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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第一節 「人として生きる」
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第十三話   蹉 跌 (さてつ) Ⅲ

「なんだろう、これ」


 平行に延びた二本の金属に沿うようにして歩いていくと、道は切り立った崖の直前まで続いていた。

 恐る恐る崖下を見下ろせば、おびただしい量の鉱石が打ち捨てられて山をなしているところが目に留まる。


「あ、ここって——」


 不思議と崖下の景色に見覚えを感じるのは、そこが数日前に自身がさまよい着いた場所だったからだ。

 あのときは、ちょうど今立っている辺りを崖下から見上げていたのだろう。

 ぼんやりと下方に視線を落とす少年の耳に、突然金属のきしむ音とともに激しい怒声が飛び込んできた。


「どけ!! 邪魔だ!!」


 我に返って後方を振り向いた瞬間、目に飛び込んできたのは金属の道の上をものすごい勢いで進んでくる四輪を履いた手押し車だった。


「うわっ——!!」


 慌てて飛びのいた少年の脇すれすれを通り過ぎ、手押し車は崖の直前で停止した。

 坑夫であろう三人の男たちは協力して手押し車を傾け、積み込んであった鉱石を崖下へと振り落とす。

 激しい音を立てて転がり落ちていく鉱石を目にした少年は、数日前にあわやその下敷きになりかけたことを思い出し、ぶるりと身を震わせた。


「どこに目ぇ付けてやがんだ、ああ!? ひいちまうとこだったろうが!!」


 手押し車を押していた獣人の一人が声を荒らげ、少年の襟元を乱暴につかみ上げる。


「死にてえのか、おい!!」


「う……」


 すさまじい握力と筋力とで身体を無造作に持ち上げられ、思わず苦悶の声を漏らす。

 何か言おうにも締め上げられた喉では言葉を発することはかなわず、どれほど身をよじろうとも太く力強い獣人の腕はびくともしない。

 もがく少年を見上げながら、別の獣人が口元をゆがめて言った。


「知ってるぜ、お前。最近この山に来た奴だろ。うわさも立ってるからよ、使い物にならねえ奴がいるって」


 小莫迦にしたような獣人の言葉に対して最初に覚えたのは怒りでも悲しみでもなく、自身の不評判がすでに鉱山中に広まってしまっていることに対しての無念さだった。

 使えないとののしられることは一向に構わない。

 それは彼らの言う通りだからだ。

 だがこのまま悪評が広まり続ければ、働くことでアシュヴァルに恩を返す機会を失ってしまうかもしれない。

 やっとのことでたどり着いたこの鉱山からも居場所が失われかけている。

 そんな現実に抵抗を緩めようとしたとき、獣人たちの肩越しによく知った縞模様が見え隠れした。


「楽しそうなことしてんじゃねえか。なあ、俺も交ぜてくれよ」


「ア、アシュヴァル——!?」

「お、お前、なんでこんなとこに……」

「違うんだ!! これはこいつが……!!」


 一斉に後方を振り返った三人の獣人たちは、野卑な笑みを浮かべていた先ほどまでとは打って変わってにわかに騒然とし始める。

 一人が持ち上げていた少年を地上に下ろすと、二人目はアシュヴァルに向かって愛想笑いを作る。

 三人目は少年を指差しながら取り繕うように言ったが、アシュヴァルは一切聞く耳を持とうとはしなかった。

 むしろ興奮を静めんとして放った言葉が逆効果を招き、その怒りに油を注いでしまっているように見えなくもない。


「そいつがなんだって? 寄ってたかって新人いびりか……? この山で騒ぎ起こしてただで済むと思ってねえだろうなあ、おい!!」


 掌に拳を打ち付けながら一歩一歩と歩み寄る彼に、獣人たちはおびえの表情を浮かべて身体をのけ反らせる。


「だ、だから違うんだ……!!」

「悪かった! 悪かったって!!」

「なあ、勘弁してくれよ!!」


 口々に言って後ずさっていく三人だったが、後方は鉱石の打ち捨てられた険しい崖だ。

 崖下を見下ろして諦めたように顔を見合わせる三人に対し、アシュヴァルは引導を渡すかのような口ぶりで言った。


「何が違うんだよ、言いたいことはそれだけか?」


 答えに窮する三人に向かってアシュヴァルが一歩を踏み出そうとしたそのとき、うずくまっていた少年は飛び込むようにして両者の間に割って入る。


「ア、アシュヴァル……! ほ、本当に違う……! 違うっていうのは——違うんじゃなくて、その通りって意味で……! この人たちは悪くない、悪いのは自分のほうなんだ! 何も知らなくて……人の仕事を邪魔してばかりで——」


