第十話 対 価 (たいか)
イニワによって掘り出された鉱石を、少年は拾い集めて回った。
二度同じ失態を繰り返すことのないように詰める量には十分に気を配る。
もう少し詰めても大丈夫かと思うところで手を止めて、足りない部分は足で稼ぐべく、鉱車と採掘場所を何度も往復する。
いつの間にか相応の時間が経っていたのか、めいめい道具類を置いた坑夫たちに交じって支給された食事を取る。
その後も幾度かの休憩を挟みながら、少年は引き続き無心で鉱石を運び続けた。
聞こえてきた笛の音に他の抗夫たちが坑道を後にする中、イニワに促されるようにして坑道の外へ出る。
目に飛び込んできたのは、赤く染まった夕暮れの空だった。
坑道内からでは外の景色が見えないため、時刻が夕刻を迎えていたことに気付かなかった。
先ほどの笛の音が終業を告げる合図であることに思い至ると、少年は放心したように夕映えの空を見上げていた。
「おい!! 大丈夫か!?」
耳慣れた声を聞いて振り返る。
そこにあったのは、慌ただしい様子で走り寄るアシュヴァルの姿だった。
その瞬間、疲労と安堵からくる言いようのない脱力感に襲われる。
目まいを起こして倒れ込みそうになる直前で、駆け寄ったアシュヴァルがとっさに腕を伸ばす。
「お、おい……お前——」
両肩を握って受け止めた少年の身体にくまなく視線を走らせながら、アシュヴァルはあきれとも感心ともつかない口ぶりで言った。
「——ずいぶんとまあ、かっこよくなっちまってよ」
彼の言葉を受けて身体と手足とを見下ろせば、自身が土と泥、そして血まみれであることを見て取る。
暗い坑道内では気付かなかったが、むき出しの皮膚のあちらこちらに見るも痛々しい切り傷と擦り傷を負っているのもわかる。
激しい疲労と節々の痛みに気を取られていたが、いったん目にしてしまうと無数の傷が我も我もと痛みを主張してくるような気がした。
「ア、アシュヴァル、ごめん。これ、服……」
「お前っ……この莫迦——!」
満身に負った傷以上に悔やむべきは、彼に買ってもらった衣服が破れ、擦り切れ、穴が空いてしまったことだった。
たった一日で駄目にしてしまったことに、強い自責の念を感じずにはいられない。
アシュヴァルは吐き捨てるように言うと、眼光鋭くイニワをにらみ付けた。
「あの野郎……!! ちっとは加減ぐらいしろよ——!!」
「ち、違う、違うんだ……!」
いきり立つアシュヴァルに対し、坑道内での出来事を話して聞かせる。
自身の失敗で迷惑を掛け、帰れと命じられたこと。
指示に逆らってまで働き続けることを望んだのは他でもない自身であること。
全ては自らの意志であることを、たどたどしい口調で伝える。
最初はあっけに取られた様子で耳を傾けていたアシュヴァルだったが、話が終われば今度はいら立ったような顔でにらみ付けてくる。
「お前って奴はよ……」
言いかけて口をつぐむと、彼は大きく肩をすくめて嘆息した。
「アシュヴァル、そ、その——」
弁解を続けようとしたところで、不意に巻き起こった抗夫たちの歓喜の声を耳に留める。
声のした方向に目を向けた少年が目にしたのは、イニワが抗夫たち一人一人に日当を手渡しているところだった。
それを受け取った抗夫たちは「早く飲みに行こうぜ」「今日は倍に増やしてやる」などと無邪気にはしゃぎ合っている。
彼らに日当を渡し終えたイニワは少年たちの前までやって来ると、静かに口を開いた。
「おれたち抗夫が手にできる金は成果によって決まる。就労時間は関係ない。作業量や生産量が伴わなければ、どれだけ働こうともただ働きだ。残念だが——今日のおまえに出せるのはこれが限界だ」
そう言ってイニワは一枚の硬貨を差し出した。
