第百三十一話 小 変 (しょうへん)
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ラバンと交わした約束を破り、橋を渡って大河の向こう側に行ってしまった日から二週間が経った。
それからのエデンは、ラバンと共になお一層熱心に仲仕の仕事に励み、ローカもまた日々ラヘルに寄り添い続けた。
二人の基本的な一日の流れは変わらなかったが、あの日から少しだけ変わったことが幾つかあった。
一つはラバンの態度だ。
相変わらず言葉足らずではあったが、以前よりも思いを言葉に表そうと努力してくれていることがエデンにもよくわかった。
内容は仕事に関わることや町での暮らしについてが大半だったが、時折彼は自らとラヘルの過去について語ってくれた。
ラバンとラヘルの二人がこの町の生まれではなく、どこか遠い場所から流れ着いた身の上であることを知った。
二人のことをもっと知りたいと望む気持ちは多分にあったが、いつかまた彼が話してくれるときが知るべきときなのだと、それ以上を求めることはしなかった。
二つ目の変化は、ローカの振る舞いだった。
以前からラヘルに紐細工を習っていた彼女だが、ここ最近になって作業の過程を隠すようになった。
仕事を終えて帰宅すると、彼女はそれまで編んでいたであろう紐や糸をそそくさと片付けてしまう。
「内緒」
理由を尋ねてみても、そう呟くだけだ。
「内緒よね」
それならばとラヘルに尋ねてみるが、彼女もローカと視線を交し合ってはぐらかすばかりだった。
三つ目の変化、それはラバンにとっても好ましいものであったに違いない。
以前のラヘルは一日の大半を寝台の上で過ごしており、起き出すのは買い物や身の回りのことをする際だけだった。
だがここ最近、徐々にではあるが起きて活動をする時間が増えている。
心なしか表情や声にも生気が感じられるように思えなくもない。
帰宅した際に家の奥から聞こえてくる二人の笑い声を耳にすると、一日の疲れが吹き飛ぶ気がする。
おそらくラバンも同じ思いであろうことは、出会ったときよりもわずかに穏やかに見える表情が無言のうちに教えてくれた。
ラヘルの身体の具合は良好に見えたが、食が細いのは相変わらずだった。
自らの作った料理もひと口か二口食べればいいほうで、ほとんど手を付けない日のほうが多かった。
ラバンが仕事終わりに果物や菓子を買って帰れば「うれしいわ、ありがとう」と目を輝かせて言うものの、結局手を付けることなくエデンやローカに差し出すのが常だ。
ローカに尋ねてみても、昼の間も何も口にしないことが多いらしい。
着荷の予定のない休日を明日に控えたその日も、やはりラヘルの食は進んでいなかった。
そんな彼女を前にし、ラバンは思い立ったように言った。
「明日、久しぶりに狩りに行こうと思う」
「狩り——?」
「そうだ。お前も来い」
突匙を手にしたまま繰り返すエデンに、ラバンは同行を求める言葉を口にする。
「う、うん! 一緒に行くよ! で、でも狩りって——何を……?」
「何とは——」
尋ね返すエデンに対し、ラバンはあきれとも困惑ともつかない表情を浮かべる。
続けてエデンの手にした突匙の先を、自らの指をもって指し示してみせた。
「——お前の食っているそれだ」
「これ……」
握る突匙の先端に刺さっているのは、見慣れた半透明の塊だ。
煮込まれているためにやや白みを帯びてはいるが、食べ慣れた食材であることに変わりはない。
「……そういえば——これってなんなんだろう」
白い塊にじっと視線を落としながら呟くように言う。
それを聞いたラバンはまるで時が止まってしまったかのように硬直し、ラヘルもまた「まあ」と目を丸くして驚嘆の表情を浮かべていた。
ややあって動きを取り戻したラバンは、目の前の塊を見詰めて考え込むエデンに向かって口を開く。
「知らないのならば、知ればいい。明日は狩りに行く。行けばわかることだ」
気を取り直すかのように言うラバンだったが、その声は黙考に沈むエデンの耳には届いていなかった。




