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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第二章  自由市場(じゆういちば) 篇   第四節 「賢者と知愛づる少女」
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第百四十六話  書 痴 (しょち) Ⅰ

「ま、待ってっ!!」


 遠ざかる背に向かって声を掛けた瞬間、少女はつと立ち止まる。

 逃げられてしまったと思っていただけに、その反応は望外のものだった。

 振り返った少女は上目でエデンを見詰めたと思うと、身を急反転させて走り出す。

 それを「付いてこい」の合図だと判断し、エデンは懸命に彼女の後を追った。

 入り組んだ家々の隙間を通り抜け、時に食事をする人々の間を突っ切って進み、数分ほど走り続けたところで少女は足を止める。

 指先をもって前方を指し示す少女の隣に並ぶと、エデンは腰を落として目線の高さを合わせる。

 辺りには家屋も人々の姿もなかったが、彼女の指さす先には、たった一軒だけ石造りの建物が存在していた。


「ここに先生が——」


 建物を見上げて呟いたのち、案内をしてくれた少女に感謝を伝えようと傍らを見下ろす。

 だが、そこに先ほどまでいたはずの彼女の姿はなく、周囲のどこにも見当たらない。

 しばらく辺りを探し回るエデンだったが、礼は次に会えたときと気持ちを切り替え、石造りの建物に向かって足を進めた。



「ええと、こんにちは——でいいのかな」


 出入り口らしき木の扉を見つけて何度かたたいてみるが、どれだけ待っても返事はない。


「誰もいないのかな……? ——ごめん、開けるよ」


 一応の断りを入れた上で、把手に手を伸ばす。


「あれ……?」


 外開きの扉には鍵が掛かっている様子はなかったが、立て付けが悪いのかうまく開かない。

 何度か押したり引っ張ったりを繰り返していたところ、突然ものすごい勢いで扉が開け放たれる。

 扉に押しのけられる形で後方に吹き飛ばされたエデンが尻もちの状態で見上げたのは、地滑りのように降り注ぐ書物の山だった。


「う、うわあっ——!!」


 逃げる暇もなく、崩れ落ちる書物の下敷きになる。

 のし掛かってくる書物をかき分けるようにして頭を出すが、辺りは舞い上がった埃がもうもうと立ち込めている。

 勢いあまって埃を吸い込んでしまったエデンがごほごほとせき込む中、建物の奥から何やら慌ただしい声が聞こえてきた。


「おやおや!! 何事ですか!?」


 けぶる埃の向こうから、手にした書物で空を扇ぎながら何者かが近づいてくる。

 自らも激しくせき込みつつ書物の山を乗り越えて現れたのは、既知のどんな種とも特徴を異にした一人の人物だった。

 被毛や羽毛の一本も見当たらない灰褐色の外皮はまるで護謨ごむのように滑らかで、つるりとした頭部からはなだらかな曲線を描いて細長い嘴のような口先が突き出している。

 ゆったりとした着物の袖や裾から伸びるのは、三角形に近い形状をした幅広かつ扁平な手足だった。


「はて、貴方は——?」


 護謨のような表皮を有した男は、呟いてじりじりと詰め寄ってくる。

 細く伸びた口先の根元を挟み込む形で取り付けられた不思議な道具——透明な板をはめ込んだ一対の金属の円環を指先で押し上げると、男は透明な板に透かす形でエデンの顔を凝視した。


「ええと——そ、その……」


 書物に埋もれたエデンが身を後方に反らすそぶりを見せると、はたと気付いたように男は動きを止める。


「これは失礼!! 知人によく似ていたもので、つい……」


 言って自らの額をぺしりとはたいてみせると、男はエデンの頭に乗った一冊を扁平な手で取り除いた。


「おけがなどされていませんか?」


「う、うん、平気。……ありがとう。それより——」


 散乱した書物の山を眺め見て謝意を示す。


「——自分のほうこそ、悪いことしちゃったみたいで……」


「いえいえ、どうぞお気になさらず。確かにここは玄関でして——いえね、私のことを知る方たちは皆ここではなく裏の勝手口を使ってくれるものですから! 片付けろといつも叱られてはいるのですが、摩訶不思議なことに気付くとこのような状態になっている始末でして。まさかお客さまがいらっしゃるなどとは思いもしておりませんでしたし——」


 よどみなく喋り続けたかと思うと、男は突然横を向いて押し黙る。

 傍らに表紙を上にして落ちていた一冊の書物を震える手で取り上げた彼は、不意に感嘆の声を上げた。


「おおおお……!! こ、これは——!! 捜していたんですよ——これ! どこへ消えたかと思えば、こんなところにあったなんて! ああ、会いたかった……」


 男はエデンの存在などお構いなしにその場に座り込み、開いた書物を夢中になって読み始めてしまう。


「——そうそう、これですよ、これ」


 納得したように何度もうなずきながら頁を繰る男に、エデンは恐る恐る声を掛ける。


「ええと、その……」


「ん? ——ああ! そうでした、そうでした!! お客さま——お客さまでしたね! これは私としたことが!」


 男は書物を閉じかけたところで一瞬手を止め、頁を折ったそれを脇に積み上げられた書物の山の上に大雑把な手つきで戻す。

 山はばたばたと音を立てて崩れ落ちたが、彼は一顧だにせずにエデンに向き直った。


「いやはや失礼失礼!! お待たせ致しました、私に何かご用ですか? そうですよね、ご用がなければ、このような辺鄙な所まで訪ねて来られる理由などありませんからね!!」


「……う、うん、先生っていう人を捜していて——」


「ええ、ええ! そうですとも、私がその先生です! 偉そうな名前などよりも、ここではその通称で通っています! 貴方も遠慮なく先生と呼んでくださって結構ですよ、ええと——」


「あ……! じ、自分は——」

 

 エデンが名を名乗ると、男——先生は一人納得したように繰り返した。


「エデン君、エデン君ですか! いい名前ですね、実にいい名前です!」


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