第百三十五話 花 冠 (はなかんむり) Ⅰ
その後もラバンと協力して数匹のケナモノを狩り、向こう三日分ほどの肉を手に入れたエデンはローカとラヘルの元へと戻る。
エデンとラバンの帰りに気付いたラヘルが手を振ると、ローカもまた立ち上がって二人を迎えた。
見ればローカは頭に見慣れないものを乗せている。
近づいてみると、それが花冠であることがエデンにも見て取れた。
「それ、どうしたの?」
尋ねるエデンを見上げた拍子にずれ落ちそうになる花冠を、ローカはそっと手で押さえる。
「よく似合ってるでしょう? やっぱりローカには白が似合うわ。桜草——可憐ではかなげで……この子にぴったり」
「——うん」
目を細めるラヘルに小さくうなずきを返したのち、エデンは花冠をかぶった少女を横目でそっとうかがい見る。
その関心はすでに籠の中身に向いている様子で、彼女は両手を花冠に添える形で狩りの成果をのぞき込む。
「調子は上々、かしらね」
ラヘルはそう言って穏やかな微笑みを浮かべると、持参した荷物に手を伸ばした。
「エデンもラバンもお疲れさま。お食事にしましょう」
手を打って弁当の包みを解き始めるラヘルだったが、物言いたげな目をして彼女の袖を引いたのはローカだった。
「わかってるわ、お食事が済んだら教えてあげる。だから、後でね。それでいいかしら?」
うなずくローカを「いい子ね」となで、ラヘルはその場に食事を並べ始めた。
料理はこの時点ではまだ完成していないらしく、ラヘルは慣れた手つきで茣蓙の上に広げたそれらの仕上げをしていく。
中身が空洞になるように油で揚げた小麦粉の生地に穴を空け、ゆでた芋や豆を擦りつぶして作った具材を匙を使って詰める。
そこに胡荽と薄荷、蕃椒や羅望子を煮詰めて作った緑と赤の調味料を添え、最後に香草や香辛料の風味の効いた汁を注ぎ入れて料理は完成らしい。
一つ一つ仕上げを終えるたび、彼女は完成した小さな球形のそれを順番に手渡していく。
ひと口で口内へ放り込むラバンと、迷うことなく彼のまねをするローカに倣って、エデンもラヘルの作ってくれた揚げ菓子を頬張る。
さっくりとした食感の生地が口の中で割れると、溢れ出した汁の爽やかな風味とほろ苦さが口いっぱいに広がっていく。
生地の歯応えに芋と豆の素朴なうまみ、そこに香りの強い汁と調味料の持つ酸味と甘味が加わるそれは、ひと口で複雑な味の楽しめる不思議な料理だった。
「おいしい……! すごくおいしいよ、ラヘル」
「うふふ、それならよかった」
次々と生地に具材を詰めていくラヘルに対し、エデンは率直な感想を伝える。
無言で手を伸ばすラバンにできたばかりの揚げ菓子を手渡しながら、ラヘルは微笑みを浮かべて応じた。
ローカもエデンと同じ感想を抱いているのだろう、口を動かしながら何度も同意のうなずきを繰り返していた。
手渡される料理を次々と口にする三人だったが、ラヘルは自らの作ったそれに手を付けるそぶりを一向に見せない。
「ラヘルは食べないの……?」
「作ってるときにたくさんお味見したから、もうお腹いっぱいなの。——ありがとう」
案じて尋ねれば、返ってくるのはいつもと変わらない返事だ。
出来上がった揚げ菓子を「はい、どうぞ」と差し出すと、彼女は何事もないかのごとく次の一つに具材を詰め始める。
ローカに一つ、ラバンに一つ、そしてまたエデンに一つと、ラヘルは次々と料理を仕上げていった。
そうして手を動かし続けていたラヘルが、柔和な笑みを浮かべたまま不意に口を開く。
「最近思うの。もしもね——もしもよ、子供がいたらこんな感じなのかしら——って」
「え……」
彼女の口から飛び出した思いも寄らない言葉に、エデンははたと手を止める。
傍らを見れば、ローカもまた不思議そうな顔で彼女を見上げていた。
三人の中で最も驚いたのはラバンのようで、彼は口の中のものを喉に詰まらせて激しくむせ込んでしまう。
「ぐ……うぐ——」
エデンとローカで左右から背をさすり続け、やがて落ち着いた彼はいかにも不服そうな口ぶりで言った。
「めったなことを言うな。俺もお前もこんな大きな子がいる年じゃない。それにだ、俺が父親など……御免被る」
ラバンはしかめ面を浮かべて言い、次いで左右から自らの背に伸びた手を横目に一瞥する。
「お前や俺はまだいい。いいが——そんなふうに見られては迷惑だろう。……エデンとローカも」
「まあ、いいんですって——! ね、エデン、ローカ。貴方たちはどうかしら?」
「……じ、自分——!? 自分は——」
突然矛先を向けられたことで、エデンは激しい動揺に見舞われる。
何が何やらといった不思議そうな表情で皆を見回すローカを見やったのち、なんとか自身の思いを言葉に乗せようと腐心する。
「——その、親とか子供とかはわからないけど、でも二人といるとこんな時間がずっと続けばいいなって思える。もしそういうのを親子とか家族って呼ぶんだったら——それは……そうなのかな」
そこまで言ったところで、エデンは傍らに座る少女と視線を交わし合う。
同意するような首肯ののち、ローカはラヘルの肩に頭を預けた。
「元気でいてほしいって思うのは、家族だからなのかな……? ラバンも身体に気を付けてほしいし、ラヘルにもちゃんと食べてほしいって思う」
「ありがとう、エデン」
ラヘルは噛み締めるように小さく呟き、次いで「ローカも」と肩に頬を寄せる少女の後頭部に触れる。
「頑張って食べないとね」
そう呟くと、彼女は自らの仕上げた料理に手を伸ばす。
ラヘルが揚げ菓子を口内へ収め、ゆっくりと咀嚼する様子をエデンは静かに見詰める。
そのひと口がわずかでも彼女の血肉に、命になってくれればと願わずにはいられなかった。




