第百二十六話 凸 凹 (だくぼく) Ⅱ
「俺はマフタだ。こいつは一緒に旅をしてる相棒みたいなもんで——」
「——おいらホカホカだよー、よろしくねー」
乱れた羽並みをなで付けつつ名乗る茶色の嘴人、左右に身を揺らして言葉を引き継ぐ緑色の嘴人に対し、エデンとローカも改めて自分たちの名を伝えた。
マフタと名乗ったのが、最初に出会った小柄なほうの嘴人だった。
直立してもエデンの膝上ほどの身体を包むのは茶色の羽毛で、獣人の被毛のように滑らかだ。
丸みを帯びた楕円体の胴に乗る頭部からは、細長い嘴と幾本もの洞毛が伸びている。
胴の側部から伸びる二枚の翼は極めて小さく、腰部に尾羽も持たないが、小柄な身体とは不釣り合いなほど太く立派な二本の足がよく目立った。
ホカホカと名乗ったもう一方の嘴人は、比較的大柄な身体の持ち主だった。
肉づきのよいふくよかな体型をしているために実際の体格以上に大きく見えるが、背丈はローカとさほど変わらない。
翼や背面は黒色の混じった苔色に近い深緑色で、身体の前面や顔面は黄みがかった羽毛で覆われている。
嘴はマフタと比べて短い代わりに太く幅広で、付け根には鼻孔が瘤のように露出していた。
ふくらかな身体からは二枚の立派な翼と、前後二本ずつの趾を持った足、地を擦るほどの長さの尾羽が伸びていた。
「——エデンにローカか。本当に助かったよ。こいつのせいで迷惑掛けちまったな」
「ごめんよー、おいらがとろいからー……」
「そうだぞ、少し反省しろよ。——この!」
脚の付け根を翼ではたかれ、ホカホカは弱々しくうつむいてしまう。
負い目からか再びじわりと涙を浮かべるホカホカを前に、エデンは間を置かず口を開いていた。
「それ、大事なものなんだよね。なんなのかなって、ずっと思ってたんだ」
「あ、うんー! えっとねー、これはねー、えへへー」
エデンが白いかけらの握り込まれた翼を指し示すと、ホカホカはにわかに顔を明るくさせる。
かけらを翼の先に握った彼は、身を大きく振って空中に何かを描くような身ぶりをしてみせた。
「こうやってねー、布に線を引くんだー! これー、蝋石っていってー、お裁縫には欠かせない道具なんだよー!」
「裁縫?」
「うんー、これもおいらが作ったんだー! マフタもおそろいなのー!」
得意げに胸を張ると、ホカホカは自らの衣服の襟元を爪先でつまみ上げ、次いで傍らのマフタを指し示す。
見れば確かにマフタの衣服も、ホカホカの着ているそれをそのまま縮小したような、同じ意匠の施された袖なしの胴衣だった。
「そういえば、まだ言ってなかったよな。俺たちはあちこち旅しながらこうやって商売をしてる——いわゆる行商人ってやつさ。扱ってるのは布とか糸とか、その手の品が大半だ」
得意顔で言って、マフタは後方を振り返る。
広場を区切って設けられた空間には、売り物であろうさまざまな素材の布地や色鮮やかな織物、緻密な刺繍の施された絨毯、筒状に巻かれた原反などが並んでいる。
「こいつ縫いものが好きでさ、よく店番しながら作業してるんだよ。で、夢中になって周りが見えなくなっちまうことも多くて——それでこのざまだ」
「本当にごめんよー、おいらが悪かったよー……! だからそんなにいじめないでー……」
「これに懲りたらもう二度と盗まれたりなんかするなよ。擦り減って無くなるまで使うんだろ?」
肩をすくめたマフタがため息交じりに呟くと、ホカホカはと心底申し訳なさそうなな顔で何度も繰り返しうなずいてみせる。
左右の翼でつまんだ小さな蝋石を胸元に抱えるように引き寄せた彼は、涙をこらえて呟いた。
