第百二十話 拒 絶 (きょぜつ)
◇
翌日も、その翌々日も、エデンはラバンに従って仲仕の手伝いを務めた。
着荷のない日や人手の足りている日にはローカと二人で市場に出向き、生活に必要なものを少しずつ買い求めていった。
一週が経ち、十日が経ち、少しずつではあったが家財も増えていく。
そんな日々の中で自らも働くことを望むローカだったが、彼女の申し出を退けたのはラバンだった。
「お前たち二人を養うくらいどうということはない。それよりもラヘルと一緒にいてやってほしい」
彼がローカに強く望んだのは、ラヘルと共にあることだった。
出会う以前のことを知らない以上は確かなことは言えないが、ローカと一緒に過ごすようになり、ラヘルはよく笑うようになった。
二人を眺めるラバンの表情からも、心なしか険しさが薄れているような気がする。
ラバンがローカに求めた内容は、エデンにとっても願ったりかなったりのものだった。
買い出しや水浴びのための外出はやむなしとして、できることならば人前に姿をさらす機会は少なくあってほしい。
もう二度と、悪意ある者の目に留まらないように。
◇
ラバンの下に身を寄せ、半月ほどの時が流れた。
緩やかな日々の中でエデンも少しずつ仲仕の仕事に慣れ始め、いくばくかの給金を得られるようになっていた。
働きを認められること、対価として金銭を手にできることに大きな喜びを感じるとともに、どこか郷愁にも似た感慨を抱かずにはいられない。
一方でローカはといえば、ラヘルの身の回りの世話や家事を手伝いつつ、時間を見つけては彼女からその得手である紐細工の教示を受けていた。
そこかしこに飾られている紐細工がラヘルの手製と知ったのは暮らし始めて数日後のことだ。
卓布や窓掛けなどの実用品から壁飾りや鉢植え用のつるし紐に至るまで、家中の品が彼女の手による作品だった。
ローカの腕前は素人目に見てもいまだ初心者の域を脱し切れていなかったが、それでも以前のように身体中に糸を絡ませたりすることはなくなっていた。
その日、着荷の予定がないことは前日から聞かされていた。
市場に買い物に出向こうか、屋根裏部屋の掃除をしようか。
一度中をのぞき、あまりの雑然ぶりに驚かされた納戸の片付けをするのもいいいかもしれない。
何をして休日を過ごそうかと頭をひねるエデンに対し、寝台の上から名を呼んだのはラヘルだった。
「——エデン、お願いがあるの。聞いてくれるかしら……?」
身を小さく丸めたラヘルはささやくような声で言って手招きをする。
無言のうなずきを返すと、エデンもまた身を縮こまらせて寝台の脇に膝を突く。
様子をうかがうような彼女の視線の先にあるのは、前掛けを身に着けて掃除にいそしむローカの姿だ。
少女が掃除に専心しているであろうことを確認したラヘルはエデンの顔に尖った鼻先を寄せ、そっと耳打ちするように頼みごとを口にしたのだった。
家を出たエデンとローカが向かったのは、幾多の露店が立ち並び、大勢の人々でにぎわう大通りだった。
市場は並ぶ露店の形式や扱う品物によって幾つかの区画に分けられているため、買い手は価格や品質を己の目で比較検討できる仕組みになっている。
最も大きな区画は食料品区で、野菜や果物、穀物などの食材に加え、香辛料や香味料などの珍しい品を扱う店も並んでいる。
中には市場で働く労働者やこの地を訪れた旅人に向けて、その場で食べられる食事を提供している露店もあった。
食料品区以外では、宝石や貴金属などの装飾品を取り扱う区画、絵画や彫像などの美術品の他、エデンにはまったく価値のわからない骨董を扱う区画、衣服や織物、糸や布などの衣料品を扱う区画なども存在する。
また、大通りから大きく外れた広場にも幾つかの露店が出ており、賃借料の不要なそこでは流しの行商人たちが商品を並べる以外にも、地元民たちが不要になった古道具類などを販売する姿もあった。
食料品区に引き寄せられるローカの背を押し、衣料品店の並ぶ区画までやって来る。
何事かと見上げる彼女に対し、エデンはラヘルから頼まれた用向きの内容を話して聞かせた。
「そ、その——ラヘルから頼まれたんだ。次に作りたいものがあるから、必要なものを買ってきてくれって。——ええと、どれにしようかな……」
店先に並ぶ無数の品物に、見定めるように視線を走らせる。
あれでもないこれでもないと、手にしては戻し、戻しては手に取るを繰り返す。
傍らに立ってじっと見詰めるローカの無言の圧力に耐えかね、検討もそこそこに幾つかの糸束を買い求める。
「それから——もう一つ頼まれてるものがあるんだけど、いいかな……?」
先ほど通り過ぎてきた食料品区に未練を残しているのだろうか。
いつにも増して心ここにあらずといった様子のローカを連れ、エデンは装飾品を扱う区画へと足を向けた。
そこは同じ市場の中にありながらなかなか立ち寄る機会のない場所だった。
仕事では何度か出入りしてるものの買い手として訪れるのは初めてだ。
食料品区と比べてはるかに静かな区画では、声を上げての呼び込みをする店主もいなければ、手にした品を無理やり売り付けてくる押し売りまがいの商人もいない。
代わりにあるのは行き交う人々に店の奥から値踏みするような視線を向ける店主や、険しい目つきで辺りを巡回する守衛らしき男の存在だった。
厚手の織物の上に几帳面に並べられた金や銀の装身具、輝く石を配した大小さまざまな指輪や腕輪などを、時折立ち止まっては目を凝らして眺め入る。
どの品にも目を見張るほどの高値が付けられており、とてもではないが今の手持ちでどうにかなるものではなかった。
ラヘルから預かっている分を足し加えても一番安価な品にさえ届かない。
手の出る品を探しながら行きつ戻りつするうち、エデンとローカはいつの間にか通りの奥に踏み込んでいってしまった。
「だ、大丈夫だから……! ローカは心配しないで——!」
見上げるローカの何かを訴えるような視線に、両手を胸の前で振ってごまかすように言う。
その目から逃れるように後方を振り向いたエデンは、店先に置かれた小さな木箱につまずきかける。
「うわ……っと——!」
勢い余って転びそうになるものの、どうにか箱に足を引っ掛けずに体勢を立て直す。
店の奥に向かって軽く頭を下げ、店先から立ち去ろうとしたところで、ふと小箱の中身に目を留める。
箱の中には指輪や腕輪などの装身具が乱雑に放り込まれていた。
「こ、これって——」
「見切り品」
店の奥をのぞき込むようにして尋ねると、店主らしき人物の不愛想な言葉が返ってくる。
しゃがみ込み、箱の中の品物を手に伸ばす。
「ローカ……! その、ちょっと待ってて……!」
見下ろす彼女に背を向けたまま告げ、箱の中身をひっくり返さんばかりに検め続ける。
吟味を繰り返した結果、箱の底から一本の古びた首飾りを見つけ出す。
「こ、これなら……!」
緑青の浮いた銀の首飾りを取り上げ、立ち上がってローカに向き直る。
「これ、君に——」
言って首飾りの両端を握り、首元にあてがうように差差し伸ばす。
小刻みに震える手と銀の首飾りが首に触れんとする直前、ローカはのけ反るようにして身をかわしていた。
「——ロ、ローカ……?」
「いらない」
首飾りを握る手を中空に停止させまま、ぼうぜんとその名を呼ぶ。
正面から見据え返し、あくまで冷然として言い放つ少女の瞳は、初めて出会った頃のようなうつろな色をたたえていた。




