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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第一節 「人として生きる」
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第十五話   整 容 (せいよう)

「お前さ、だいぶ伸びたんじゃねえの? 頭の毛」


「……そ、そうかな」


 アシュヴァルは少年の額を小突き、その頭部をぐいぐいと揺さぶった。

 今までとりわけ意識したこともなかったが、言われてみればそんな気がしなくもない。

 触ってみると確かに目に掛かるほどの長さまで伸びた毛を、横に流すようにかき上げながら答える。


「本当だ」


「だろ? それよ、目に入ったら邪魔になるんじゃねえか?」


「……うん、そうかも」


 つまんだ毛先をよじりながら言う少年に対し、アシュヴァルは突然思い立ったように手を打った。


「そうだ! 俺が切ってやるよ!」


「え!? アシュヴァルが……!?」


「任せとけって!」


 言うが早いか、彼は部屋の中をあちこち捜し回り始める。


「剃刀があったと思うんだけどよ、どこだったかな……お! あったあった!」


 少年が不安そうに見詰める中、アシュヴァルは中指ではじいて一回転させた剃刀で部屋の扉を指し示し、急かすように言った。


「——外行こうぜ、外!」



 今日は少年が一週に二日もらっている休日のうちの一日だ。

 鉱山での労働により疲れ果てて眠って過ごすのがお決まりではあったが、体力が付いてきたのか近頃は多少の余裕も生まれつつある。

 いつからかアシュヴァルも休日を合わせてくれるようになり、二人で一緒に過ごす機会も増えた。

 特に何をするというわけでもなかったが、それほど広くない町を散策したり、昼間から行き付けの酒場を訪ねたりするのが二人の日課だった。


 今日も酒場に出向く用向きがあったが、約束の時間まではまだ余裕がある。

 そんな中でふとアシュヴァルが口にしたのが、頭部の毛の話題だった。


 長屋の裏手の広場に向かうと、住人たちが椅子代わりに使っている岩に腰掛け、アシュヴァルに後頭部をさらす。


「——不思議だよな、頭の毛は結構な勢いで伸びるんだからな。俺らみたいに季節で生え換わるって感じでもなさそうだしよ」


 後方に立ったアシュヴァルは左右に身体を動かし、切り具合を確かめながら言う。

 彼の手にした剃刀が少しずつ頭部の毛をそぎ落とすところを、少年はこわごわとした心持ちでうかがっていた。



 放浪の末に流れ着いた鉱山で抗夫として働き始め、二月余りが経っていた。


 当初は一緒に働く皆に迷惑を掛け通しだったが、ここ最近は少しずつ仕事にも慣れてきているような気がする。

 以前よりは周囲を見ることができるようになり、鉱山やその麓の町で働く人々に意識を向ける機会も増えてきた。

 そんな中で、気付けば自身と同じ——あるいはよく似た姿形を有する者を探してしまうこともあった。

 ひと目でそれと違うとわかる嘴人や鱗人はもちろん、同じような毛と臍を持つ獣人たちであっても、自身とはかけ離れた外見をした者ばかりだ。

 もしも同じ姿を持つ誰かに出会えたなら、失われた過去と記憶に近づく手立てが得られるのではないか、そんな思いを抱く余裕も生まれ始めている。

 この鉱山をよく知るアシュヴァルとイニワが見ていないと言うのだから疑う余地はないのだが、それでも見慣れぬ姿を見れば知らず目で追ってしまっていた。


 以前と比べてはるかに硬くなった掌に視線を落とし、物思いにふけっていたところ、ふと穏やかではない声を耳にする。


「——あ」


 呟いて手を止めるアシュヴァルを見上げ、慌てて声を掛ける。


「な、なに……? なに!?」


「な、なんでもねえよ! あれだろ、会ったときと同じぐらいの長さに切ればいいんだよな? 落ち着け! 大丈夫だって!」


 アシュヴァルは不穏当な呟きをごまかすかのようにまくし立て、再び剃刀を入れ始めた。


「ほ、本当に大丈夫……?」


洞毛ひげじゃねえんだから、少しぐらい切り過ぎたって問題ねえだろ! 大丈夫、大丈夫だ!」


 アシュヴァルは後方を見上げて恐る恐る尋ねる少年の頭を強引に前に向き直らせ、自らに言い聞かせるように言った。

 

 落ち着かない気分で頭を預けていると、どこかから複数人のものであろう含み笑いが聞こえてくる。

 声のする方へと視線を向けた少年の目に映ったのは、連れ立って歩く二人の女の姿だった。

 長屋の裏手の小道を歩く獣人らしき女たちは、少年とアシュヴァルを見て何やらくすくすと笑い声をこぼしている。

 視線に気付いたのか、彼女らは小さく手を振ってみせる。

 どのように反応をすればいいのか戸惑いつつうつむくと、アシュヴァルは有無を言わさず頭を持ち上げた。


「おい、切りにくいだろ。頭上げてろって——」


 言ったところでアシュヴァルもまた二人の女の視線に気付き、因縁でもつけるかのように首を突き出す。


「あん? なんか用か、お前ら?」


 女たちはにらみ付ける彼を前に「きゃ」「怖い」とわざとらしい悲鳴を上げ、その場から走り去っていく。

 彼女らの後ろ姿を眺めて「ち」と舌打ちをしたのち、アシュヴァルは不機嫌そうな顔で呟いた。


「なんなんだよ、あいつら」


 不服げに言って仕切り直すように嘆息すると、アシュヴァルは改めて剃刀を握り直した。

 それから数分ほどかけてひと通りの作業を終えた彼は、指先で頭部と衣服に残った毛を払い落とす。

 そして満足げに「ふう」とひと息つくと、少年の肩に手を添えて上機嫌な口ぶりで言った。


「よし、できたぞ!!」


「——ありがとう。なんだか軽くなった気がする」


 礼を言って椅子代わりの岩から立ち上がる。

 井戸の近くまで歩を進め、その脇に置かれた長屋の住人共用の桶に水を張る。

 膝をついて水面に顔を映し、頭部に触れて毛の具合を確かめた。


「あれ……? なんか左と右で長さが違うような……うわ——」


 顔をしかめながら呟いたところで、不意に背後から頭を桶の中へと押し込まれる。


「……ん……はっ——!」


 水に濡れた顔を勢いよく振り上げ、慌てて息を吸い込む。


「ア、アシュヴァル、何するの——!!」


「なんも変わんねえって!」


 精いっぱいの抗議に対し、口の端をつり上げたアシュヴァルはからかうように言う。

 おかしそうに腹を抱えて笑う彼を見返すと、少年は意趣返しとばかりに持ち上げた桶の中身を浴びせた。


「——おわっ! お、お前! なんてことしやがる!!」


「お返しだよ」


 全身の被毛と洞毛から水を滴らせながら不服げに言うアシュヴァルに向かって笑い交じりに答える。

 込み上げてくるおかしさをこらえ切れず含み笑いをこぼす少年を前に、アシュヴァルの口からも笑い声が漏れる。

 笑みを浮かべたまま井戸のそばまで歩み寄ると、彼は釣瓶を手繰ってくんだ水を少年の頭から浴びせ掛けた。

 二、三度そのやり取りを繰り返すと、二人は顔を見合わせ、声を上げて笑い合う。


 しばらく笑い続けたのち、ぬれた身体を乾かして着替えを済ませ、用件を片付けるためにいつもの酒場へと向かうことにした。


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