第百五十三話 厄 祟 (たたり) Ⅰ
「私たちの生まれた村はね、ここからずっと北西の……街道からも遠く離れた丘の上にあったの。小さな村の小さくない、それなりに大きなお屋敷が私たちの住まいだった。村を治める領主——それが私の父で、領主の妻がラバンの母」
「やっぱり二人は兄妹なの……?」
ラヘルの口から語られる身元の話に、若干の違和感のようなものを覚えずにはいられない。
彼女の言が正しいのであれば、二人の関係を血のつながらない兄妹のようなものと語った昨日のラバンの言葉と完全に矛盾しているからだ。
訴えるようなまなざしをもって、ラヘルとラバンの顔を交互に見やる。
「ええ。私たちは兄妹のように育ったわ。幼い頃からラバンは私のことを妹のように可愛がってくれたし、私はラバンを兄のように慕っていた。でもね、私たちは血のつながった兄妹ではないの。兄妹でもなければ——他人でもない」
「兄妹でもなくて——他人でもない……? それって——」
「私の父は領主。母は領主のお屋敷に住み込みで働いていた使用人——」
困惑するエデンをよそに、ラヘルは淡々と自らのひと通りではない生まれを語る。
「——そして領主の妻と使用人の夫の間に生まれたのがラバン。……わかるかしら? 領主夫妻とその使用人夫妻、二組の男女の間に生まれた不義の子供たち。それが私とラバンなの」
「え……あ——」
驚くべき告白に、エデンは困惑の表情を浮かべることしかできなかった。
ラヘルは自嘲気味にも見える笑みを浮かべ、思い出話でもするかのように語り続ける。
時折言いよどんだり言葉を詰まらせたときなど、補足するように言い添えるのはラバンの役目だ。
罪深い四人の親たちの偽善と欺瞞に翻弄され続けた二人の過去は、人の営みを知って日の浅いエデンにとってにわかには信じ難いものだった。
箱の底に閉じ込めていた過ぐる日の痛みを暴いてしまったのは自分ではないかと激しい後悔を抱く一方で、一言一句を聞き逃してはならないと懸命に耳を傾け続けた。
◆
ラバンとラヘルが生まれたのは、小さな村落を治める地方領主の家だった。
代々続く領主の家系の長男として生まれた父親は、なるべくして領主の地位を受け継いだ。
領地を巡っての侵略行為が横行した時期もあったが、小さな村落が難を逃れ続けたのは、周辺地域の中で最も僻地に立地していたことが原因の一つだった。
歴代の領主の為政者としての才腕はおしなべて有能でも無能でもなく、逆にそれが近隣からの警戒を緩めていた部分もあったのだろうとはラバンの弁だった。
領主は妻との間に二人の子供をもうけた。
やがて領主を世襲するであろう長男も、兄を支える立場となるであろう次男も、父の血を色濃く受け継いだ凡庸な人物だった。
争いとは無縁の平穏な日常が続く中、一家を揺るがす事件が起きる。
領主の妻が三男として産んだのは、領主とは似ても似つかぬ姿形をした子だった。
顔形、耳の長さ、毛色とも、父親とは遠く懸け離れた姿は、領主夫妻の下で働く使用人にあまりにも似過ぎていた。
それだけなら周囲に伏せようもあったかもしれないが、時同じくして使用人の妻から産まれた子の毛色が、領主と瓜二つであったことが事実をより複雑にした。
領主夫妻は互いに不義密通を交し合っていた事実を穏便に処理し、使用人夫妻の処遇に関しても不問に付すことにする。
そして生まれた子らは、それぞれ実の父親の下で育てられる運びとなった。
領主の妻と使用人の夫の間に生まれた男児はラバンと名付けられ、成年に達したのちは使用人として屋敷に仕えた。
領主と使用人の妻の間に生まれた女児はラヘルと名付けられ、領主夫妻の末の子として育てられた。
一時の過ちを悔いた領主の妻は、妾腹の子であるラヘルにも実子と変わらぬ愛を注ごうと努めた。
領主もまたラバンを使用人の一人として扱いながら、血のつながりのない彼の生活を陰ながら援助した。
二人が密かに通じ合った結果生まれた庶子であること以上に、領主が領民たちに知られたくなかったことがあった。
それは二人が別種の間に生まれた子であるという事実だった。
