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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第二章  自由市場(じゆういちば) 篇   第二節 「新しい出会いと暮らしと」
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第百十三話   一 宿 (いっしゅく)

 数歩を進んだところ、目の前の人物——蹄人ひづめびとであろう男はふと足を止める。

 荒々しい足つきで振り返り、膝を抱えたままぼうぜんと見上げるエデンを見下ろすと、彼はいかにも気疎けうとげな調子で口を開いた。


「来るのか。来ないのか」


「来る——行くって、ど、どこに……?」


「ひと晩だけ泊めてやる。明日になったら出ていってもらうが、それでもいいなら来い」


「え——」


 尋ねるエデンに対し、男は心底不機嫌そうな顔で答える。

 その申し出が真実であるなら願ってもない助けだ。

 降って湧いたような突然の果報に、目の前の男を信じてもいいものかと戸惑うエデンだったが、いつの間にか目を覚ましていたローカが、じっと自身を見詰めていることに気付く。


「お世話に……なる?」


 少女を見詰め返して尋ねれば、「ん」と小さな首肯が返ってくる。


「……じゃあ、うん」


 荷物を手にして立ち上がり、すでに一人先へと歩き出している男の後を追う。


「ひと晩だけだぞ」


「そ、それでも助かるよ! ありがとう——!」


 前を向いたまま念押しするように言う男に礼を言い、次いで先を進む背中に向かって名を名乗る。


「じ、自分はエデンで、この子は——」


「名乗らなくてもいい。どの道ひと晩の付き合いだ。互いの名を知る意味などない」


 素っ気ない言葉によって、名乗りの言葉は一蹴される。


「そ、そう……かな」


 呟くように答えたのち、エデンは脇目も振らずに歩みを進める男の背中を改めて見詰める。

 宵の闇の中で風貌は不明瞭ではあったが、男を獣人ししびとの中でも蹄人であると判断した根拠は、彼が歩く際に立てる足音だった。

 自身やローカのような扁平な爪でも、彪人たちのような湾曲した鉤爪でもなく、大地を踏み締めるための硬く厚みのある筒状の爪——ひづめを四肢の先端に有するのが蹄人だ。

 先を歩む男の足音は、鉱山で共に働いていた蹄人たちの立てるそれとよく似ていた。


 一度入り込んだら容易に抜け出すことの難しそうな、迷路じみた町筋を幾つも折れ、狭い路地に沿って似たような形状の建物が軒を連ねる区画までやってくる。


「ここだ」


 一軒の建物の前で立ち止まると、男は背を向けたまま二人に告げ、路地に面した戸に手を掛けた。

 木製の戸を引いて建物の中に足を踏み入れ、土間と居間を通り抜けて奥の部屋へと歩み入る。


「今帰った」


 寝室であろう奥の部屋に向かって男は帰宅を告げる。

 ローカと顔を見合わせ、彼の後に続いたエデンは、壁際に設えられた簡素な寝台と、その上に身を横たえた一人の女の姿を目に留めた。


「……おかえりなさい。今からお食事の用意するわね」


 吐息交じりの声で言い、緩慢な動作で身を起こす。

 女は男の後方で棒立ちになる二人の押し掛け客の存在に気付くと、「まあ」と声を漏らして目を丸くした。


「珍しいわね、ラバンがお客さまを連れてくるなんて。どういう風の吹き回しかしら」


「どうもこうもない。ひと晩泊めてやると決めた。それだけだ」


 男の突き放すような言葉にも、女は一切動じるそぶりをみせない。

 それどころか目を細めて「ふふ」と声を漏らす彼女は、どこかうれしげな表情を浮かべてさえいた。

 彼女は寝台の背板に背中をもたせ掛けるようにしてゆっくりと立ち上がり、再びエデンとローカを見詰めて問う。


「お食事はお済みかしら、お客さま?」


「う、うん……それは大丈夫。もう済んでるよ」


 女の問いに答えて「ね」と傍らの少女を見やるが、その視線は土間のかまどに掛けられた鍋に注がれていた。


「ローカ!? だ、駄目だって……! 行儀悪いよ!!」


 動揺しつつも懸命にたしなめるが、彼女は何食わぬ顔で見上げ返してくる。


「と、泊めてもらうだけでも助かるんだから……! そんなふうに見ないよ——!」


 諭すエデンの言葉を受けてなお、ローカは両手で腹を押さえ、物欲しそうにも見える表情を浮かべている。

 そんな彼女の様子を前に、不意に笑い出したのは寝台から立ち上がった女だった。


「うふふふ、仲良しなのね。いいじゃない、食べていきなさい。——ね、ラバン」


 女は二人に向かって説き勧めるように言い、次いで男を見上げる。

 男は相変わらず渋面を作ったまま女を見下ろしていたが、女は構うことなく土間に向かって歩き出した。

 だが次の瞬間、歩を進める彼女の身体がぐらりとかしぐ。


「あ……っ!!」


 エデンが倒れ込みそうになる女の元に駆け出すより早く、その身体を背中から包み込むようにして抱き留めたのは、彼女からラバンと呼ばれていた蹄人の男だった。


「無理をするな」


「——ううん、平気よ。ちょっと立ちくらみがしただけ。今支度するわね」

 

 男がその身体を抱えたまま表情を変えずに言うと、女は彼の腕の中で調子を整えるようにひと呼吸したのち、ささやくような声で答えた。  

 腕を軽く握り返して男の元から離れた女は、土間に向かって緩慢な足つきで歩を進める。

 竈に掛けられた鍋のふたを指先でつまんで取り上げた彼女は、後方の男に向かって言う。


「ほら、ラバン。貴方は食器を用意して」


「……わかった」


 女の求めを受け、男は不服げに漏らしつつも食器類の支度を始めるのだった。


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