 せき込みつつも彼らの進路を妨害してしまった事実を伝えると、アシュヴァルはいら立たしげな手つきで後ろ頭をかきむしった。

 深く低い嘆息を漏らした彼は、立ち尽くす獣人たちに向かってぶっきらぼうなしぐさで顎をしゃくってみせる。

 それを「行け」の合図と判断したのだろう、三人は手押し車を置き去りにしたまま逃げ去っていった。


 三人の後ろ姿を見送ったのち、再びその場にへたり込む。

 アシュヴァルは逃げ去っていく獣人たちに目もくれずその場に膝を突き、不器用な手つきで少年の背をさすった。


「おい、大丈夫か?」


「あ、ありがとう。また……その、ごめん——」


「喋らなくていい」


 無理を押して言葉を絞り出す少年に、アシュヴァルは短く言う。

 せき込みつつ乱れた呼吸を整え、気分が落ち着くのを待ってから尋ねた。


「アシュヴァル、仕事はいいの……?」


「ん、ああ。これが仕事だからな」


 何事もないかのようにアシュヴァルは答える。


「これって、どれ……?」


「喧嘩の仲裁にもめ事の処理、よろず引き受けます——ってな。鉱山で起きる面倒事一切を片付けるのが俺の仕事だ。そうだな、さしずめ用心棒か便利屋って言やあ一等わかりやすいかもしれねえな」


「用心棒……便利屋——」


 一緒に食事を取った際にアシュヴァルの仕事の内容について尋ねたことはあったが、「そのうち嫌でも知ることになるさ」と話をはぐらかされたことを思い出す。

 あまり口に出したくないことなのかと考えてそれ以上聞かずにいたが、こうして知ってみれば得心がいく。

 思い返してみれば、アシュヴァルを見る坑夫たちの目には明らかに畏怖や警戒の色が浮かんでいた。

 物言いや態度がどこかよそよそしいのも、その仕事の内容が原因なのだろう。


「あんまり人のこと言えねえが、坑夫って奴らは気が短くていけねえ。口で言っても聞かねえ莫迦野郎どもにゃあ、灸据えてやんのも大事な仕事の一つでよ」


 アシュヴァルはそう言うと、その場に残された空の手押し車の胴部を軽く拳で打った。


「あの三人——ここんとこあっちこっちで問題起こしてて、いろんなとこから苦情が出てたんだ。どうも博打で負けが込んでるらしくってよ、気持ちはわからねえでもねえが八つ当たりはいただけねえよな。ここらでいっぺん締めとかねえとって思ってたところにこれだぜ」


 立ち上がったアシュヴァルはあきれたように嘆息したのち、三人が逃げ去った方向を見据えて呟いた。


「これで少しは薬になるといいけどよ」


 次いで振り返った彼は、少年を見下ろして言う。


「よく聞いとけよ。この崖の下は質の悪い屑鉱石の捨て場になってる。こいつは軌匡ききょうっつって——手押し車を走らせる道みてえなもんだが、それがここと坑道と、鉱石を仕分ける選鉱場をつないでるんだ。使いもんにならねえ鉱石はここに捨てるのが決まりでよ、お前も知ってるだろうが鉱石積んだ車は重くて危険だ。だからよ、これからはこいつの上には絶対に乗るんじゃねえぞ」


 言い含めるような口調のアシュヴァルに対し、何度も繰り返しこくこくとうなずいてみせる。


「——それでいい」


 アシュヴァルは唇の端に笑みを浮かべて言うと、手を差し出して少年を引き起こす。


「これでまた一つ賢くなったってわけだ。わかったらもう同じことしねえだろ? お前は確かになんにも持ってねえし、なんにも知らねえんだろうよ。できねえのは……まあ、この際置いといてだ。知らねえ、やらねえってのと、知ろうとしねえ、やろうとしねえってのはまったくの別もんだ。お前は何かを手に入れようと必死になってる。それを莫迦にするような奴をよ……俺は絶対に許せねえんだ。言ったろ。一歩ずつ進もうぜって。だからそんなに焦んじゃねえよ」


 そこまで言ってアシュヴァルは背を向ける。


「今日は先に帰ってろ。俺はまだ仕事の途中だからな。終わったら迎えに行くからよ、そしたらまた飯食いに行こうぜ」


「……ア、アシュヴァル! し、仕事——せっかく紹介してもらったのに上手くできなくてごめん! 自分のこと、ちゃんと自分で面倒見られるようになるから! だから、その……もう少し待っててほしくて——」


 背を向けたまま足を止め、アシュヴァルは決まり悪そうに肩をすくめてみせる。


「これもなんかの縁だ、最後まで付き合うぜ。仕方ねえからよ、お前が全部思い出すまで見届けてやる。それまでは一緒にいてやっから。……ま、そういう気分ってやつだから——安心しな」


 自分で言って照れくさそうに頭をかくと、彼は「じゃあな」と言い残して去っていく。


 一見するとこわもての風貌と大柄な体格が目立ち、丁寧とはいえない言葉遣いも相まって粗雑な印象を与えがちな彼が、その実気さくで面倒見のいい性格の持ち主であることは二日の間に何度も痛感させられている。

 岩だらけの鉱山で初めて出会ったのが——自身を見つけてくれたのがアシュヴァルでよかったと、少年は心の底から感じていた。


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