼吸おいたのち、両手で剣を抱え込むようにして握り締めるムシカを正面から見据えて続けた。


「——本当にマフタとホカホカでよかった。君の間違った思いの向かった先が二人だったから、君には救われる余地が残されてる。でも二人みたいに優しい人たちが割を食う、報われないのも駄目なんだ。だから君にはもう一度マフタとホカホカに会ってほしい。その思いやりと優しさが無駄じゃなかったんだって二人に示してほしいんだ」


「な、何言ってるんだよ。意味がわからないって……」


「自分もよくわからないよ。わからないけど、君にも救われてほしい。なぜかって言うと、それがマフタとホカホカの願いだから。でも君にそれを無理強いすることはできない。だから君が君の意思でそうしようって思ったら、そうしてくれるとうれしいって……そう思う」


「おれが——は……?」


「そう、君が」


「……だからさ、なんなんだよ、それ。わから——わからないって」


 明快とは言い難いエデンの言葉を受け、ムシカの顔に激しい動揺の色が浮かぶ。

 一瞬何か言い返そうと口をもごつかせるそぶりを見せるムシカだったが、一拍置いて小さなため息をつくと、いかにもいら立たしげに「は」と吐き捨てた。


「——これ」


 ムシカは乱暴な手つきで剣を突き返し、四人の仲間たちが去った方向へと歩き出す。

 エデンらの脇を通り過ぎたところでふと足を止めた彼は、消え入りそうな声でぽつりと呟いた。


「……もう逃げないよ。日が出てるうちはここにいるからさ、気が変わったんならいつでも突き出してくれて構わないよ。それからさっきの——話すってやつ、考えとく」

 

「うん、ありがとう」


「だからなんでお前が……意味わかんないんだって」


 感謝の言葉を受けたムシカは不納得の意を隠そうともせずにもう一度大きなため息をつくと、エデンら三人に背を向けて再び歩き出した。


「あれがさ——」


 二度に及んで足を止めた彼は、小さな両手を固く握り締め、湧き上がる悔しさを噛み締めるかのように漏らす。


「——あれがあったら……雨の日でも——家の中でも勉強できると思ったんだ」


「あれ……」


 繰り返してみたところで、ムシカの言うあれが指すものがホカホカの宝物である蠟石だと気付く。


「……書くものが欲しかったんだ。今よりもっと勉強して偉くなって、それで仕事見つけて、いつか家族やあいつらにいい暮らしをさせてやりたいって思って。……だから向こう側に行った。言い訳になるけどさ、金を盗んでやろうって思ってたわけじゃないよ。そりゃ金は喉から手が出るほど欲しいよ。欲しいけど——それだけはしないって決めてた。それがごみための中で育ったおれなりの誇りだからさ。それで探してたんだ、書くもの。向こう側の奴らはまだ使えるもんまでなんでもかんでも捨てるから……だからあんな小さいかけらならもう要らないだろって思った」


「それでホカホカの……」


「——ううん、それだけじゃない。あの太っちょがうれしそうに鼻歌なんか歌いながら布になんか描いてるから……腹が立って……うらやましくなって、それで……」


 足下に視線を落としながら呟いていたムシカだったが、突として顔をあおむけたかと思うと、自ら話を切り上げるような調子で声を上げた


「……これで満足した? おれの事情なんて知ってどうするつもりか知らないけどさ」


 ちらりと後方を振り返った彼は幼さに見合わぬ卑屈な笑みを浮かべ、背を向けたまま視線だけをシオンに投げる。


「おれはもう先生に合わす顔がないけどさ、あいつらには今までみたいに勉強を教えてやってほしいんだ」


「ムシカ、そんなことを言わないで貴方も——」


「おれはもういいよ。……勉強とか、将来とか、なんかどうでもよくなっちゃった」


 手を差し伸ばし、諭そうとするシオンに対してそう言い捨てると、ムシカは河岸を駆け上るようにして走り去ってしまった。



「……シオン、せっかく連れてきてもらったのにごめん。もうちょっとうまく話せるかなと思ってたんだけど、駄目だったみたい」


「無茶苦茶な人ですね」


「そう——かな、そう……だよね」


 戻ってきた剣を腰帯に差し直しながら謝罪の言葉を口にする。

 心底あきれ果てたような表情をたたえたシオンは、儀式張った手つきで円環に触れ、わざとらしいしぐさで首を左右に振ってみせた。


「話をしたいと言うからには何かこう論理的で合理的な解法をお持ちなのかと考えていましたが、どうやら私の計算違いだったようですね。感情的で即興的で、とてもではないですがさえたやり方ではない——そう思いながら聞いていました。加えて氏素性も知らない相手にご自身の武具まで預けるなど、どうかしているとしか思えません」


 シオンの見解はぐうの音も出ないほどの正論だった。

 あのまま剣を持ち逃げされることも十分にあり得れば、考えたくはないが刃を向けられていた可能性も完全にないとはいえないのだ。

 それではなぜ自らが無防備になろうとも剣を差し出したのかと問われても、明確な答えなど出ようはずもない。

 肩を落としたまま助けを求めるように傍らを見下ろすが、ローカはいつもと変わらぬ無色を宿した表情で見上げ返してくるだけだった。


 「それは……そうかも」


 腰帯に差し終えた剣の柄に触れながら呟くエデンを見据え、シオンはあきれとも感心とも付かぬ表情で続ける。


「……ですが、あの場では貴方の取った行動が、貴方の選んだ言葉が最善だったのではないかとも思えます。ムシカがあそこまで素直に思いを語るところを見たのは初めてです。先生も私も開くことができなかったあの子の心を、貴方は一見不条理にも見える方法で——」


 そこまで言って己の口にした言葉を否定するように頭を振った彼女は、自分自身を無理やり納得させるかのように呟いた。


「——方法、ではないのでしょうね」


 ぎこちない笑みを浮かべて小さく肩をすくめると、次にシオンはローカの面前へと進み出る。


「ローカさん、この人はいつもこんな感じなのですか?」


 手を取られて問われ、ローカは不可解そうな面持ちで小首をかしげてみせる。


「一緒にいるとさぞ骨の折れることでしょう。お察しします」


 気遣わしげに言ってシオンが頬を緩めれば、ローカの顔にもかすかな喜色がともる。

 一人置き去りにされてしまったエデンは、笑みを交わし合う二人の少女を訳もわからずに眺めていた。


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