第百四十二話 容 喙 (ようかい) Ⅱ
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「こんの——莫迦野郎っ!!!!」
口の中のものを盛大に飛ばしながら怒鳴り声を上げるのはマフタだ。
卓の向かいに腰掛けたエデンは、その口から放たれた食事のかけらを正面から浴びる形となった。
「マフター、お行儀悪いよー」
ホカホカは腹立ちが収まらない様子のマフタに向かってたしなめるように言うと、続けて申し訳なさそうにエデンの顔を布巾で拭った。
「ごめんねー、エデンー……」
「謝る必要なんてないぞ! こいつが悪いんだ! あれだけ釘刺しておいたのにさ、やすやすと丸め込められそうになってよ……! まったくどいつもこいつも——」
怒り冷めやらぬ口調で言い捨てると、顔を背けたマフタはふてくされたように呟いた。
「——どうして俺たちに相談してくれなかったんだよ……! 何かあったら力になるって言っただろ? ……それともあれか、もう忘れちまったのか?」
「ち、違うよ! そこまで頭が回らなかったんだ……! 余裕もなかったんだと思う。それに……その——」
「それになんだよ」
言いよどむエデンを、マフタは不機嫌そうな上目で見据えて言う。
「——もうお礼はもらったし、これ以上迷惑は掛けられないよ」
「お前っ……!! 莫っ迦野郎——!! そういうことじゃないのっ!!」
叫ぶマフタが翼で年季の入った卓を打つと、その上に並んだ食器類が跳ねる。
自身の分と彼ら二人の分、倒れそうになる三つの水飲みをエデンはとっさに手で支える。
「お店の中で大きな声出したら駄目だよー、みんなびっくりしちゃうよー」
「うるさいな!!」
言い聞かせるような口ぶりで言うホカホカだが、気色ばんだマフタは聞く耳を持とうとしない。
「もうー、ご機嫌直してよー……」
「知るかよ!!」
ホカホカが顔をのぞき込もうとするたび、マフタは逆側に顔を背けてしまう。
何度かやり取りを繰り返すと、ホカホカはあきれとも諦めともつかぬ表情を浮かべて深々と嘆息した。
「ごめんねー、エデンー。……マフタねー、こうなっちゃったら少し時間かかるかもー」
いかにも申し訳なさそうに謝罪を口にし、次いで横目でマフタの様子をちらりとうかがう。
視線に気付いてますます不服げに顔を背けるマフタから再びエデンに視線を移すと、ホカホカは胴衣の衣嚢から見覚えのある白いかけらを取り出した。
「でもねー、おいらもマフタと同じ気持ちなんだー。これはねー、大切な人がくれたー、大切なものなのー。おいら以外には価値がないものかもしれないけどー、おいらにとっては何より大切な宝物なんだー。だからそれを取り戻してくれたエデンとローカにはねー、どれだけ感謝しても足りないくらいだよー。おいらのありがとうって気持ちはー、きっとエデンが思ってるよりも何倍も何倍も大きいんだー。だからねー、困ってるときはいつだって頼ってほしいなー」
ホカホカはそう言って相好を崩すと、エデンに向かってにこやかに微笑みかけた。
「ホカホカ——うん、ありがとう……」
「こいつの言う通りだよ」
エデンが感謝の言葉を口にすると、顔を背けたままのマフタも不承不承といった様子で同意を示す。
「返したからそれでしまい、そういうんじゃないだろ——恩ってさ」
ただでさえ細く長い嘴をさらに尖らせて言い、小さく肩をすくめてみせる。
「マフタ……」
「おっと——!」
感極まるエデンを遮り、マフタは文字通り嘴を容れる。
「感動するのはまだ早いぜ。確かに俺もこいつもお前のことを助けてやりたいって思ってはいる。それは掛け値なしの本心だ。けどな、俺たちにもできることとできないことがある。できることなら労は惜しまないが、まずは話を聞いてからだ」
「うんー、そうだよー。おいらたちにできることならなんでもするよー。だからー、お話聞かせてほしいなー!」
「二人とも……うん、ありがとう」
改めて礼を言い、自らの置かれた現状について語る。
マフタとホカホカの二人はたどたどしい口調で語られるエデンの話に、終始神妙な面持ちで耳を傾け続けた。
エデンが過去と記憶を持たないと知るや、ホカホカは目を見開いて驚き、まるで己のことのように心を乱す。
ローカとの出会いに話が及んだところでは、言葉を詰まらせるエデンが次のひと言を放つより早くマフタが口を開いた。
「俺たちも売り買いを世渡りの方便にしている身だ。世の中でどんなものがやり取りされているかは相応に知っているつもりだ。俺は道義にもとるような品を扱ったりもしなければ、胸を張って商売人だって言えないようなまねは絶対にしない」
それ以上を口にすることはなかったが、その言葉は彼の商売に対する真摯な態度と思慮分別に加え、人に対する思いやりの深さを物語っているように感じられた。
続けて目覚めてからこの町にたどり着くまでの経緯、世話になっているラバンとラヘルの境遇を説明し、彼女のために今すぐにでも金が必要なことを伝えた。
マフタは「なるほどな」と短く答え、ホカホカは「大変だったんだねー……」と涙目になっていた。
マフタは話の半ばほどから考え込むようなそぶりを見せていたが、話を終えてひと息つくエデンの目を見据えて言った。
「事情はわかったつもりだ。例の品、金貨で十二……いや十五枚で俺がもらおう」
「じゅ——!! 十五……」
声を上げそうになり、慌てて口をつぐむ。
「十五枚って——そんなに……けど——」
マフタの申し出はこの上なく有難いものだった。
金貨五枚でも十分だと思っていたところに、三倍もの額を提示してもらえたのだ。
しかしながらその金額は、先ほどの商店の店主の口にした五枚とはあまりに開きがあり過ぎる。
素直に甘えていいものなのかと、エデンは大きな戸惑いを覚えていた。




