第百二十八話 彼 此 (ひし) Ⅱ
「まあなんだ、お前らはきっと優しい奴らなんだろうな。見ず知らずの俺のために、あっちこっち駆け回ってくれるくらいなんだから」
押し黙っていたエデンに対して小さく肩をすくめてみせると、マフタはホカホカに向かって嘴をしゃくるようなしぐさを送った。
「おい、あれ」
「はーい」
ホカホカは嬉々として答え、敷物の上に並ぶ中から幾つかの品を拾い上げる。
「お待たせー」
戻ったホカホカが手にした角盆の上には、色彩豊かな糸束の数々が載っていた。
「どれでもいいぞ。好きなの持ってけよ」
「え!? そ、そんな! わ、悪いよ——!」
「いいから遠慮するなって」
先ほどまでとは打って変わった穏やかな口調でマフタは言う。
胸の前で手を振って固辞するエデンだったが、彼は後押しするかのように続けた。
「さっきさ、悪意は巡るって言ったろ。それは疑う余地のない事実だ。けどな、俺はその逆もあるって信じてる。俺らがお前たちのしてくれたことに報いれば、そいつは輪っかみたいに巡り巡って、結果的に俺たちの元に返ってくる。言ってみれば——そうだな、善意の先物買いってやつだ。何も見返りを求めない無償の施しをしようってわけじゃない。投資だよ、投資。だからさ、気にせず受け取ってくれよ」
なお気後れするエデンを前にして、腕を組んだマフタは傍らのホカホカを目を眇めて見上げた。
「これくらい安いもんさ。こいつが泣くとこ、あれ以上見なくて済んだんだからな」
「……えへへー」
「のんきに笑ってる場合かよ!!」
頬を緩めるホカホカを、マフタが小さな翼で小突く。
「じゃあ——」
意を問うべく、エデンはローカと視線を交わす。
見上げる彼女のうなずきを受け、今一度マフタとホカホカに向き合った。
「——その、甘えさせてもらって——いいのかな。……ありがとう、マフタ、ホカホカ」
「ああ!」「うんー!」
嘴人二人は声をそろえて答え、そろって得意げに胸を張った。
ホカホカによって呈されたさまざまな色合いの糸束に視線を落とし、エデンは深く考え込むようにして首をひねる。
「……うーん、どれがいいんだろう? 二人は——どれだと思う……? その——」
そこまで言ってうつむくように視線をそらし、消え入りそうな声で続ける。
「——この子に……ローカに、に、似合う色は」
「なんだ、そういうことなら早く言ってくれよ!」
あきれ気味に呟き、マフタはホカホカと顔を見合わせる。
「そんなの決まってるよな?」
「うんー、決まってるよねー?」
二人はそう言い交わすと、幾つかある糸束の中から同じものを差し示す。
「これだな」
「これだよー」
二人の嘴人がローカのために見立てたのは、見目鮮やかな赤や青でも、草木を思わせる緑や黄でもなく、数ある糸の中にあって控えめな印象を放つ白色の糸だった。
二人の指し示した白色の糸束を角盆の上から取り上げながらエデンは呟く。
「これが……」
「ああ、その子にはそいつが一番似合うよ。この俺が保証する」
「マフタはおしゃれさんだもんねー」
胸を張っていかにも得意げに断言するマフタを横目に見やり、ホカホカが大きな身体を揺らして言う。
「べ、別にいいだろ……!? 商いは身だしなみからなんだよ!」
「うふふー、褒めてるんだよー」
小突き合う二人をよそに、エデンは手にした白色の糸束をローカの首筋に触れるか触れないかの近くまで寄せる。
マフタの言葉が間違いではなかったことはすぐにわかった。
傷みはしているものの陽光を受けてきらめく金色の毛と、蝋細工を思わせる白皙の肌に、質素で飾り気のない白色の糸は他のどんな色よりもなじむような気がした。
「奇麗だ——」
抱いた思いが不意に口を突いて出てしまい、手を振り乱しながら慌てて言葉を継ぐ。
「あ、そ、そのっ……!! じ、自分もすごくいいと思う! ローカも——こ、これでいい……?」
少女は顔を背けるようにして少年から視線をそらすと、いつにも増して消え入りそうなささやき声で呟いた。
「これがいい」
「う、うん! そうだね、これが——いいよね」
言ったきりうつむいてしまう彼女に仰々しいうなずきをもって応じ、いまだじゃれ合いの中にあるマフタたちに向かって告げた。
「こ、これ、本当にもらっていいのかな?」
「ん? ——ああ、持ってけよ。それなりの品だからさ、結構いい仕上がりになると思うぞ」
答えてホカホカの翼を擦り抜けると、マフタは身だしなみを整えでもするように両翼で全身の羽毛をなで付けた。
「……さてと。今日は店じまいにするか。いろいろあって少しくたびれちまったしな」
マフタの言を受け、ホカホカは並べていた商品の片付けに取り掛かる。
一枚の大きな敷物の上に一列に品物を並べ直した彼は、端から転がすようにして敷物を巻き上げていく。
筒状に巻き上がった敷物を幾つかの原反と一緒にまとめて背負子にくくり付けると、ホカホカは自らそれを背負い込んだ。
「なあ、エデンにローカ。こうして急にいろいろと知らされて戸惑ってるだろう。気にも病んでるんだろうなって、痛いほどわかるよ。でもな、優し過ぎるのも考え物だってことを知っておいてほしいんだ。人の親切心を利用しようとする奴らってのはどこにだっている。そういう奴らにだまされたり、踏み付けにされたりしないためにもだ、もう少しだけ賢く生きてほしい。——それが初対面の俺からできる助言みたいなもんかな」
自らも小さな鞄を背負い、マフタは改めてエデンとローカの二人を見上げた。
「それじゃあ俺たちは宿に帰るよ。もうしばらくはこの町に滞在するつもりだし、おおかたはこの辺で店を出してる。何かあったらいつでも声を掛けてくれ」
「何もなくてもー、だよー」
ホカホカが言い添える。
「——ああ、そうだな。お前たちはこいつの恩人だ。感謝してる」
頭を下げるマフタに笑みをもって応え、エデンも今一度糸の礼を伝えた。
「本当にー本当にー、ありがとうー!!」
「やめろって! 落としてまたどっかやっちまうぞ!」
去り際、ホカホカは蝋石のかけらを頭上高く掲げ、幾度となく感謝の言葉を繰り返す。
マフタはそんな彼の尾羽を引き、たしなめるように声を上げていた。
遠ざかる二人の背中を微笑ましく眺めていたエデンだったが、その姿が見えなくなる頃、胸の内には一つの疑問が湧き上がってくるのを感じていた。
マフタの説明によれば、大河の向こう側の人々の暮らしは、こちら側とは比べ物にならないほどに困窮していることになる。
路地裏で見た子供たちや、うつろな目をした大人たち、荒れた家並みを思い返せば、それが決して大げさではないことは理解できる。
ならばなぜあの獣人の少年は、ホカホカの蝋石などを盗んだのだろう。
もしも自身が同じ立場だったら、と考えてみる。
日々の暮らしもままならない身の上であったなら、あの白いかけらを欲しがっただろうか。
口に出すのははばかられるが、市場には食料品や衣料品を扱う店が無数にあり、この広場にも他に価値のありそうなものが幾らでも並んでいる。
それらの中から、あの少年がとても値打ち物には見えないホカホカの蝋石に狙いを定めた理由が思い付かない。
「どうしてあれを……」
脳裏に去来する疑問が思わず口を突いて出る。
どれだけ頭をひねって考えてみても、納得のいく答えは浮かんでこなかった。




