第百四十三話 縁 起 (えんぎ) Ⅰ
「お前の事情に一切同情していないかって言えば、そいつはうそになる。でもな、それと商売とは話がまた別だ。別にして——正しく判じて十五枚。だまそうなんてつもりも毛頭なければ、お前に代わって負債を抱えようなんて殊勝な性分も持ち合わせちゃいない。だから——安心して売ってくれ」
エデンの葛藤ぶりを見て取ったのか、マフタは感情を表に出すことなく、あくまで事務的に言った。
「け、けど——さっきの店の人は五枚だって……」
「ものの値打ちなんて人それぞれさ。あの爺さんには五枚分の価値だったが、俺にとってはその限りじゃないって話だよ。ところでだ——」
断然と言い切ったのち、マフタは話題を本筋からそらすように続ける。
「——鉱山で働いてたんならさ、そいつにどれくらいの金が使われてるかわかるだろ? 溶かしたら金貨何枚分ぐらいになると思う?」
「これを、溶かしたら……?」
質問を受け、手の中の頭飾りに視線を落とす。
「どうだろう、うーん……五、六枚ぐらいかな……? あ——」
はたと言葉をのむエデンを前に、マフタは満足げに笑ってみせた。
「そういうことさ。あの爺さんはそいつを金属としての価値でしか見てない。だから——五枚だ。ま、ひと目で本物の金だって見抜いた眼力は大したもんだよ。確かに金にはそれだけで値打ちがある。錆びない、光沢を失いにくい、加工しやすいとか、利点を並べれば枚挙にいとまがないくらいさ。掘り出される量も他の金属と比べて稀少で、値打ちがあるものだって誰もが信じてるから、貨幣としての価値も担保されてる」
「金って奇麗だもんねー、おいらも大好きー」
同意の言葉とともに、ホカホカもうっとりした表情を浮かべる。
「もちろん俺も大好きだよ。でもな、もしも金が山ほど取れたならさ、人の目に一番美しく見えるのは鉄——なんて可能性もあったかもしれないぞ」
ホカホカを横目に一瞥したのち、マフタは冗談めかして言った。
「て、鉄が……!?」
「そんなに驚くなって。もののたとえだよ。鉄が劣ってるって言ってるわけじゃないし、この世には鉄にしか果たせない役割があることも知ってる。もちろん銅には銅の、銀には銀の——って具合にな。でもだ、やっぱり人が金に魅了されるのは、こいつの言う通り、単純に美しさからだと俺は思う。金の輝きってやつはずっと昔から人の心を魅了してきたし、強い執着を抱かせてきた。権威の象徴として利用する者もいれば、放つ輝きに霊的な力を見る者もいた。だから人は純度の高い金を取り出すために製錬の技術を高め、秘められた美しさをいかにして引き出すかに傾倒し続けてきたんだ。人の歴史は金とともにある——って言っても、言い過ぎじゃないかもな」
マフタはそこで一度言葉を切ると、いたずらっぽい笑みを浮かべて言い添えた。
「——なんてな。本気にしたか?」
「え……!? 本当のことじゃないの……?」
頭から信じてかかっていたからか、肩透かしを食ったような気分になる。
マフタは固まってしまうエデンを愉快そうに眺めながら続けた。
「うそじゃないさ。それに何も金に限った話じゃない。俺たちが主に扱ってる布や糸なんかも同じだよ。美術も芸術も——知識も信仰も、日々絶え間なく変化してる。この料理だって——」
卓に並んだ皿から突匙で取り上げた果物を、嘴で挟んで飲み下す。
「——同じさ。人が不便さを厭い、より豊かな生活を望む限り、今日って日には昨日と同じものは一つとして存在しない。風土に根差した集団によって創られた文化は時を経て洗練され、伝播し、模倣され、変容し、他の文化との統合と分離を繰り返しながら形を変えていくもんなんだ」
言ってマフタは果物をもうひとかけら突き刺し、エデンの眼前に向かって突き付けた。