「……もう絶対になくさないよー」
「それならいいけどよ。ところでだ——」
思い立ったように言って、マフタは話の流れを変える。
「——お前らは何をしてたんだ? 見たところ、この辺に住んでるって感じでもなさそうだ。用事があってここに来てたんなら、俺たちのせいで余計な時間を使わせちまった。礼もしたいし、埋め合わせができるならなんでも言ってくれ」
「お、お礼なら……」
マフタからの申し出を受け、エデンはローカと顔を見合わせる。
意をくみ取ってくれたのだろうか、問うような視線を受けた彼女は小さくかぶりを振って応じる。
「……うん。自分もそれがいいと思う」
少女に向かってそう答えると、エデンはマフタに対して礼は不要であることを告げた。
拍子抜けしたように見詰める彼に対し、数々の品が売り買いされるこの場を訪れるに至った事情を明かす。
世話になっている人から手芸用の糸を買ってくるように頼まれたこと、用件はすでに済ませていることも併せて伝えた。
直後、マフタの表情が途端に商売人のそれへと変わる。
「糸か!! いいじゃないか、どんなの買ったんだ? 見せてくれよ!」
「うん。ちょっと待ってて——」
懐を探りながら辺りをうかがえば、狭い空間に所狭しと並べられた品々が目に入る。
先ほど本人が説明してくれた通り、並んでいる商品の多くが繊維に関わるものばかりだ。
既成の品に加えて糸や布などの素材、それ以外にも針や鋏、見たこともない道具類も並んでいた。
同じ分野を取り扱う商人として、客の選んだ品が気になるのだろう。
「——ええと、確か……」
先ほど買い求めた糸束を取り出そうとするが、懐に収めたはずのそれらがどこにも見当たらない。
幾つかある衣嚢もひとつ残らず探ってみるが、買ったはずの糸束はどれだけ捜そうとも見つかることはなかった。
「もしかして落としたのかも……」
落胆に肩を落として呟く。
「……きっと橋の向こうだ」
「橋——!? もしかしてお前ら、河の向こう側に行ったのか!?」
エデンの口にした言葉を聞き、がくぜんとした表情で目を見開いたのはマフタだ。
「そうか、俺のせいだ。俺が頼んだから——それなのにあんなに喜んじまって——」
申し訳なさそうに顔を伏せ、不明を悔いるような口ぶりで漏らす。
「マフタ……?」
エデンが声を掛けようとしたところ、うつむいていた彼が勢いよく顔を振り上げる。
「なあ!! 危ない目には遭わなかったか!?」
詰め寄るようにして問い掛けるマフタの、そして彼の傍らでひどく落ち着かない様子を見せるホカホカの視線が、吸い寄せられるようにひと所に集中する。
二人の嘴人の見詰める先になぜか熱を持つような感覚を覚え、エデンは半ば無意識に自らの頬に手を伸ばしていた。
触れた瞬間、先ほどローカに拭ってもらった傷から再び血がにじみ出ていることがに気付く。
慌てて掌で血を拭い去ろうとするエデンを見上げ、マフタはあぜんとして呟いた。
「お、お前……その傷——」
さらに一歩、二歩と歩み寄って翼で足に触れる彼に、エデンは無自覚のうちに渡ってしまった橋の先で起きた出来事を説明する。
かすり傷だからと安心させるように言い添え、心苦しげにうつむく彼に向かって逆に尋ね返す。
ラバンが絶対に行くなと厳しく戒めた河の向こう側、そうとは知らずに越えてしまったことを知ったマフタが激しい動揺を見せた河の向こう側。
そこに大河を挟んだ両岸という立地の違い以上の意味があるのかもしれないことを、エデンは漠然とではあったが理解し始めていた。
「こっちと向こう側は、何が違うの……?」