同じ蹄人ではあるものの、領主夫妻と使用人夫妻は異なる種だったのだ。
同種以外との交わりが決して犯してはならない禁忌とされる中、子まで成したと知られては領民に示しが付かない。
領主はおおよそを知る他の使用人たちに対しても、終生の好待遇を約束するとともに口止めを図っていた。
しかしながら人の口に戸は立てられぬもので、いかに秘匿しようとも人々の間にうわさが広まるのは必定だった。
別種の間に子が誕生することはまれであり、生まれたとしても心身に何かしらの問題を抱えていることも少なくない。
例に漏れずラヘルも生まれたときから身体が弱く、幼少期から常に病気がちな日々を送っていた。
屋敷から出ることのないラヘルを、呪われた娘だと領民たちはいたく恐れた。
一方で彼女と同じく別種の間に生まれながら、ラバンは成長するに連れ文武にわたって優れた資質を見せ始める。
領民のうちには凡愚とあだ名される二人の兄より、妾腹の子であったとしても彼こそが次代の領主にふさわしいと触れ回る者も出始めていた。
己の不用意なひと言が両親が秘匿しようとしている秘密や兄たちの将来を瓦解させかねないと知ったラバンは、滅多なことでは感情を表に出さない寡黙な男子に育っていた。
二人の交流が始まったのはさかのぼること子供時代、使用人として屋敷内の雑務に当たっていたラバンが、決して開けてはならないと固く戒められていた離れの部屋の戸を好奇心からのぞいてしまった日からだった。
窓のない部屋に押し込められるようにして暮らしていた少女を目にし、聡いラバンは即座に事情を察した。
彼女が自らと同じ境遇にあること、そして望まれざる子であることも。
翌日からラバンは人目を避けてラヘルの元を訪れるようになる。
外の世界を知らないラヘルのため、彼は己の描いた絵を贈り続けた。
無口なラバンだが、描く絵は数多くの得手の中でも雄弁にものを語ると村落の皆の口の端に上るほどの腕前だった。
二人が顔を合わせることはほとんどなかった。
ラバンは閉ざされた扉の下から絵を差し入れ、ラヘルは部屋の中からそれを受け取る。
たったそれだけの交流が、数年にわたって続けられた。
曖昧模糊たる環境の中にあって、ラヘルとラバンは双方の両親の目の届かないところで絆を強めていった。
いつからか領主夫妻もラバンの行動に気付くが、二人して見て見ぬ振りを決め込んだ。
ラバンもまた自らの行動が黙認されていることを理解しながら、ラヘルの元を訪れ続けたのだった。
別種の間に生まれた呪われた血の持ち主は子孫を残す機能を持たない。
一生を閉じた部屋で独り生きていかなければならない彼女を憐れんだ両親の、せめてもの贖罪だったのかもしれないと二人は回想する。
そんなある日、ラバンとラヘルは屋敷を出奔する。
自らの存在が優しくも平凡な二人の兄の枷になると理解していたラバンの苦渋の決断だった。
屋敷を出ると告げた彼に対して「連れていって」と願ったのはラヘルだ。
ラバンは何も聞かずに彼女の頼みを聞き入れ、二人は夜のうちに屋敷を飛び出した。
元来蒲柳の質であり、外の世界のことを何ひとつ知らないラヘルを連れての長旅は過酷極まりないものだったという。
しかし、ラバンはただのひと言も文句を口にしはしなかった。
ラヘルもまた、一度として弱音を吐くことなく旅を続けた。
自由市場へとたどり着いた二人の最初の住まいが準市民区にあったことを知り、エデンは思わず驚きの声を漏らす。
ラバンが死に物狂いで働き、市民権を得て正市民区に居住を許されるようになったのはこの一年の出来事だと知ってさらなる驚愕を覚えていた。
◆
「——それが私とラバンの、呪われた半生」
ひと通りを語り終え、ラヘルは小さく嘆息する。
「この町こそが私の死に場所だって思っていたわ。たくさんの種の暮らすこの町で、何者でもない命として消える。それが呪われた私に残された、ただ一つの人としての生き方なんだって思ってた。でも……もう少しだけ頑張ってみようかなって」
続けてエデンとローカに向かって微笑み掛けたかと思うと、彼女はひと言だけ呟いてすとんと眠りに落ちてしまった。
「……聞いてくれてありがとう」