少年に代わり、イニワの手から奪うようにしてそれを受け取ったのはアシュヴァルだった。
彼は掌の中身に視線を落としながら、いら立ち交じりに漏らす。
「……おい!! これがこいつの一日の値段だってのか!?」
その口調からは、つい先ほど収まったように見えた怒りの感情が徐々に再燃していくのがわかる。
少年はつかみ掛からんばかりの勢いでイニワに詰め寄るアシュヴァルの腕を抱えるようにして押しとどめた。
自身の一日の労働の対価としてイニワが提示した貨幣の価値を知らない。
相場として適切であるのかも、それで何がどのくらい買えるのかも当然わからない。
だが少なくとも、自身がイニワを含む他の抗夫たちと同等の給金をもらうに値しないことだけは理解していた。
「だ、大丈夫! 大丈夫だから……! 自分が一番わかってるからっ!!」
アシュヴァルの腕を抑え込みながら、訴え掛けるように言う。
その抱く怒りが筋違いだと理解しているのだろう、彼は乱れた心を落ち着かせるように深く息を吸い込み、荒々しい鼻息とともに吐き出した。
その様子を目にして小さく安堵のため息をつく少年に対し、イニワは再び何かを放り投げる。
「だが途中で投げ出さなかったことは評価に値する」
「——わっ」
慌てて手を伸ばし、おぼつかない手つきで放り投げられた何かを受け取る。
見ればそれは先ほどアシュヴァルが奪い取った硬貨とまったく同じものだった。
「これって……」
「それは日当ではない。言うなればおれからの——そうだな、気まぐれみたいなものだ」
掌に乗る穴の空いた褐色の貨幣と素っ気ない口調で答えるイニワの顔とを見比べ、今一度その意味について問う。
「も、もらってもいいの……?」
青緑色の錆の吹いた貨幣を傷だらけの掌で握り締めたのち、アシュヴァルに向き直る。
そして受け取ったばかりの手の中のものを、彼に向かって差し出した。
「アシュヴァル。これ、君が受け取って」
「お、俺が……? そいつはお前が働いてもらったもんだろ。なんで俺に——」
「うん。だからアシュヴァルに受け取ってほしいんだ」
「あ……ああ、でもよ——」
意図を測りかねているのか、アシュヴァルはあたふたと視線を宙にさまよわせる。
彼が先ほどイニワから引ったくるようにして奪い取ったもう一枚の硬貨に視線を落とすところを目にし、少年は小さく笑みを浮かべて言い添えた。
「そっちも」
少年の言葉を受け、アシュヴァルは頭をひねる。
そして差し出された硬貨と掌の中のそれを改めて見比べたのち、彼は諦めたように嘆息して口元を緩めた。
「じゃあよ、こっちはありがたくもらっとくぜ。だからよ——」
握っていた硬貨を腰布にくくった麻袋に突っ込むと、アシュヴァルは差し出された一枚を手ごと自らの掌で包んで押し返す。
「——そいつはお前のもんだ。お前の最初の一歩だ」
「最初の一歩……」
そう呟き、少年は手にした硬貨を頭上に掲げる。
褐色の硬貨一枚がどれほどの価値を持つのかはわからない。
アシュヴァルの態度やイニワの口ぶりから、推して知るべしであることは間違いないだろう。
だが今の少年には、黒ずんで錆の浮いたそれが本来の価値以上の輝きを放って見えた。
片目をつぶり、硬貨の中央に空いた穴を通して日暮れの空を見上げる少年に向かってイニワが言う。
「明日も来るつもりか」
「……うん。君が許してくれるなら」
「わかった」
答えて手にした貨幣を衣嚢にしまう少年に対し、彼はそう短く応じる。
坑道に取り残された者がいないかを確認して回るというイニワとその場で別れ、アシュヴァルとともに町へ下りることにした。
「そ、その、明日もよろしく——!」
振り返って声を掛ける少年に、イニワは背を向けたまま無言でうなずいた。




