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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第五節 「行きて帰りし」
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第百八話   訣 別 (けつべつ) Ⅱ

「旅に出たい、か。お前らしいっちゃお前らしい考えだよ。——ああ、いいと思うぜ。俺も賛成だ。お前は世界を見たほうがいい。洞穴や山ん中みてえな狭っ苦しいところで満足するんじゃなくてよ、広い世界に出て、もっといろいろと知るべきなんだ。あの娘とならよ、お前とよく似たあの娘と一緒なら——きっとお前の知りたいことも知れんじゃねえかって俺も思うよ」


 正面を見据えて言うと、アシュヴァルは「よ」と勢いを付けて石垣を飛び下りる。

 首筋をさすりながら数歩進んで足を止め、ゆっくりと後ろを振り返った。


「だからよ、お前の隣はもう俺じゃねえんだ。俺は——ここに残るさ」


「アシュヴァル……」


 少年もまた転げ落ちそうになりながら石垣を飛び降り、アシュヴァルの元へと駆け寄っていく。

 アシュヴァルは見上げる少年の視線から後ろめたそうに顔をそらすと、わずかに声の調子を落として言った。


「約束——だけどよ、破ることになってすまねえと思ってる。最後まで面倒見るって言い出したのは俺なのに、途中で引っ込めることになっちまって悪い」


「そんなこと……そんなことない!! じ、自分のほうこそ、また——」


「わかってる。お前の考えてることは——わかる。俺も同じだからよ。今の俺たちは一緒にいるべきじゃない。……そうだろ?」

 

「そ、それは……」


 激しく左右に首を振って応じる少年だったが、続けて放たれた言葉に思わず押し黙る。

 沈黙を肯定と捉えたのか、アシュヴァルは静かにうなずいてみせた。


「この際だから正直に言うぜ。俺はお前のことを利用してた。弱っちくて、誰よりも小さい自分がたまらなく嫌で、それでこの里を逃げ出して——誰も俺のことを知らない場所で強いふりをしてた。山の奴らが俺のこと怖がってるのが面白くて、気持ちよくて、いい気味で、調子に乗ってた。……だからお前を拾ったのも、本当のところは気まぐれっていうよりも、自己満足の道具としてだったのかもしれねえ。お前は俺のことをさ、強くて、でかくて、すごいって慕ってくれた。満たされた思いがした。欲しかったのはこれだって思った。面倒事抱え込んじまったなあって考えるときもあったけどよ。それでもまあ——なんだ、嫌だって思うことはなかったな。だけどよ、それがだ——」


 そこまで話しておもむろに手を伸ばすと、アシュヴァルは厚みのある掌で少年の頭をなでる。


「——お前と一緒にいるうちにさ、悪くねえっていうか、うれしい、楽しいって思うことが増えていったんだ。怖がられるよりも頼られるほうが、逃げられるよりも寄ってこられるほうが気分がいいって感じられるようになった。あの火の消えたみてえな酒場も抗夫連中でいっぱいになってよ、うっとうしかったけど——意外と悪くなかった。全部お前のおかげだ。お前がくれたもんだ。だから……感謝してる」


 おもむろに手を引き、自らの掌にじっと視線を落とす。


「いつからだったか、割とすぐ——なんだろうな。お前が幸せだったらいい、お前が落ち着いて暮らしていけたらいいって、本気でそんなふうに考えるようになった。いつかさ、連れ——って言ったよな。覚えてるか? あれもまあ本心っちゃ本心なんだけど、ちょっと違うんだ。お前は俺にとって連れだけど、頼りない弟でもあるし、一緒に笑い合える相棒みてえに感じることもあった。見た目もなんもかも違う俺たちだけどよ、そんなことは毛の生えた生えてない程度の話でしかないって思わせてくれたのもお前だよ。……でもだ。俺がいなくちゃなんにもできなかったお前がさ、少しずつ変わっていくのがわかったんだ。誰かのために必死になるお前は強くてよ、このままじゃ置いていかれちまうのは俺のほうだって——そう思った」