「金には値打ちがある。紛れもない事実だが、それを信頼していいのは、この今という時間に限っての話だ。明日はわからない。明日、お前の働いてた鉱山でものすごい量の——それこそ人の価値観がまるごとひっくり返るくらいの金が発掘されるかもしれない。金が誰の手にも簡単に届くような金属になったとき、人が今みたいにその輝きに美しさを見いだせるかどうか——ってところさ。ものの価値っていうのはそれくらい危ういもんなんだ。だけどな、人が永い歴史の中で築き上げてきた、世代を重ねて受け継いできた技術と研鑽ってやつは、たとえ何が起きたとしても色褪せることはないし、絶対に裏切らない。俺は……俺たち商人が売り物にするのは、良くも悪くも人のなせる業だって思ってる。例えば——色を並べて、石を削って、糸を紡いで、思い描く姿を形作る技術。例えば——神話や歴史を語り、豊穣への願いや祈りを乗せた歌に踊り。例えば……」
続けて果物を口内に放り込むと、エデンが腰に差した剣に視線を向ける。
「……いかに効率的に殺めるかに特化する形で洗練されていった戦の技術——それもすべて人の積み上げた技ってやつだ。どれが崇高でどれが卑俗かなんて、杓子定規に分けることはできない。誰の目も届かないところで連綿と受け継がれている技もあれば、歴史の中でひっそりと消えていく文化もあるくらいなんだからな。とまあ、長くなっちまったけど、言いたかったのはだ——つまり、俺はそういう人の営みが好きなんだよ。石の塊から取り出された金の輝きに美しさを見るのは人が生まれ持った本能なんだろうけど、それをさらに美しく磨き上げようとする行為は人の知性の表れだ。そんな人の生み出した文化を残すための手助けができればいいなって俺は願ってる。お前に十五枚払っても、その飾りを作った職人が利益を得られるわけじゃないってのはもちろん承知してるよ。でもだ、そうやって俺たちみたいな商人が、ものとそれに付随する価値を正しく認め続ければ、いつか本当の意味で作り手と買い手をつなぐことができるようになるかもしれない。正しい——ってそれも匙加減なんだが、適正な価格で品物と技術を売り買いできるようにしたいんだ。ものを作るわけじゃない俺たち商人が作り出せるのは、そういう縁——つまり輪っかなのさ」
言ってマフタは翼で小さな円を描いてみせる。
「それがマフタのかなえたい——願い……?」
「ああ、そうさ。商売を通して世界に恒久の平和を届ける——なんてな。どうだ、格好いいだろ?」
自信に満ちた表情で胸を張って答えたのち、マフタは決まりが悪そうに笑ってみせた。
「今はまだ夢の途中——だけどな」
小さなため息をつくと、マフタはじっとエデンの目を見据えて言った。
「だから——ほら。そいつ、俺によこせよ。今は持ち合わせがないから金はまた明日渡す。取りあえず先にもらっといてもいいか?」
言って卓に身を乗り出すようにして翼を伸ばす。
「うん、わかった。——これ、お願いするね」
エデンが手にした金の頭飾りを差し伸ばされた翼の上に乗せようとした瞬間、マフタの表情がにわかに凍り付く。
「ああああー!!!! もうー!!!!」
天井を仰いで突然大声で叫んだと思いきや、伸ばした翼を引っ込めたマフタは椅子から卓の上に跳び乗る。
そしてエデンに向かって翼の先を突き付けながら言った。
「だーかーらー!! そういうとこだぞ、そういうとこ!!」
「な……何が——」
「何が、じゃないの!! どうしてそんな簡単に人のこと信用するんだよ! 今の今だぞ、少しは疑うこと覚えたらどうだ!?」
「で、でも——マフタなら信じられるって思ったから……」
「そんなんだから丸め込まれるんだよ! !!」
大変な剣幕で詰め寄る彼に気おされながらも、なんとか申し開きの言葉を口にする。
だが、憤るマフタに一切耳を貸そうとするそぶりは見られなかった。
「ほらー、マフター。乗っちゃだめだよー」
ホカホカによって、マフタは卓の上から椅子へと戻される。
持ち上げられて椅子に運ばれている最中も、彼は不機嫌そうな表情のままだった。




