第百四十一話 容 喙 (ようかい) Ⅰ
「その、いいかな……?」
ここで二の足を踏んでいても先に進まないと意を決し、店の奥の店主を見据えて口を開く。
「こ、これを買い取ってほしいんだけど……」
恐る恐るの手つきで取り出すのは、懐に忍ばせていた金の頭飾りだ。
エデンの求めを受けていかにも億劫そうに振り向いた店主だったが、手の中の頭飾りを一瞥しただけで再び奥を向いてしまった。
「そ、その……これを——」
「五」
ひょっとすると聞こえていなかったのかもしれない。
再度希望を伝えんと口を開くエデンに対し、店主は遮るようにして数字のみを口にした。
「ご……? 五って——」
「金貨で五、嫌なら他を当たってくれ」
繰り返すエデンに、背を向けたままの店主は愛想のない口調で続ける。
「金貨で五……ご、ご、五枚——!?」
想像もしていなかった金額を提示され、思わず大声を張り上げる。
常に熱気とにぎわいに満ちた食料品区と隣り合っているとは考えられないほど、辺りは粛然と静まり返っている。
そんな中にあって、声は辺りに大きく響き渡る。
他の露店の店主や、取引客たちから浴びせられる懐疑の視線を受け、エデンは自らの掌をもって口元を覆う。
肩を落として顔をうつむかせると、改めて店主から提示された金額に思いを巡らせた。
金貨五枚といえば、大金も大金だ。
人並みに仕事をこなせるようになった自身が、鉱山で働いて得られる給金の数か月分だ。
ラヘルを診てもらうとしてどれくらいの費用が必要かは想像もできないが、腕の立つ医者を探すための足掛かりとしては十分といえるだろう。
「売るのかい、売らないのかい」
「あ……う、うん。——じゃあ……これ、金貨五枚で買い取って——」
変わらず背を向けたままの店主が催促するように言う。
店の奥へと手を伸ばし、頭飾りを引き渡そうとしたそのとき、エデンは背後から響く絶叫にも近い声を耳にした。
「ちょーっと待ったああああー!!!!」
「え……?」
はたと振り返って目に留めたのは、甲高い絶叫を上げて走り寄る小柄な嘴人の姿だった。
「待ーて待て待て待て待て、待てええええ!!!!」
ばたばたと土埃を蹴立てて勢いよく走り込んできた嘴人は、エデンと店主との間に身を躍らせるようにして滑り込む。
そして両者の間隔を押し広げるようにして小さな両翼を突き出した。
「その取引——待ったああああああ!!!!」
「君は——マフタ……」
小さな嘴人は突如として跳び上がったと思えば、あっけに取られるエデンの襟元をつかんで引き下ろす。
「……お前は少し黙ってろ。……いいな!」
前屈みになったエデンの耳元に嘴を寄せて告げると、次いで彼は露店の奥の店主に向き直った。
「うちの莫迦が迷惑掛けたな! こいつ、なんか勘違いしてたみたいでさ、悪いが今回は縁がなかったってことで……な、頼むよ! 次があったら、あんたのところでお願いするからさ!」
一方的にまくし立てるマフタを柱に据え付けられた鏡の反射を使って物憂そうに眺めていた店主だったが、やがて興味を失ったように視線を背けてしまった。
「え、あ……ど、どういう——こと……?」
「いいから来いっ!!」
事情がわからずぼうぜんと呟くエデンの衣服の裾を、マフタはむんずとつかんで歩き出す。
「その、マフタ、今日はお店はいいの……?」
「いいの!! 今日は店じまい!!」
荒々しい足つきで前を進むマフタの背に声を掛けると、彼は足を止めることなくと険のある口ぶりで言い放った。
「珍しい品が手に入ったから祝勝がてら飯でも食いに行こうとしてたのに……まったくこれだからよ——!!」
衣服の裾を握ったまま苦々しげに呟き、マフタはずんずんと先を行く。
引きずられるようにして装飾品を扱う区画を抜けたところで、エデンは前方からやってくる背負子を担いだ緑色の嘴人の姿を目に留めた。
緑色の羽毛に身を包んだ嘴人——ホカホカはマフタを認めるや、その名を呼びながら駆け寄ってくる。
「はあ……マフタ、やっと追い付いたよー! もうー、急に走り出すんだもんー!
……ふう——おいら、何が起きたのかってびっくりしちゃったよー……」
息をはずませながら言ったところで、ホカホカはエデンの存在に気付く。
「あー!! エデンだー!! 元気だったー? おいらは元気だよー!!」
破顔しながら言ったかと思うと、ホカホカはエデンの手の中に金の頭飾りを目敏く見つける。
「あー!! それー、奇麗だねー! いい仕事してるねー!!」
「こ、これ……?」
「うんー! すっごくいいものだよー! うーん……おいらだったら——」
差し出された頭飾りを、目を輝かせたホカホカは矯めつ眇めつ眺め回す。
目を固く閉じ、翼を下嘴に添えてうなったのち、ぱっと顔を明るくさせて言った。
「——金貨十枚でも欲しいかもー!!」
「十——枚……」
エデンはあぜんとして言葉を失い、すぐに先ほどのマフタの行動の真意を理解する。
見下ろす視線を受け、マフタは嘆息気味に呟いた。
「……って訳さ」
「なになにー? 二人ともどうしたのー……?」
一人事情を知らないホカホカだけが、不思議そうに二人の顔を見比べていた。




