第百十四話 一 飯 (いっぱん)
「手伝えること、何かあるかな……?」
「——気を使わなくてもいいのよ。少し待っててね」
所在なげに尋ねるエデンに対し、鍋を火に掛けながら女は答える。
食事の誘いを受け、はばかることなく居間の床に腰を下ろすローカの一方で、どうにも落ち着かないエデンは意味もなく部屋の中を歩き回っていた。
見かねた男に「じっとしていろ」といさめられ、最終的には小さくなってその場に腰を下ろした。
一つの鍋を囲むように座り、エデンとローカは女の用意してくれた食事を口に運ぶ。
器に盛られたのは、豆と芋を使った料理だった。
煮込みとも汁物とも付かないそれを、薄く延ばした円形の麺麭を使ってすくうようにして食べる。
すりおろした芋の与える適度な甘みととろみは、慣れない旅で疲れ切った身体に、優しく染みわたっていく気がした。
食事を進めながら、エデンは男と女の姿を上目にちらとうかがう。
闇の中に響く足音から聞き取った通り、男は獣人であり、蹄人であった。
身体は灰暗色の短毛で覆われているが、細く伸びる鼻先だけがうっすらと白みがかっている。
頭部から頸部にかけては長めの毛がまばらに生え、耳は上方に突き出す形で長く伸びていた。
飾り気のない口調と総身に漂わせる武骨な雰囲気は、鉱山の宰領を務めていたイニワのことを思い起こさせた。
女も、男と同様に蹄人だ。
男とよく似た顔立ちをしているが、より一層面長な印象を受ける。
細身の身体を覆う被毛は茶暗色であり、耳は男と比べて短めだった。
恵まれた体格の持ち主の多かった鉱山の蹄人たちと比較すると、男はどちらかといえば小柄な部類に入る。
自身よりも上背はあるものの、女のほうも蹄人としての力強さよりも線の細さが目立っていた。
気付けばまじまじと見詰めていたため、不意に女と目が合ってしまう。
慌てて顔を伏せるエデンだったが、女はそんなそぶりを前にして「ふふ」と小さく笑った。
次いで口元をきゅっと結び、顎を引いた彼女は、言い含めるような口ぶりで言う。
「人のことをじっと見るのは感心しないわ」
「あ……! ご、ごめん……」
「いいのよ。わかってくれたなら」
謝罪の言葉に笑顔をもって応じ、女はエデンとローカの二人を交互に眺め見る。
「私も貴方たちみたいな子に会うのは初めて。それに——」
女は黙々と食事を進める男を横目に見やり、呟くように言った。
「——この人が連れて帰ってくるんだから、何か事情があるんでしょうね。ええと……」
顎先に人さし指を添え、女は二人の顔を見詰める。
「じ、自分は——」
意図を察して名乗ろうとするエデンだったが、思うところあって出かかった言葉を引っ込める。
辺りを見回し、土間に立って自ら鍋からお代わりを盛る男の様子を横目にうかがったのち、女に向かって自らの名を告げた。
「——エデン、エデンだよ」
「ローカ」
エデンの促すような視線を受け、少女も食事の手を止めることなく名乗る。
「エデンとローカね。私はラヘルよ、よろしくね」
二人の口にした名を確認するように繰り返したのち、女は胸元に手を添え、自らも名を名乗った。
「……あら、足りなかったみたい。よかったらこれも食べて」
言ってローカの手元をのぞき込むと、女——ラヘルは手付かずだった自らの分の器を、空になった少女のそれと入れ替える。
「ラヘル」
「いいじゃない」
苦々しい口調で言う男だったが、ラヘルは静かに左右に首を振る。
「お味見だけでお腹いっぱいになっちゃうの。また明日ちゃんと食べるからいいでしょ。だからローカ、それは貴女が食べてね」
ラヘルしかめ面の男を気にする様子もなく、差し出された器の中身を口に運ぶローカを眺め、微笑ましげに頬を緩める。
「おいしい?」
「ん」
いかにも満足げにうなずく少女を、ラヘルは目を細めて見詰めていた。
食事を終えたのち、まずはラヘルに礼を伝える。
続けて男に向き直り、家に招いてくれたことに対して感謝の言葉を告げる。
だが、返ってきたのは「俺は関係ない。ラヘルが勝手にしたことだ」という至って素っ気ない言葉だった。
その後はエデンとローカも手伝って後片付けを済ませる。
ラヘルは食後の茶を入れながら、苦笑いを浮かべて耳打ちするように呟いた。
「エデン、気にしないでね。堅物で偏屈で石頭だけど、悪い人じゃないの」
そう言ってラヘルは、部屋の片隅で三人に背中を向けて寝転ぶ男に声を掛ける。
「——ね、ラバン。貴方も一緒にどうかしら? 少しみんなでお話ししない?」
「ひと晩の付き合いだ。話すことなど何もない」
男——ラバンは眠っていたわけではないようで、うっとうしそうに言葉を返す。
切って捨てるような返事に、ラヘルの瞳にわずかに影が差す。
だが、切り替えるように表情を明るくさせた彼女は、顔を突き出してローカの全身を眺め回した。
「だいぶ汚れちゃってるわね。奇麗にしてあげないと」
思い立ったように言うと、ラヘルは壁に手を添えて立ち上がり、部屋の外へ出ていった。
ややあって水を張った手桶と手拭いを手に戻ってきた彼女は、ローカに向かい合う形で腰を下ろし、その衣服に手を伸ばす。
「ほら、脱いで」
おもむろに帯を解き始めるローカから慌てて目をそらすと、エデンは膝を抱え、壁にもたれ掛かる形で目を閉じる。
ローカの立てる衣擦れ、二人の交わすささやき声を耳にするうち、いつの間にか眠りの淵へと引き込まれていた。




