第十二話 蹉 跌 (さてつ) Ⅱ
「さすがに今日は来ないと思っていた」
坑内へ向かうイニワを呼び止めると、振り返った彼は驚きとあきれの入り交じった声音で応じた。
「なあ、もっと別の仕事あんだろ? こいつに似合いのやつがよ! そういうのを紹介してくれって!」
なれなれしく絡められたアシュヴァルの腕を手の甲を使って鬱陶しげに押しやり、イニワは少年をじっと見下ろす。
鉱山におけるイニワの役割については、坂道を進む道すがらアシュヴァルから教えられていた。
他の抗夫たちに交じって自らも十字鍬を振るう彼だが、この鉱山で働く者たちを取り仕切る「宰領」の職にあるのだという。
元々は一抗夫だった彼は、仕事に対する真面目さと他者に対する公平さを見込まれ、山の所有者からその役目を任されるようになったらしい。
「わかった。付いてこい」
「う、うん……!!」
言って直ちに足を進めるイニワの背を追い、少年も坑内へと向かう。
後方を振り返りながら意気込みを示すように首肯を送れば、アシュヴァルもまた力づけるようなうなずきを返してくれた。
イニワが割り当ててくれたのは、坑道にたまった湧水や地表から流れ込む水を汲み出す「水替え」の仕事だった。
地中へ向かって掘られた坑道ではこうした水が作業の妨げとなるため、丹念に坑外へと排出しなければならない。
坑内には排水のための水路が張り巡らされてはいるものの、それだけではたまった水を完全に放流することはできず、最終的には人の手が必要となる。
桶や水吹子と呼ばれる手持ちの喞筒の他、内部に取り付けられた螺旋状の板が回転することにより水を引き上げる筒状の排水具などを使って、水を除く作業を行うのが水替えの仕事だった。
作業にあたり、イニワは水替えたちの代表である人物に引き合わせてくれる。
膝ほどの水位のある水路の中で作業を行っていたその人物が、アシュヴァルに教えてもらった鱗人と呼ばれる種であることはひと目でわかった。
緑がかった灰褐色の全身は細かな鱗に覆われ、頭頂部から背中にかけては刃のような突起が一列に並んでいる。
頬にある丸みを帯びた瘤のような鱗と、喉元から垂れ下がる襞が特徴的な鱗人は名をウジャラックといった。
水替えたちは彼と同じ鱗人が大半を占めており、その多くが水中でも地上と変わらず自在に活動することのできる身体を有していた。
鱗人のウジャラックに付いて仕事を学ぶ少年だったが、初めての水の中での仕事は困難を極める。
水路の内外で何度も足を滑らせては転び、激しい流れに足を取られて溺れかけることもあった。
半日をかけてなんとか泳ぎを身に付けるも、水路の中を身体をくねらせてするすると泳いでいく鱗人たちに後れを取らないようにすることが精いっぱいだった。
とてもではないが満足に水替えの仕事をこなせたとはいえず、作業をしていた時間よりも水と格闘していた時間のほうが長かっただろう。
終業の時間を迎え、寡黙なウジャラックに礼を言ってイニワの元を訪ねる。
惨憺たる仕事ぶりを聞き及んでいるのであろう、彼が差し出したのは一昨日と同じ褐色の硬貨——銅貨が二枚だった。
◇
翌日の仕事場は、昨日とはまた別の場所だった。
坑内ではなく、幾つもの穴のうがたれた山の中腹辺りへと足を進める。
イニワに案内されて向かった先で「風廻し」の仕事を務めるのは、顔面から突き出すように伸びる細く長い嘴を有し、被毛の代わりに羽毛をまとった嘴人たちだった。
地中深く掘られた坑内では、何もしなければ風の流れが滞り、汚れた空気がたまってしまう。
換気のための煙穴は掘られてはいるが、それだけでは十分な効果は得られない。
そこで手回し式や足踏み式など、風を送り込むための道具である風箱を使って坑内の空気の循環をよくする役目を担うのが風廻したちだ。
空を舞う翼を持つ嘴人たちの翼の筋力は強靭で、彼らは交代しながら一日中風箱を回し続ける。
風廻しの代表である黒褐色の羽毛に身を包んだ嘴人のベシュクノに引き合わされた少年は、彼に従ってその日の仕事内容を教わることとなった。
まず最初に言い渡されたのは作業の手順や道具の使い方ではなく、風廻しという仕事が鉱山で働く全ての抗夫たちの生命を預かっているという事実、そしてその責任の重さについてだった。
決して忘れていたわけではない。
呼吸のできなくなる苦しさは、昨日の水替えの仕事で身に染みて知っている。
だがここ数日の仕事で積み重なった疲れと、十字鍬を振るった際にひねってしまったであろう肩の痛みから腕に激しい引きつれを覚え、ほんの一瞬ではあったが風箱を回す手を止めてしまう。
自らも風箱を回しながらこれを見ていたベシュクノはすぐに交代の人員を呼び寄せ、翼を払って少年を風箱の前から追い立てた。
腕を抱えつつ謝罪の言葉を口にしようとしたところ、突き放すような視線を浴びて硬直してしまう。
ベシュクノは立ち尽くす少年を捨て置いたまま自身の持ち場に戻ると、何事もなかったかのように作業を再開した。
しばらくその場にとどまっていたが、自身が居場所を失ったことを悟る。
風箱を回すベシュクノの背に無言で頭を下げたのち、その場を去ることを選んだ。
その日のうちに露見することではあったが、仕出かした失態をイニワに伝える気分にもなれず、鉱山のあちらこちらを漫然と歩き回っていた。
振り当てられた仕事に勤しむさまざまな種の抗夫たちにけげんそうな表情で一瞥され、時に邪険に追い払われながら歩くうち、今まで訪れたことのない場所にたどり着く。
何かに乗り上げた感触を覚えて足元を見下ろすと、そこには二本の細長い金属が認められる。
垂直に交わる形で置かれた木製の部品上に梯子状に組まれた棒状の金属は、地面をはうようにしてずっと遠くまで延びていた。