「そ、そんなこと……ない!! じ、自分は——何もできなくて……まだ……」


 思わず声を上げ、続けて消え入りそうな声で呟く少年を下目に一瞥したのち、アシュヴァルは広げた掌を固く握り込んだ。


「お前は……多分これからもさ、行く先行く先であれこれこんがらがらせてよ、しっちゃかめっちゃかするんだろうな。けどお前なら、何が起ころうがどうにかこうにか切り抜けちまうんじゃねえかって、なんとなく思うんだ。危なっかしくて見てられねえ、放っておけねえって、俺じゃなくてもやきもきしちまうだろうしな。それにあの娘が——ローカが一緒なら、きっとお前はどこまでも強くなれる。ふらっとどっか行っちまわないように首に縄……じゃねえや、しっかり手つないどけよ」


 少年は口を真一文字に結び、繰り返しのうなずきで承知の意を示す。 

 そんなしぐさを前にしてわずかに頬を緩めてみせると、アシュヴァルは握り込んだ拳と掌とを打ち合わせ、毅然とした顔つきで口を開いた。


「俺はもっと強くなる。里長を超えるぐらい強くなって、それで——いつかまた必ずお前に会いに行く。もしだ、お前がのっぴきならない騒ぎに巻き込まれてよ、こればかりはどうにもならねえ、どこのどいつも頼りにならねえ、どう立ち回ってもお手上げだって——そんなとき、お前を助けるのは俺だ。だから、俺が本物の強さを手に入れる日まで、あのときの約束は待っていてほしい」


 すがすがしささえ感じさせる口ぶりで、アシュヴァルは決然として宣言する。

 それが完全なる決別の表明であることを理解した少年は、歯を噛み締め、唇を引き結び、自らもまた静かに思いを語った。


「君が隣にいたら、きっとすぐに頼ってしまう。自分も強くならないといけないんだ。ローカのことを守れるように……ううん、違う。それだけじゃ足りない。アシュヴァルがしてくれたように、自分もたくさんの人たちの力になりたい。だから……強くなるよ。本当の意味で君に……連れだって——相棒だって、思ってもらえるように。自信を持って隣に立てるように——強くなるから……!! だから——その……一緒にいられないのは嫌いになったからじゃなくて——」


 顎先が胸元に触れるほど深くうつむき、衣服を握り締めながら訥々と語る。

 再び掌を差し伸ばすアシュヴァルだったが、頭に触れる直前ではたと手を止めると、自らの背に隠すように引っ込めた。


「わかってるよ、んなこと」


「ね、アシュヴァル。本当はね、君も一緒がいい……! ずっと一緒に暮らしたい……! でも——駄目なんだ……それじゃ——駄目で——」


「駄目じゃねえって」


 途切れ途切れの震え声で思いを伝える少年に対し、アシュヴァルはいつになく物柔らかな声音で答える。

 次いで星空を仰ぎ見るかのように顔を上げた彼は、おもむろに振り返って少年に背を向けた。


「今生の別れってわけでもねえんだ。またすぐに会えるさ。そのときが来たらまた一緒に——な」


 天を仰いだまま言うと、アシュヴァルは未練を残した口調で続ける。


「でもよ——」


 そして両手を自らの後頭部に添え、かすかに震えを帯びた声で呟いた。


「——寂しいもんは……寂しいよな」


「……うん」


 湧き上がる万感の思いを込めてうなずき、両手で顔を拭ってアシュヴァルの背を見詰める。

 次に会うときは、その背に負われ、寄り掛かり、追い掛けるだけではなく、隣に並んで歩くことのできる自分でありたい。

 夜の闇の中でも星明かりを受けて映える、黄白おうびゃくの地に黒の縞模様。

 忘れようにも忘れられない鮮烈で印象的なその背中を、少年は目と胸の奥に深く強く焼き付けた。


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